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東京警視庁――― 門の前に立って見上げると、なかなか大きく権威的な建物だ。人が始終出入りしており、受付で名を告げるとすぐに警視総監の部屋まで案内された。現朗にせかされたので予定時間の十五分前に到着することが出来た。 大きな重厚な樫の扉。 普段大佐の護衛についてくるときは何も思わなかったが、改めて一人でこんなところに放り込まれると急に不安になってくる。周囲に助けが一人も無い。 なんで俺が一番なのさぁ…… 案内役の男がノックをしようとしたが、躊躇って止めた。理由は毒丸にも分かった。中から来客の声が聞こえたからだ。 勢い良く扉が開かれた。 「失礼するっ。その件は……また審議の後お話しよう」 背広姿の男が、真っ青になりながら出て行く。 「はぁい。楽しい返事を期待しているわぁ」 その後ろ姿を艶やかな声が見送った。 案内役は苦笑し、そして毒丸とともに部屋に入った。部屋には八俣と数人の部下がいて、入ってくる二人を見ると急に和やかな雰囲気になる。 「警視総監。 零武隊の毒丸殿を、お連れ致しました」 「あら。時間より早いわね。流石軍人さん」 見慣れた水色の髪の男が、机に足を掛けながら座っている。毒丸を見ると、立ち上がって寄ってきた。 一瞬雰囲気に飲まれていたが、すぐに自分を取り戻す。 好戦的な色を湛えた目で、さっと敬礼した。 「本日よりお世話になります、零武隊隊員 毒丸です。 宜しくお願いします」 現朗に何度も復唱させられて暗記した挨拶を言っている間に、八俣が眼前まで来て顔を動かしながら舐めるように見ている。 それは無礼な態度ではなかったが、相手が八俣だけに身が竦んだ。 ……怖ぇ〜よ〜 いろんな意味で恐怖を覚えながら、それでも俺は天下の軍人、零武隊だ、と言い聞かせて何とか心を落ち着かせる。警官に負けるわけにはいかない。それは軍人ではなく己の誇りだ。 それに、蘭は隊員全員に言った。 『同意が無い限りは、警視総監自ら貞操を保証して下さるよう約束させた』 殺されても食われることは無いと言い聞かせて、背筋を伸ばす。 「そーんな緊張しなくてもいいじゃない」 ぶすっと文句を言うと、部下のひとりが笑いながらいった。 「警視総監に睨まれたら嫌でも緊張しますよ。 それより、迷惑な客も帰ったのでそろそろ元の服に戻っても宜しいですか?」 「そうね。 ごめんね、遅くに呼んで。仕事の手順を説明した後、歓迎会を開くつもりなの。本格的なお仕事は明日から。あと制服を新しいの着替え室においておいたから、好きに使ってちょうだい」 「は……はいっ」 元気よく返事をすると、満足したように八俣は微笑んで部屋から出て行ってしまう。警視総監の部下らは、揃って毒丸に敬意を込めて丁寧な挨拶と自己紹介をした。 ……ありゃ? 存外、いい待遇? と。緊張しながら思った。 普通警官と軍人は仲がよくない―――というよりぶっちゃけて悪い。しかも零武隊と聞けば嫌がるかもしれない……と思ったのだが杞憂だったようだ。 口々に、「武勇伝はかねがね伺っております」とか「日明大佐のお話を聞くだけで感動いたしました」とかと褒め称える。毒丸の気も良くなってきた。 「話は後にしろよっ。お荷物が重いだろっ」 「あっ! そうだ。まだ荷物をお持ちでしたね。申し訳ないです」 「それでは控え室に行きましょう。そこに荷物を置いて、後ほど独身寮へご案内いたします。 ……そうそう。 警視庁は課ごとに控え室があるので、くれぐれも間違えないよう注意してください。他の課の控え室に入ると、身の安全の保証ができませんので」 「はあ。 ……はあ?」 なんだか意味の分からない言葉を言われつつ、促されるままに廊下に出た。 その扉は、警視総監の執務室から、殆ど離れていないところにあった。 『控え室』 と、だけ、書いてある。 しかも横を見れば、ずらりと控え室は並んでいた。どうやら他の課の控え室もこの廊下の並びにあるようだ。 「あー。確かにわかりにくいっすね。 なんで課の名前書かないんです〜?」 「うちの課とばれると狙われますからね。 セキュリティも相当厳しいので、変なものに触れてはだめですよ。あと、鍵を持たずにこの扉は絶対触れてはいけません。高圧電流通してますから。 ここはうちの課の機密情報みたいなものなので」 わけの分からない言葉が続いているが、まあ、泥棒対策か何かなのだろうと結論付けて問題を投げ捨てた。見たことのない鍵を取り出し、何度も回して漸く扉が開く。鍵の回転数まで取り入れたつくりになっているようだ。 一見木製の扉のようだったが、材質は鋼だ。 部屋の中の空気は二三度低かった。 「今、電気をつけますね」 灯りが点くと、そこは毒丸が想像していた控え室とはだいぶ違った。 まず、広かった。 毒丸のすぐ目の前から、三十センチほど高くなっており、畳が敷かれ、靴を脱いで入るようになっている。 部屋の奥は一面鏡台がとりつけてあり、そこに大小さまざまな小道具がある。右手には、洋服箪笥が三棹と着物が幾重にもかかった内掛けが置いてあった。反対側には、一メートル四方に区切られた棚がある。 いくつかは使用されていたが、あいている棚もあった。 内掛けに掛かっている着物をみて、何か、恐ろしく嫌な予感が毒丸の中でこみ上げてきた。 「えーっと。あの、まず着替えってその制服っすよね? 今皆さんが着てる……その……」 彼らは笑って質問を流す。 ダッシュで逃げ帰りたくなった腰を引き気味の毒丸の手を、前に居た警官が引っ張り、後ろの男は腰を押した。 否応なしに、畳の上へ上げられてしまう。 「ちょっと……いやまじちょっと待ってくださいよっ! ちゃんと答えてっ。お願い笑顔で誤魔化さないでプリーズっ」 「ほら、靴脱がないと」 「あははははは☆ ちゃんとした制服だよ」 警官の一人が、左の棚からおそらく毒丸のために用意してあったそれを持ってきて、目の前で広げた。 セーラー服。 ……いわゆる女学生の着るあれだ。 「え? こ、これを…… …… ……はは、ええと、な、な、なんのつもり?」 いろんな可能性を考えた。 セーラー服を見せてあげようとか、セーラー服に見えるけれどこれは実は裏返しすると警官の制服になるんだよとか、そう言ってくれることを期待した。 「これを着て仕事をするんだよ。 君の制服だから」 せいふくだから…… セイフクだから…… 制服だから――― 最後の言葉が硬直した毒丸の頭の中でエコーする。 完全硬直。 つんつん、と指でつついてみても動きそうにない。 「どうする?」 小声で言いながら、顔を見合わせる。 「さあな。まあ、ちょっとゆっくりさせようぜ」 そうだな、という簡単な返事がいくつも戻ってきて、彼らは自分の用意にとりかかった。 チャイナドレスからゴスロリ服まで多種多様に揃えられた衣装箪笥を開けて、その中から、先ほどまで着ていた服を取り出す。面倒な来客が急に来ることになったので、わざわざ先ほど着替えたのだ。 慣れたように女性ものの服に袖を通し、嬉しそうに化粧をし、不思議な会話を繰り広げる彼らを毒丸はどこか遠くで感じていた。 |
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