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明治某年某月某日――― 五人の兵士が忽然と姿をくらませる。 ある者は訓練中に、ある者は休憩中に、そしてある者は隊員同士の会話中に(二人同時で)――― なんら前触れなく姿を消した。 「現朗隊員は三週間前から寮に戻っておりません」 「数日前、激隊員は訓練室に行った直後不審な人物に拉致られたとの目撃情報がありました」 「真隊員、爆隊員は二週間前に、寮に帰れないという連絡があったそうです」 いや、前触れはたくさんあったのかもしれない。だが、それを誰も察することができなかった。前触れは愚か結果すら察することがなかったのだから。 帝都でこれだけの大技をやってのけるのは一人しかいない。オネエ言葉の筋肉質の男の姿が誰もの頭に浮かんだ。 蘭は炎もいないとの確実な情報を得ると、険しい顔で立ち上がった。無言だ。刀をもったまま、つかつかと廊下を進む。鉄男と毒丸、その他数人が後に続いた。 「馬車を用意しますか?」 「黙れ」 ……もう、何もいっても聞きはしないだろう。 馬舎に言って、蘭は自分の馬を用意しさっと乗って駆け出してしまう。部隊でも一番早い足だ。 「俺走ってついてくね」 「わしらは馬車で行く。大佐を頼むぞ」 毒丸は駆け出した。馬にも劣らぬほど、俊足で長距離を走れるのが彼にしか出来ない特技だ。 行き先は警視庁。 ものの三十分で、到着した。大佐の馬は途中何人か轢きそうになったが胸中合掌しながら毒丸は無視した。お蔭で怪我人は出なかった。凄い奇跡である。 馬を門番に押し付けて、恐ろしい形相で廊下を歩く。その足音に怯えた人々は何も言わずに道を空けた。 「はちまたぁぁぁ―――っ!」 がずぅんっ。 官舎が揺れるくらいの勢いで警視総監の部屋の扉が開かれる。 着流しを着たナイスミドルが、部屋の中央に立ってお茶を飲んでいた。 ……彼女の到着を、待っていた。むしろ予想よりも遅いくらいだ。 片目を水色の髪で隠しながら、歓迎の表情を作る。それが作り物であることが分からない彼女ではない。 「あらぁ、物騒なお客さんね。 どうしたの? 鬼子母神」 「どうしたもこうしたもあるかぁぁっ! 貴様、私の部下をどうしたっ!」 いきなり、蘭は刀を抜いた。話し合いなどしてられる余裕はない。 八俣はそれをぎりぎりまでひきつけて拳銃で受け止める。彼女の太刀筋は豪快の一言につきる。火花が散らんばかりの勢いで振り下ろされた刀を真正直に受けると、流石に拳銃のほうが分が悪い。 鍔迫り合いをしながら、蘭は全体重をかけて身を乗り出した。 男の形相がよく見えた。 「……どうしたってことはないじゃない。もう。 アンタの周りばかり良い男おいてズルイわよぉん」 余裕綽々とばかりに、にやにや笑っている。 「帝国軍人を使って何が悪いっ! 貴様は警官だろうがっ!」 「可愛い子狙って攫っただけじゃない。文句ある?」 「仕事をせんかぁぁぁ―――っっ!」 さらに壮絶な力がかかったので、とうとう堪えきれず八俣は身を引く。刃は軌道をそらされて、床に突き刺さる。彼女は直ぐに抜き、そのまま突進してきた。 一方八俣はその間に、軽い身のこなしで跳躍で後退する。ばん、とまず机に乗り、さらに大きく跳ねて後ろへ行く。彼を追って、蘭は樫の重厚な机を蹴り上げた。 ―――轟音。 「大佐ぁっ! や、止めろって!」 これ以上は無視できず、背後に隠れていた毒丸は鞭で彼女に一瞬の隙をつくり、捨て身で上乗りになる。勿論、軽い彼の体など片手を振り払うだけで弾き飛ばされたが、直ぐに遅れて到着した零武隊隊員たちがわらわらと扉から入ってきて彼女に上乗りになった。 取り押さえ係がこんなにもつらいとはっ! 十人ほどの男をかかえながらも、身を振り払いながら攻撃対象に向かおうとするその敵愾心。狂犬に刃物という言葉がこれほどそぐう状況もないだろう。 「もぉ。そんなに興奮しちゃやーよ。 ……それにちゃんと返してあげるわ。じゅうぶん遊んだし」 八俣は彼女が動けないのを見て、拳銃をしまいながら言った。 それは小さい声なのに、彼の声は良く通る。 ぴたり、と人塊が止まった。 蘭は「どけ」と冷静な声で言ったので、わらわらと乗っていた男たちは離れる。目はまだ攻撃的な色が残っているが刀をしまった。 「そこのあ・な・た。そこの赤いボタン押してくれない?」 八俣は好みの隊員を見つけて、ウインクしながら壁の突起を指差す。