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零武隊では、将校たちは早めに寮を出て、陸軍特秘機関研究所の休憩室に待機するのが慣習となっている。それは古参の炎や真、はたまた日明大佐が新兵として入隊した頃からある慣習で、真っ白な軍服と同様一種の名誉に近い。すなわち、そこに参加できるということは零武隊でも重要な役割を果たす者であり、そこに参加しうるからには必ず出席しなければならない。 特に、一番年若い茶羅は、皆よりもさらに早くに来て全員分の珈琲を淹れて待っているのが日課だった。 とりわけ茶羅が居るのか居ないのかというのは、将校クラスにとっては重要な情報だ。 彼が出ているときは特殊な潜入捜査の最中であり、すなわちそれは大事件の前触れでもある。 しかし今日は、茶羅だけではなく激も先に出てきていた。出てきた、というのではない。実は昨夜の肝試しに案外時間がかかってしまい、結局寮が閉まる時間までに戻ってくることが出来なくなってしまったのだ。仕方なく二人は研究所で一夜を過ごすことにした。 「へっへっへっ。 ぜってー皆吃驚するぜー!」 ガリゴリとコーヒー豆をひく男の顔は明るい。 それもそのはずで、茶羅と一緒に行った自主的捜査は、始めるまでは色々あったものの、その後は恙無く終ったのである。物音がしたとかで激が恐怖に囚われかけると、必ず茶羅は簡単なフォローを入れてくれた。お陰で、鐘の下までたどり着いてそれを鳴らしたとき、激の精神はあまりにも余裕があって、軽くそのまま持っていた酒で月見を楽しんだくらいだ。その所為で鍵がかかったと思うとまずかったとは今は二人とも少し後悔している。 やっぱ俺って怖がりじゃねーよ、と激は思ってほくそ笑んだ。 「しかし、外観で思っていたより案外広かったですね。……時間を頂ければ地図くらい入手できたのに」 「まあそう言うなって。 ……と、来たぜ! 皆」 遠くから近づいてくる足音に、おや、と茶羅は眉を跳ね上げさせる。普段よりも三十分も早い。しかもその音、かなり荒い。珈琲は先に激と自分の分を淹れておいたから良いが、何かあっただろうか。 扉が勢いよく開かれた。 「失礼するっ」 荒い口調で入ってきたのは、金髪の仕官。 続いて炎、真。 扉は空けたというのに、三人とも戸口のところで足を止めた。 一番勢い良く入ってきた現朗でさえ、眉間に皺を寄らせながら立ち竦む。 「おっはよー。 よーしっ。じゃあ俺様の昨日の素晴らしい活躍をおめえらに聞かせてやるからなっ」 激が来い来いと手を振るが、近づこうとしない。 「……昨日、何かあったのか?」 「何言ってんだよ、真。 俺のちょっとした怖がりが治るかどうかで、証拠みせたるっつたじゃん。茶羅が証人だぜ」 なぁー、と満面の笑みを浮かべて同意を求める同僚に、そうですねと淡々と返した。 滝いったばかりの珈琲を、激の座るテーブルに人数分並べる。 だが、いつまで経っても三人がこちらに寄ってくる様子がない。少し蒼褪めた表情で、互いに見合ってこそこそ呟いている。 お盆を持ったまま、おかしいなと茶羅は小首を傾げた。 「えっと、そ、そうだな。 それで、証拠とは?」 尋ねたのは真。 その不自然さに嬉しすぎる激はさっぱり気づかなかった。待ってましたとばかりに録音機を三人の方へ差し出して、ぱちりとスイッチをいれる。 軽い雑音が入った後、茶羅独特の無色透明の声。 『ヒトハチヨンマル。 これより、自主的調査を開始する。 調査対象、水神町三丁目六番二十号の不審家屋。 築四十年弱。 調査目的、対象の屋根付近に取り付けられた鐘の検証。 調査員、激、茶羅』 「ここ、すっげー有名なお化け屋敷なんだぜ! 鐘があってな、それが呪われてるって有名で、地元でも誰も近づかないんだ。 それを夜に入って肝試しに行ったんだっ、たった二人で!」 「成る程な」 声は、全員が全く予想してないところから聞こえた。 首を回せば、窓に顔。 勝手に器具を持ち出したことを慌てる激を尻目に、日明大佐が開け放たれた窓から軽い身の腰で入ってくる。そして、現朗たちの下へ寄った。 「……日明大佐、此方へみえていたのですが」 「あれが入っていたら、流石に私でも放っておけん。とにかく急いで来たのだが」 真に説明して、それから二人を見て小さく嘆息する。 「だぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ。 もういいやっ! 大佐もよっく聞けよ。俺が怖がりが治ったって証拠だぜっ!」 『……偶然ですよ。 士族が没落するなんて、あの時代はざらにあることじゃないですか』 『そ、そうだよな…』 "そうだよ" 茶羅と激の目が、一瞬点になる。 なんか、今、変な言葉が入っていたような気がするのだが。 昨夜の記憶を掘り起こして今の音を必死で探す。 何かおかしい。 ―――と、その当然すぎる疑問は、次の一瞬で溶解する。 『こんにちわっ! おじゃましまーすっ』 "はいどうぞー" 「ギャァァァァァァァァァァァァ――――」 「うわぁぁぁっ!」 絶叫が部屋を揺らした。激は椅子から落ちる。茶羅は近くのテーブルに手を突いた。それを見る四人の視線は冷たい。漸く気づいたか、と白服三人は嘆息した。 録音機は激の手を離れ、床に転がり落ちる。 しかし、何故だか機械は止まらない。 