08/07/2006 ウツロウはぼさぼさの髪をかきあげながら考える。 危険な場所特有の、全身が総毛立つようないつもの感じがない。本当に十指を屠った妖怪がいるのだとしたら、これはおかしなことだった。大妖の種類はどんなに上手く隠しても、何らか違和感が零れ落ちるものなのに。 自分の察知能力よりも潜伏能力が優れているという可能性を心に秘めて、一歩踏み出した。案内役の鼠丸は地図で場所を教えると、何処へともなく夜の街へ消えてしまった。謝礼を受け取りに行くのだ、と言って。 何度もしつこく「退治するつもりはない」と言ったが「だから先に受け取りに行くんじゃーん」とわけのわからないことを言っていたが、ウツロウは自分と炎婆に迷惑さえかからなければいいというのんびりスタイルなので特にとめなかった。 作戦は以下のようなものだった。 ビルの正面玄関と裏口の二方向から入り、同じ時間間隔で一階ずつ上がり、追い詰める。敵にあたったら、情報をとって逃げる。ただそれだけだ。 炎婆には砂かけの壷はゲゲゲハウスに置かせて、愛用の二振りの刀を持たせた。流石に敵地のど真ん中で零の実をばらまかれたら、ウツロウとてどうなるかしれたものではない。 「左目も……うずかねえな」 やはりオカシイ。 違和感が無さ過ぎる。 ―――いっそ罠が仕掛けられてくれればいいのに、と思わないでいられないくらいに、その場は普通すぎた。 古びた廃墟のビル。変な音がするという住人らからの苦情を受けて、不動産会社が取り壊す前に鼠丸にお払いを頼んだという。お払いを頼まれたときは型どおりで済ますつもりだったが、その後『みずき』の噂を聞きウツロウを頼りにきたのだ。 最低限の警戒をしながら、ウツロウはビルの割れてない大きなガラス扉を押した。鍵はかかっていたが、受け取った鍵であっさり開いた。錆びている様子もない。思った以上に新しいビルなのかもしれない。 真っ暗な世界。壊れた天井。剥げた内装。ところどころにある廃棄物の山。人間ならば薄気味悪いとも思わせる空気が漂っていたが、妖怪とのハーフであるウツロウには何にも思わなかった。むしろ何も無いことの方が気味が悪かった。 「今日はお出かけとかなぁ〜 ……だったらさっさと炎様をつれて帰るか。出かけたと知ると、まーた真が文句を言うだろうしよ」 ふわぁと欠伸をして、両腕を後頭部に組む。 かつん、かつん、と足音が微妙な響き方をした。 埃をかぶった窓から、煌々と光る満月が見える。久しぶりに見たな、満月なんて。柔らかな光を浴びた廃墟の世界は、清清しい空気に満ちていた。心地よい闇がウツロウの心をなだめる。 ……心地よい? 「おい。 待てよ、ネコ天狗を屠られたんだろう?」 思わず口に出して自問する。 大妖が死ねばそれなりに痕跡が残ってもおかしくないのに、ここにはそれがない。誰かが故意に消したとなれば、やはりここには何かが住んでいることになる。 ドガァァ―――ン 足場が震えた。 炎婆の攻撃だ、と直感的にウツロウは判断する。独特な、二刀の攻撃の振動音だった。 同じ階だなっ! ―――ウツロウの耳に、かつかつっと逃げる足音が近づいてくるのが聞こえた。胸元からオカリナを出して、構える。相手はこちらに気づいた様子はなく真っ直ぐに走ってくる。 カツカツカツ……ガツっ 足音が急に止まり、方向が変わった。 「……気づいかれたかっ」 舌打ちしながら、脳内に立体地図を描く。自分と炎の位置、そして敵が移動しうるルート。敵の気配は微弱ながらも読める。問題なのは相手がどんな能力があるかわからない点だ。 このビルには、どの階にも二つの階段と一つのエレベータがある。 裏口側には階段が、正面側には階段とエレベーターとがある。