迫力に押されながらも、彼は恐る恐るそこを押した。 部屋全体が僅かに揺れ、低い機械音が響いた。 釦のあった壁が、真ん中から割れてゆっくりと開く。壁の向こうには別の部屋があった。秘密維持と警備強化という名目で彼は就任してすぐに作ったご自慢の隠し部屋だ。 「どう? 素敵な隠し部屋でしょ。女は秘密を纏って美しくなるのよ」 『税金の無駄』 と、同時に成る程もっともなツッコミが入る。 「あんたらの部隊に言われる筋合いはないわよっ!」 そしてさらに成る程最もなツッコミで返したのだが、それは毒丸の叫びにかき消された。 「現朗ちゃんっ!」 壁の奥には、小さな鉄製の箱が積んであった。1.3メートル四方で、一面だけは鉄格子で覆われている。端的言えば、猛獣を入れておくための檻だ。 だが、その中にいるのは動物ではなかった。見覚えのある白い軍服を纏った者たちが、背を向けて膝を抱え座っていた。 ぱたぱたと毒丸は現朗のいる檻に近づく。 「現朗ちゃん。 助けに来たよっ! 合同訓練から帰ってきたよ! お土産買ってきたよ!」 「……そうか。 良かったな。 俺はこの三週間殆どここに居たぞ」 暗い陰鬱な空気が、檻からにじみ出て伝わってくる。重い空気に、さしもの毒丸も言葉が続かない。気まずい沈黙があって、えーっと、と口に指をあてて仕切りなおす。 「げ、激ちゃん。ただいま」 「お帰り」 ……。 会話終了。 普段天に向かってつんつんと立っている髪が、なにやら今日はしなだれているように見える。 振り返って、鉄男に助けを求めるが、鉄男も困ったように首を傾げた。 「っち。情けない」 蘭は部屋に入って、刀を一閃させて全員の檻の鉄格子を斬りさいた。 ―――が。 予想だにしなかったことに、一人もそこから出てようとはしなかった。体育座りをして檻の壁を見たままだ。 ぶつぶつと呟いて一人の世界に入っている者。 隅っこでのの字を書いていじけている者。 座禅を組んで動こうとしない者―――様々だ。 無言の反乱に、流石の蘭でもちょっと引いた。後ろの隊員たちは大きく引いている。 「……あんたねー。 確かに無断で連れ出したことは悪いと思っているけれど、三週間気づかないってのは酷いんじゃない? しかも全員攫っても気づかないし」 「ぐっ」 一番言われたくないことを一番言われたくない相手に言われて、息がつまる。 エリートでない隊員たちの冷たい視線が突き刺さった。 「しご……仕事がっ」 「どーせ終わってないんでしょ。 三週間以内に終わらせると豪語した天井裏に隠していた仕事」 何故そこまで知っているっ!? ―――叫びが声にならない。 引き攣る蘭の顔を、現朗は肩越しに一瞥した。冷たい、目だ。捨てられた猫の目に死んだ魚の目の濁った具合をあわせたような。 蘭と目があうと、さっと首を戻す。陰気くさいことこの上ない。 「三週間気づかなかったんだってよ」 「まごうかたなき鬼だそりゃ」 「炎さんですらショック受けてるよあれ」 「激殿が肩を落として丸くなったの初めて見たぜ」 謝れ謝れといってくる後ろ囁きは聞こえないことにして、蘭は、つかつかと檻に近づく。 そして、一つずつ覗きこんだ。 丸くなった背に漂う哀愁。 確かに罪悪感を感じないわけではないが―――。 五つも揃えば鬱陶しいだけだ。 最後の真の檻の前で、止まった。そして後ろに足を引く。 がんっ! 豪速の蹴りが決まる。一個の檻を蹴っただけで、五個全部に振動が伝わって震えている。 そのまま、がすがすと幾度も蹴りつけた。人はそれを逆切れというのだが、それをつっこむ勇者はいない。ましてや止められる者などいるはずがない。 「細かいことをぐちぐちと考えるなっ。 さっさと仕事に戻れっ。 貴様ら一応それでも万が一的に零武隊の五本指だろうがっ!」 そして、その轟音の中にいても、ぴくりとも反応しない。 この上官にいたのが長いだけあって、精神も忍耐力も極限まで鍛えられている。……凄い軍人たちだ。 人々は、エリートたちの凄さと辛さとを同時に知ったような気がした。 「その五本指全員取られて気づかないあんたが、零武隊隊長だからねー」 八俣は煙草盆からお気に入りのキセルを取り出し、火をつけ、ゆっくり煙をたなびかせる。眼前では蘭が大暴れしてそれを必死に止めている。無関係を決め込んで、零武隊の見せる滑稽な演目をじっくり鑑賞しながら、いくら修理費で請求してやろうかと考えていた。 |
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