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「失礼します。教授、大佐を……」 現朗は扉を半開きにしたまま、心臓が止まった。 中の馬鹿騒ぎ。 そして、今、後ろにいる人物。 コンマ一秒で扉を閉める。 その音に、部屋の中にいた者たちも気づいた。 「現朗君。さ。悪いけど部屋を開けてくれもう一度」 「うむ」 目の笑っていない超特級の軍人に柔らかな口調で勧められて、金髪の内臓がぎりぎりと痛む。日明中将と雄山元帥が、忍びで連絡もなく来たときから嫌な予感はしていた。 「い、いえ。その丸木戸教授は時折危険な実験をしておりますので……表の部隊の方には……み、見せられないことも」 「そう? 今俺が見えたのは君の同僚が髭をつけて楽しく踊っていたようだけど」 「変装技術か何かの新発明かのう?」 元帥の髭は、なかった。 現朗は不自然に思ったが、あえて考えないことにした。 しかし、その髭をつけて踊る毒丸を見て全てを頓悟した。こんな無茶な真似が出来るのは帝都広しといえどもそうはいない。 彼が庇うように扉の前から動かないので、日明は強硬手段に出た。現朗の立っている真横に蹴りをいれ、見事に蝶番だけを壊して戸板を吹っ飛ばす。 中の様子は―――さっきとは全く違っていた。 研究に精を出す白衣。データを必死で読む(振りをしている)大佐。白衣に命令されながら研究室の隅で洗いものをしている二人の隊員。 不自然に静かなそこに、足音を立ててゆっくり日明は進む。 元帥は後ろからついてきた。 蘭は立ち上がって、敬礼する。 毒丸と激も敬礼するが、その顔に髭がないのを見て一瞬だけ笑いそうになる。 無音映画を思わせるような不自然な静けさがあった。 「日明大佐。丸木戸教授に至急毛生え薬を作っていただきたく、連絡もなく来た。宜しいかな?」 言ったのは中将だ。 「はい。……教授、出来るか?」 「あー。この証拠鑑定の期日延ばしてくれます?」 「一日な」 「じゃあ四日後ですね」 さりげなく更に一日延ばす丸木戸に、文句を言う余裕はなかった。蘭は隙無く二人を見ている。 雄山は蘭の元まで来ると、じっと睨み何も言わない。 日明はその間にふらふらと研究室を見回っていた。触らないで下さいよ、という制止を聴きもせず、やたらめったら触っている。そして、乾燥機の前に来た。 「ぐっ」 蘭が息を詰まらせるのが、元帥には見える。 がちゃ。 日明は、あっさり開いた。 そこには、先ほどまで遊んでいた髭のセットが置いてある。 「……元帥……ありました」 苦笑交じりに日明が言った。 今から一時間前、日明はいきなり伝令で雄山に呼び出された。伝令は普段の軍人ではなく、しかも内容も彼の家に来いというもので非常に不審がったが、それは間違いなく雄山元帥の命令だった。 髭の無い彼をみて、まずはイメチェンだと思った。 いや、実際。思い込もうとした、というのが正しいだろう。 『躾が出来てないにも程があるぞ。家に乗り込んでくる奴がおるか』 躾が出来てないのに関して言えば、実際雄山も相当蘭に甘いのを常々快く思っていない日明は、つい反論してしまった。 『証拠も無いのにうちの蘭さんって決め付けないで下さいよ』 だが、元帥の推論は正しかった。 きちんと予定通り証拠が出てきた。 五個あるクローンの中から、正確に髭をもって日明は二人のもとまで戻ってきた。元帥はその髭をとり、ぺたりともとあった位置に貼り付ける。あるべきものが戻ってきて気持ちも落ち着いた。 日明は逃げ出さないよう蘭の横に付く。 抵抗は、今のところ見せていない。 「では、日明大佐。 儂の家まで来てもらおう。話たいことがたっぷりある」 まるで教師に叱られる前の生徒のように、恨めしい表情で上目遣いで睨む。 反抗的な目の色。 自分がしたことを、反省はしていない。 一旦彼は目を上に逸らした。 ……彼女の気持ちはわかっている。だから、ここまで来たのだ。 今、元帥の精神は限りなく静かだった。怒りは無かった。確かに髭を盗られたと気づいたときは激怒したし当り散らしもしたが、今は、もうそんなことどうでもよかった。それよりも、どうやって蘭を諭すかが頭を占めていた。 やはり。これしかないだろう。 視線を戻し、覚悟を決めた。 「昨日は一方的に言ってすまなかった」 流石の蘭も、これには驚いた。 昨日は初めて、一切蘭の話を聞かないで叱った。その態度が―――普段信頼していただけに―――腹が立った。はらわたが煮得くりかえった。だからこの凶行に及んでしまった。 ……謝るなんて。今更。卑怯だ。 そう思って何とか感情を保とうとしたが、やはり無理だ。元帥は自分をわかってくれた。わかってくれていた。……一時の感情に流されてわからなくなっていたのは、自分だ。 見る見るうちに、居直り強盗的な雰囲気が消えて肩を落とす。 しおらしくなった蘭に、雄山はわざとめいた咳払いをした。 「もう一度きちんと君の話を聞こう。 さ。うちへおいで」 うちへおいで。 その、優しげな声に、つられてこくんと頷いてしまう。 日明はその様子を見ながら、大きく顔を引きつらせた。自分が蘭を甘やかすのはいいが、他人がされるとこれほど不快なものはない。蘭がいなければ殴っていたものを。 「では薬を調合したらうちへ運ぶように」 「私がお持ちいたします」 日明が固い声で答えると、雄山はわかったとばかりに頷いた。 二人は部屋から出て行って、日明一人、その場に苦々しい顔をしたまま残った。 据わった目でぼつりと呟く。 「……甘やかせすぎだっつーの」 それをお前が言うか? と、誰が言えようか。 丸木戸は超低気圧をばら撒くこの上官が何も壊さないで部屋から出て行くよう願いながら、人類の限界の速さで薬を調合したのだった。 |
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