ウツロウが上ってきた階段が正面側の階段だ。 今方向転換をするとなると、どこかの部屋に入ったことになる。 特別な飛行能力がない限り、このビルから逃げ出すことは出来ないだろう。しかし、飛行能力があるならばわざわざ入り口側に走ってくることはない。ならば敵は攻撃を仕掛けるために部屋に入ったことになる。 攻撃。 ―――誰を? ウツロウの脳内から血の気が一気に引いた。 「炎様っ」 気づけば駆け出していた。 冷や汗が噴出す。 敵の妖気は、先ほどまでと同じく一切読めない。気配は感じるというのに。妖気がわからなければどんな種類の妖怪なのかすら特定できない。 炎婆の実力は知っているが、それでも相手の知れない妖怪となると無傷では済むまい。彼は自分の力のコントロールが上手くない。 もしも何かあったら――― 敵が入りこんだと思われる部屋の隣の扉を蹴破る。 隣の部屋で慌てふためいているのがわかる。炎婆よりも先に、すべてを片付けなければならない。ウツロウは入ってすぐ右に曲がり、壁をぶち壊して通路をつくった。廃墟ビルの部屋はほとんどどこも同じだが、敵の入り込んだこの部屋は他の二倍くらいの広さだ。机や椅子が、いくつか残っている。天井から垂れ下がる電線が多くて、視界が悪い。 ウツロウの視界の隅で、影が動く。 一直線に、入ってきた扉へ向かおうとしている。 「鉄壁っ!」 叫ぶと同時に、影の行き道をふさぐ大きな壁が現れた。 勢いはついていたが、影は激突する直前になんとかぎりぎり立ち止まる。 鉄壁の動きは緩慢で、双腕は捕らえようとしたが逃げられた。随分軽い動きだな、とウツロウは頭に敵の情報を書き加える。 身を返し、影は逃げ出す。 その後を追うように、ウツロウの鞭がしなやかに伸びる。 「うわぁぁぁっ」 聞くだけでも痛々しい音が響く。 足を見事に絡めとり、盛大に転んだ。 だが、ウツロウは攻撃の手を休めない。 「行けっ。ちゃんちゃんこっ!」 彼の指令で飛ぶちゃんちゃんこは、一直線に影に飛んでその身を包んだ。 体を締め付けるそれは、強力なの妖怪でも動けなくすることが可能な代物だ。影が必死に抵抗しているのを確認しながら、緊張した面持ちでウツロウは近寄った。 月を隠していた雲がゆっくりと移動した。月明かりが忍び寄り、影の正体が見えてきた。 やはり。 ―――と、金髪は息を呑んだ。ちゃんちゃんこに包まれていたのは、弱い、脆弱な妖怪だったのだ。この程度の妖怪ならば妖気を感じないこともありうるかもしれない。しかも、それは妖怪とは思えないほど清清しい気を纏っていた。 「……けてっ。お願っ……殺さないでくれっ」 ぐすぐすと鼻を鳴らしながら、手足を動かしてもがく。苦しそうなうめき声が、時折もれる。強制的に妖気を吸われるのは苦痛以外の何者でもない。 ウツロウが近づいたのに気づいて余計に意味のない抵抗を強めた。 妖気を吸い取るちゃんちゃんこに包まれながらもこんなに動いていては、この妖怪の命にかかわりかねない。 「戻れ」 ちゃんちゃんこに指令を出すと、黄色のそれは直ぐに布地に戻ってウツロウの体に巻きつく。青いシャツの襟を正してから、ウツロウは近寄った。 まっすぐに伸びたストレートの黒髪。ぴんと立ち上がる猫耳。ぼろぼろのスカートからにょっきと漏れる白い足。足先の赤いハイヒールが、幼い顔立ちとはアンバランスで、やけに艶めいて見える。 首には、赤い輪が締められている。 ウツロウを見上げると、軽く悲鳴を上げて、後ろへ逃げようと必死に両手で床を押す。妖気が強制的に抜かれて、腰や足が動かない。特徴的な垂れ目から、崩れるように涙が零れ落ちていた。恐怖で諤諤と震えている。 「……ないで……殺さないでっ」 ウツロウは安心させるように、優しい声でゆっくりと言った。 