|
||
「ひゃっほーい。教授ー。大佐いません?」 昼過ぎ、戻ってきた隊員たちは自由奔放上司が部屋にいないのを不審に思って探し始めていた。午前中定期帝都見回りを実施し、持ち場の担当が終わった者から零武隊の官舎に戻り、昼休みまでには全員戻っていた。その頃になって現朗が蘭がいないのを不審に思い騒ぎ始めたのだ。 別に今は格別彼女を拘束すべき理由はないのだが、元帥府に昨日行ってからなんとなく動きがおかしい。もしかしたら重要な仕事をもらったのにまた隠しているのかもしれない、と現朗は思った。そういうことをされると一番被害をこうむるのは彼なのだ。 そして、丸木戸の研究室に一番に入ってきたのは激と毒丸だった。 「あ。 今、心安らぐ白い粉をつくったんだけど、嗅いでかない? データ欲しくてさ」 「いやトリップは間に合ってるからいいです」 「大佐いるじゃん」 一番に見つけた毒丸は、椅子に横たわっている上官の下へいく。蘭はぐっすり眠っているようだった。背もたれのない四角い椅子合わせた上に、胸の上に日本刀をおき、長い髪を床まで垂らして仰向けに横たわる。その細い幅で寝られる度胸は恐ろしい。彼女は寝返りをしなくても苦ではないのだ。 近づいてくる軍靴の音に、ぱちり、と目を開いた。 眩しげに二三度瞬き、そして、振り向く。 「なんだ?」 「……なんだって。いや特に用はなかったんですけれど、現朗ちゃんがどこにいったかって心配してましたよ」 「そうか。今日はここにいる。 緊急の用はないから、仕事は五時からすると伝えろ」 蘭は答えて、再び目蓋を閉じる。 また、寝るつもりだ。 なんのために職場に来ているのかいまいち分からないが、最近日明中将の部隊が戻ってきたという話から推測するに、家に戻りたくない理由があるのだろう。激はそう考えながら、上官の表情をそっと探った。情事の痕跡があるのではないかと意地悪く思ったが、見当たらない。胸元までしっかり詰襟を着ている。その禁欲的な服は、余計に淫らな想像を掻き立てる。想像が危険なところまで入り込んで、ぶるぶると首を振った。 蘭が再び眠りにつく前に、教授が声をかける。 「寝ないで下さい。 出来ましたよ〜」 がばっと身を起こした。 ついさっきまで寝る気満々だったはずなのに、どういう血圧をしているのか、いい動きだ。 目に見えてウキウキしながら、教授のいる実験台に駆け寄る。実験器具を壊さないように細心の注意を払いながら走った。 「出来たかっ。どれっ」 毒丸と激は顔をあわせた。伝言をもらったのだから退出してもいいのだが、その上官の様子を見ていると凄く気になる。 二人は不真面目なほうだった。―――そして、好奇心に弱かった。 にっと笑いあって、蘭がきゃっきゃっと悲鳴をあげているところへぱたぱたと走った。 「ほおっ。すごいなぁ」 「あと複製品作ってみました。クローン技術で」 「そうか。五つもあるとなんか壮大だな。黒いのもあるっ!」 「染色してみました。まあ……なんとなく」 蘭は黒いそれを持ち上げて、丸木戸の鼻の下にくっつける。 彼は唇を一文字に結んで、元帥の真似をして髭を触った。 「何してるんですか〜?」 にやついた二人の隊員が来たのは、丁度、その時だ。 二人は実験台にあるそれを見て、まず止まった。 それが何か、すぐにわかったのだ。 ―――そして。 『ぎゃははっははははははははは―――』 部屋を揺るがす大爆笑。腹を抱え、目に涙を浮かべながら激は笑っている。 「た、た、た、大佐とってきたんすかーっ」 「うっわー。流石、やるぅ! 零武隊の隊長の名は伊達じゃねえっ」 「で。元帥のオッサンどーなったんですっ!? 見てみてぇ」 激が恐ろしい言葉を言うので、蘭は悪人面で笑いながら訂正を加える。 「猫の毛だ」 猫の毛、猫の毛と毒丸が復唱しながら手を叩いて笑っている。 机にあるひとつを激がとりあげた。用意周到にも後ろに粘着質のテープが貼られていたので、軽く押さえるだけでくっついた。 「うぉっほん」 「あははは。ぜんぜん似てねー。ていうか似合ってねー」 「なにぉう。 教授、顎鬚はないのぉ?」 「あるよ。……今、完成したかな」 蘭も興味を示した。 なんと丸木戸は、蘭が寝ているうちに同じクローン技術を使って顎鬚を作ってしまたのだ。髭をつけたまま部屋の隅にある四角い乾燥機へ行き、大掛かりな鍵を外して鋼の扉を開く。がしゃん、と大きな音が三人の元まで聞こえた。 中から取り出して、戻ってくる。その手には雄山のもつ立派な顎鬚と、眉毛まであった。 「時間がなかったのでワンセットしか出来なかったけれど。 どう?」 自信満々と見せ付ける。 蘭はそれを取り上げて、丸木戸の顎につけた。 激も毒丸も、わくわくしながらその様子を見る。 そして、 「ぷっ」 始めに噴出したのは激だ――― 「似合わないな。変質者だぞ」 「っつーかおかしいっ。おかしすぎるっ!」 「俺にもやらせてよぉ。教授」 毒丸に奪われて、今度は彼が雄山変装セットを装着する。期待に胸を躍らせて、三人は黙ってその様子を見ていた。 毒丸は薬匙を鏡にして丁寧につけ、髭を整える。 それから近くの椅子に飛び乗って、後ろで手を組んだ。 「馬鹿もんっ。黙らんかっ」 普段とは違う声だった。 顔は似ていなかったが、その口調や声音はなかなか似ていた。 びっくりした二人の男たちは、思わず、似てる、と口にしていた。 「決してあってはならぬ。 この事件、全てを零武隊で始末しろ!」 「……ほう」 蘭までも感嘆の声を上げる。意外な特技だ。 「御国に謀反す不敬の輩は許しておけぬ」 「危うき存在は消せっ。消しちまえっ!」 「酒でも女でも持ってこーい!」 拍手が沸き起こり、もっとやれのコール。三人しかいない会場は大きく盛り上がっていた。 ……だから、ノックが聞こえなかった。 |
||
|