・・・  オカマッポ1  ・・・ 


 「二ヶ月、貸しなさい」
前後脈略全くなく、蘭のところにかかってきた電話の主はいきなりそう告げた。顔に疑問符を何十個も浮かべる彼女を想像して八俣の口元が引きつる。
「何を言っている?」
「あんたんところの部下を。
 毎週一人ずつ、八人寄越せ、って言ってるの。
 この前失火騒ぎをなんとか揉み消したと思ったら今度はお祭りの時に死体こさえるってホント八雲もいい加減限界ってとこなの。
 ……色々考えたんだけど、あんたに文句を言うよりも直接零武隊の隊員に隠密行動のイロハを叩き込んだほうが良いかなぁ〜って思って☆」
蘭が彼の言い分を理解するのに少し時間が必要だった。
 受話器を持ちながら過去に思いを巡らせる。
 どうやら警視総監殿は非常に憤慨なさっているらしい。その原因には、思い当たる節がないわけではない。
 いつもの通り厄介な揉み消しを頼み、それが終わったとの報告を受けた時にいつもの通り多大な文句を言われた。だがいつもとは違って、その次の日にまた相当厄介な揉み消しを頼む羽目になった。一週間前のことだ。炎と真が大衆の集まるど真ん中に死体を放置して帰ってしまったせいで、次の日祭りどころの騒ぎではなかったと聞く。
 蘭は常々、揉み消しは彼の仕事なのだから文句は筋違いだと思っている。そして苦言も忠告も進言も一度も聞いたためしがないし、それを部下に注意したことも無い。こちらは歴史の始末をしているのだ。現在の事件の始末など、警察がやって当たり前ではないか。
 だが、今回はそう思う前に胸が躍った。
 八俣の提案は非常に魅力的だったのだ。

 軍人が警察に従う……。

 おそらく誰もが嫌がるだろう。軍人であることに誇りを持っている者は多い。
 しかもつくのはあの猥褻セクハラ警官だ。部下の嫌がる顔が浮かぶと―――

 わくわくする。

「わかった」
「そう。わかっ……
 え? いいの?」
あまりにあっさりとした返事に提案した方が驚いてしまう。
 向こうの反応など無視して、蘭は淡々と質問した。
「時期はいつからだ? ああ、誰をおくるかはこちらが選んでも良いな? 仕事の都合で出せない奴もいる」
電話を持ちがらペンと紙を用意し、新たな命令書の作成に取り掛かる。
 訓練内容、外出許可、その他もろもろ。電話をしながら次々に詳細が決まっていった。
「いいわよ。誰が来ても、存分に締め上げてあげるから。そっちの都合の良い日からで構わないわ。……事件なんて勝手に起こるものだし」
「そうか。
 警視総監殿直々にみっちり仕込んでくれるならば、願ってもない機会だ。
 来週の月曜日から派遣しよう。なに、廊下の隅でもあれば過ごせるよう鍛えている。そちらは何も用意する必要は無い」
「その言葉、どれだけのものか確かめさせてもらうわ」
「好きにしろ」
現朗がノックをして入ってきた。
 電話を受けながら楽しそうに書類をつくる上官の姿を見て、疑問を感じないわけではなかったが、逃げ出してないならばそれでいいと思い渡すべき資料を置いて部屋を出ようとする。
 その頭を、蘭の手近にあったペンが飛んできて突き刺した。
 ……なにをするのだ。この問題児上官……
 と、思いながら振り返ると、そこには電話を持ったまま、右手で書類をぺらりと持ってこちらに見せ付けている軍人が居た。
 彼はめんどくさいという感情をありありと出しながら机の下までいって、それを一瞥する。
 新しい命令のようだ。
「……うっ」
金髪の驚く顔が面白くて、相槌をうちながら蘭の唇の端がつりあがった。
 こうしてその後零武隊全てを巻き込むことになる八俣の策略は、穏やかな昼下がりの午後の一本の電話によって始まったのである。



 一番に白羽の矢が当てられたのは、毒丸だった。
 八人の生贄は蘭が決め、その順序は犠牲者同士の中で話し合いという名の暴力事件で全てが決定された。毒丸が弱かったわけではないが、他七人が結託して彼を一番に攻撃したのだ。
「……酷いとは思わないの。先輩のくせに。年上のくせにぃ」
恨みがましい目で見つめる先には、激と炎がいる。
「思わんな。鉄男が裏切らないと信じ込んだお前が悪い」
「鉄男に命令するなんて反則だよっ!」
「まあどーせ行くんだからよ。そう嘆くなって」
慰めても慰めても、彼の機嫌は直る兆しを見せない。
 唯一上官の魔の手を逃れた現朗は淡々と荷造りをしていた。零武隊の備品を一手に管理しているのは彼だからだ。
 現朗はあの電話を切った途端、すぐに行動を起こした。
 「……俺が入らないならば、八人がどんな目にあっても、この件は目を瞑ってあげます。ですが、俺を送ろうなどと考えていたら即座に有給を消費しますので重々考えてくださいね?」
と脅迫半分の取引を持ちかけた。彼女としても、わざわざ彼を不機嫌になって仕事放棄されるのは困る。それに一番口煩い彼が目を瞑ってくれるのはこれほどありがたいこともない。
 彼は一度八俣の下で働いたことがあった。その数日間の経験はトラウマになっていて、今でも警視庁に行こうとするだけで胸が苦しくなる。あんな経験はもう二度としたくない。
 リストに書かれた荷物が全部はいっていた。最後に時計を入れて、鞄をしめる。
「よし。きちんと揃っているぞ。
 襲撃がないからといって武器の手入れは忘れるな。後、歯をきちんと毎日磨くこと。下着も取り替えるのだぞ」
「くれぐれも零武隊の名を貶めるようなことはするな」
炎が先輩じみたことを言うと、黙っていた鉄男もちらりと心配そうな視線を寄越した。
「……気をつけろ」
いぃーと毒丸は口を引っ張った。精一杯の仕返しだ。
 む、と鉄男が言葉に詰まるのを見て、少し胸がすく思いがする。
 荷物の詰まった鞄を持ち上げた。殆ど入っておらず、案外軽い。愛用の鞭を腰につければ後は出発するだけだ。何故か八俣からの要請で、午後五時に来るように言われていた。その時間からのほうが仕事が良く分かるのだという。
「……武運を祈る」
真剣な目で現朗が膨れ面の毒丸に敬礼すると、他の隊員も倣って敬礼した。