しゃがんで、手を伸ばす。 「俺はお前を殺しに来たわけではない。 安心してくれ。いきなり、すまなかった」 ウツロウと手を何度も見比べるが、なかなか猫娘は警戒を解こうとしない。 嗚咽とシャクリを繰り返しながら、無理矢理涙を堪えてウツロウを見上げた。 その瞳に強い意志を感じた。 手を取る気は、ないらしい。 そう判断して、差し伸べた手を引っ込める。腰に手を置き、ぼりぼりと頭をかいた。 いったい、この妖怪は何なのだろうか。 あまりにも無力すぎる。猫耳がなければ人間とも思えるような、あり得ない脆弱さだ。化け猫系の妖怪は非常に量が多いから、いわゆる変異というやつなのかもしれない。 だとすると、彼の周りに漂う清涼感ともいうべきものも、説明がつく。変異種には居心地のよい香りを持つ者がいて、それが妖怪内で高値で取引されることもあるという。 ……では、どうやって彼はここまで生きてこれたのだろう? 在るべき『飼い主』の不在、という、最もな疑問にウツロウはたどり着いた。 可能性は二つある。 一つは、彼の飼い主がみずきを殺した。 もう一つは、みずき自身が飼い主か、だ。 何気ない風を装って、ウツロウは口を開く。 「ネコ天狗のミズキのことを調べにきたんだ。 君は知らないかい?」 猫娘は手で涙をぬぐう手が止まった。 がたがたと、全身がおこりのように震える。焦点が合っていない目で、ウツロウを見た。両手できつく体を抱く姿は、いっそ痛々しい。 「み、みず……き……は…… ……俺が……ころ……し、たんじゃ……ないっ……」 まるで息を吐くかのような、掠れた、小さな声。 内臓の奥底から引きずり出したような苦しいうめき声。 目から涙はこぼれるのに、拭う余裕はない。 急変した様子に、ウツロウのほうが焦った。 「どうしたっ?」 ウツロウが両手を取ると、この世のものとは思えない悲鳴を上げて髪を振り乱す。苦しそうに悶え始めた。過呼吸気味に、はあはあと荒い息を吐く。悲鳴と意味不明の単語に埋もれた口から、時折、哀願の言葉が漏れた。 ウツロウの斜視がちの目が、思わず、鋭くなった。 明白だった。 この猫が、天狗に何をされたのか、言われなくてもほとんどが理解できた。 よく見れば両手足には、古傷のように火傷の跡がある。ぼろぼろに崩れた洋服の合間から、虐待の名残が見て取れた。 ウツロウは首に目をやる。 赤い輪。まるで、彼の首そのものに刻まれているようだが、確かに実体のある輪だ。それは見覚えはなかったが、用途は理解できた。人間が妖怪を飼う為の道具。つまり、妖怪の妖気を奪い去って無力化するものだ。 こんなものを嵌められて、相手をさせられていたら――― どんな妖怪でも、気が狂う。 「くそっっ」 いつの間にか後ろに来ていた炎婆が、静かに口を開いた。 「君の、名前は?」 壊れた空気を一刀両断する透明な声。 混乱していた猫は、その声に、聞き惚れて動きを止める。 首を上げると、真剣な眼差しとかち合った。その目は真っ直ぐで、敵意はなかった。それが故に、視線を逸らし難い強い力が働いていた。 炎婆が近づいても、暴れることはしないでその目に魅入られたままだった。ウツロウがゆっくり離れると、その場所に炎婆がやってくる。 「げき……」 「いい名前だ」 激の脇に手を入れて、軽々と持ち上げる。 そして、胸に抱きしめる。 あやすようにその背中をなで始めると、堰を切ったように堪えていた涙がこぼれ始めた。 「よしよし。……なあ、うちへおいで。 そんな首輪、すぐにはずしてやる。 そんなものでお前を支配しようとしていた奴の死など、気にするな。あんな死体、すぐに消えてなくなる。 お前が案ずることは一つもない」 戻る ・ 今の雑記 |