ビルの怪 1   
06/07/2006


 「だりぃ」
外では燦燦と月が輝いている真夜中十一時。
 げげげハウスで寝転ぶウツロウはぼそりと呟いた。眼前には橙色の頭巾をかぶった怪しげな男が立っている。頭巾と着物とが一緒になっており、見ようによっては合羽のようにも見える。入れとも言っていないのに、彼は玄関から堂堂と乗り込んできてウツロウの傍に座った。
「そーいわないでさー。ウツロウちゃん。
 ちょーっとだけ、そこにいる妖怪を追い払ってくれればいいんだよ。みんな迷惑しているし、人間側で大騒ぎになっちゃうのも時間の問題なんだよね。
 そうなったら色々ここの森にもありそうで困るでしょ?」
にやけながら身振り手振りをつけながら滑らかな口調でアピールする。
 ウツロウがだるいから嫌がると言うのは、きちんと計画の中に組み込まれていた。彼は本当に滅多なことでは動かない。二三度断られたくらいでしり込みする鼠丸ではなかった。
「どうして古いビルの妖怪がここの森が関係あんだよ」
「どうしてもこうしてもさぁー。
 例の妖怪がどうして派手に喧嘩売ってると思うの? 強くなって戦争仕掛けるためだとしたら、一番に手に入れたいと思うのはこの森じゃん。
 そりゃ今は妖怪とハーフなおまえさんがこの森の主に収まっているから安定しているけどさ、普通ここは凄い力をくれる土地で、あやかしの世を治めたい奴が絶対狙うんだぜ。新興の妖怪でここを狙わない奴はいないっての」
「絶対じゃねえ。
 凶星どもは狙ってねえな」
それは事実だったが、そんな反論で鼠丸が納得するはずがない。
「なーに言ってんのよ。
 それは『あの方々』の内部協定のお陰でしょ。もうちょっと危機感持ったほうがいいよー」
このままでは埒が明かない。
 そう判断し、彼は部屋中を見回した。普段なら数人はこの部屋にいるのだが、目玉の奴も子泣きの爺も姿がない。注意深く見ると、暗い部屋の片隅に動いている影を見つけた。
 箪笥の一番上に、紫の着物を着ている男が座っていた。彼は、一心不乱で壷を磨いている。
 見ぃつけたっ。
「ねーっ。そう思うでしょ。炎ちゃん?」
鼠丸はいつもより倍は大きい、少し高い声音で叫んだ。
 いきなり話を振られて、思わず炎婆は吃驚して手がすべる。

「おっと!」

声とともに、壷が垂直に下へ落ちてゆく。
 眠くて眠くてしょうのなかったはずのウツロウは、完全に覚醒した。
 壷の中には大量の零の実が入っている。
 妖ではない命あるモノに妖怪の命を与えるというおぞましい実で、それはこのげげげハウスを構成している木も例外ではないのだ。炎婆が壷落とすたびに、何度もハウスが崩壊していた。
 ウツロウは通常の妖怪では決して見ることのできない速度で移動する。
 鼠丸が炎婆に気をとられたその一瞬で、彼は棚の下まできて壷をキャッチしていた。
「……炎様っ。頼みますから、高いところで壷を磨くのはお止めください」
低い声を震わせながら、ウツロウが叱ると、すたんと真横に炎婆が降りてきた。
「すまんすまん。
 まさか落ちるとは思っていなくてな」
「あれだけ毎度ど迷惑をかけていて、なんで思わないの……」
鼠丸が多くの森の住人の心情を代弁するが、紫色の着物に身を包む炎婆は、あはははと軽快に笑って流した。
 彼の場合それで流されてしまうから、世の中不公平だと思うという鼠丸の尤もな意見はとりあえず腹の底にしまっておく。ウツロウは炎婆だけには異常に甘く贔屓上等の正確なのだ。
 炎婆はウツロウから壷を取って、両手に大事そうに抱きながら振り返る。
「それはともかく、鼠丸。
 古いビルのその妖怪とやらは、強いのか?」
「まー強いんじゃないの。
 なにせあの東京十指にはいる奴らの一人くらいは屠ったって聞いているぜ。八手みたいに妖怪食ってパワーアップするタイプだと厄介だとかで、皆手を出してないけどさ。
 俺が思うに、それはないと思う。
 その古いビルの周辺で人が消えたっていう噂はないんだ。人を食わない妖怪が八手タイプっていうのは聞いたことないからね。まあどちらにしても、強いことにはかわりないか」
「十指の誰だ?」
「みずき。ネコ天狗の」
あれが? と炎婆とウツロウは同時に目を剥いた。
 ネコ天狗とは古参の妖怪の一匹で、二人とはあまり仲が良くない。だが実力はかなりのものだったはずだ。東京は十指と呼ばれる妖怪によって正確に統治区分を区切られている。今更その均衡を崩そうとする妖怪は、確かに腕に覚えがあるといっていいだろう。
「面白そうだな。
 世界征服するにはそのくらいの困難は……」
「駄目です。
 無理です。
 ていうか、東京の妖怪は東京に任せておくほうがいいので、炎様が行って無駄に弄くらない方が良いです」
炎婆の声が少し弾んでいるのに気づいて、ウツロウはぴしゃりと釘を刺しておく。
 強烈すぎる力を宿した彼が入ると事態が混乱するので、この森に閉じ込めているのだ。本当はもっと適した監視役がいるのだが、今日は運悪くウツロウしかいなかった。
 炎婆が行きたがっていると悟った鼠丸は、ばれないように内心ガッツポーズをとった。彼を味方につければ話は上手く運ぶ。
「面白くないこと言うねーウツロウちゃん。
 でも、だから、それは無理だって。この森に来る可能性があるって何度も言ってんじゃん」
そういってやると、予想通り食いついてきた。
「そうだそうだっ。
 そ、それにだな。大事になってからでは大変だから、先に調査だけでもしておくというのはどうだ? 相手の妖怪がいったい何なのか、それを知っておくだけ悪くないだろう? なあ」
にこにこと笑みを浮かべながら、ウツロウを説得しようとする。彼の高いテンションに、むぅー……と金髪のかかる眉間に皺がよった。
 困った。炎様がどうしても行きたがっている。このまま無視しては昼寝(夜だが)出来ない。

「調査、だけですよ」

と、仕方なく、釘を刺しながらも許可を下ろした。危険があればすぐにでも帰ればいいし、それに、調査だけならばとっとと終わる。そんな男の思考を知らず、炎婆は純粋に喜んだ。ここ最近、興味をそそる事件がなかったし、少しも森を出ていない。たまには大暴れしたいのだ。
「やったぁ」
まるで小学生が明日は休校だと担任の先生から言われたように、無邪気に、はねるように、手放しで喜んだ。
 手放しで。
 ―――思わず、炎婆は諸手をあげて喜んでいたのだ。
 大事に抱いていたはずの壷は、当然また落下を始める。
 今回は、天下のウツロウも反応が遅かった。
「ぴぎゃっ!」
巻き込まれたくない、と鼠丸が悲鳴をあげる。ウツロウが目を剥き、炎婆は固まる。
 壷は凄い速さで、床に当たった。中に入っていた物は、なかなかの重さがある。

 がしゃぁぁん

 いい音が響き、結局、三人の出発は三日ほど遅れてしまったのである。





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