『緊急事態! 緊急事態だからっ!』 『しょうがないみょー』 "まあ" "愛らしい、愛らしい、欲しいね" "じゃあ奪うしかないねぇ" 茶羅は、初めて理解した、悪寒が走るというのがどういうことなのか。 足どころか、手も目も動かない。瞬きすら出来ずに完全に固まった青年の足元で、激は錯乱して泣きに入っていた。 日明大佐は手に護符を持って、大股で近づく。 ありえない悪寒を覚えて飛び起き、その瞬間、研究所に何かが入り込んだのは理解していた。もしものことを考えて特別な護符とカミヨミ特製の御守を持ってきたが、今回ばかりはその判断は正しかったようだ。 ぺたぺたと二人の体に貼っていく。 カミヨミの御守がなければ、おそらく近づくことですら困難だっただろう。ただ傍に寄るだけでこれほどの霊圧を感じるなんて、妖怪だとしてもかなりのレベルに相当する。 符をはり終えた大佐は、ズボンのポケットに入れていたインクの小瓶を取り出し、小筆で激の額からすらすらと経文を書き始めた。 書きながら思った。まあ、逆に言えば、この二人がここまで持ってきてくれたことは良かったのかもしれない。 陸軍特秘機関全体に凶悪なカミヨミの結界が張られている。お陰で二人の命は助かったのだろう。 かたかたと周囲の椅子やテーブルが揺れ動く。 それは明らかに人の力ではない。 彼女が封印を始めたのと同時に、真と現朗は部屋自体に結果を張るために持ってきた符を貼り始めた。その横で、炎が独特の『言葉』を低唱しながら天地交泰禹歩法を行って結界を強くする。 録音機はまだ恐怖の音を流し続けていた。 編集したわけでもないのに、順番は滅茶苦茶。妙な雑音。そして、ところ何処に入るはずのない声。 『鐘の階段、見つけたみょー』 『茶羅、でかしたっ! じゃあ早速鳴らすぞ』 "嗚呼、それはダメだよ" "それだけはやっちゃならないよ" 『さ、早するみょ』 『そうだな』 "お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止め、お止" カァァァ――――ン そこだけ、あまりにも澄んだ音。 炎も真も現朗も、手を止めて二人の方へ振り返る。 茶羅の恐怖は頂点に達した。 噴出す汗。喉がからからに渇く。声が出ない。 それは、その鐘の音が明らかに自分の中で響いたことを自覚したからだ。 霊感はあると思う。多量の霊に憑かれて全く気づかないなんてありえない。 なのに、わからなかった。 それは、気づかせないようにする力が働いたからだ。 そして、あの澄んだ音が、全身を駆け巡った。 問題なのは憑いている霊ではない。問題なのは、あの鐘。 ―――もう既に、何かが自分の背筋の当たりに潜んでいるのだ。 茶羅の思考を読み取ってか、ぞわぞわと何かが蠢く。何かが笑う。何かが支配しようと動き始める。 恐怖心が最も危険だと判っている。 なのに――――なのに、泣き叫びたくなるほど怖い。 普段生意気な垂れ目が見開かれ、小刻みに震えている。パニック寸前の状態であることを察して、日明大佐は何かを言いかけようとした。が、それを止めて口をつぐむ。 「この馬鹿茶羅ぁぁぁぁぁ――――っ!」 怒声と共に転がりこんできたのは、研究員。 水色の髪と大きな瞳。白衣にも関わらず、腰には太刀に近い長さの刀が二本ぶら下がっている。 零武隊顔だけモテモテコンテストでは常に上位に入り、女装すればホンモノと言われ、ある隊員(男)をモノにしようと必死の片想い中の茶羅と同室の男。 「雹、遅いぞ。 この馬鹿ども処理は頼んだからな」 雹と呼ばれた青年は腕組みをしながら二人を見下ろしたまま、眉間に皺を寄せた。零武隊の後方支援の研究員にも関わらず、零視の実力は零武隊の中でも屈指で、除霊に関してはエキスパートだ。ついでに刀を抜けばその実力もなかなかなものと蘭も知っている。 「……結構時間とりますよ」 雹の目には複雑に絡み合った悪霊の姿が見えた。それが茶羅と激の体にほぼ完全に一体化している。こうなってしまうと厄介だ。ただの霊だけでは取り憑くことはあっても一体化までは出来ない。今、二人には複数の霊が合体して悪霊化していた。 さらに目を凝らすと、核が見える。 核を通して、雹はその霊の正体を理解した。 鐘の美しい音に魅了された人々の魂――――そう鐘が、素晴らしい鐘であるために、その聴衆として囚われた人々の霊。攻撃的ではない、ただ存在するだけの、だが、取り付いた者の命を時間をかけても確実に奪おうとする、最も危険なタイプだ。 「三日以内になんとかなるか?」 「……急げば」 「じゃあ仕置きも兼ねて四日間やる。 こいつらには本っっ気で思い知らせろ」 蘭は立ち上がって長い髪をかきあげた。 「大佐、除霊ならば、雹ではなくとも私がっ」 「お前は激に甘い。 同室の連帯責任として、こいつらが勝手にいった館とその鐘を零にするのは、現朗、お前の部隊に任す。 ……ったく、これだけの力を秘めたものが何故わが国に来ていたのだか……」 嘆息する蘭の後ろで、雹の『愛の除霊』は早速開始されていた。 耳成法一状態で床に転がっている茶羅と激にげしげしと蹴りをいれつつ、溜ったストレスを晴らす。 「ちょっと! 昨日部屋に戻らないと思ったら何遊びに出かけてんだよっ。お陰でパックの時間間違えちゃったじゃないかっ。 ――――あああ? しかも変身したな勝手に。僕の命令だけ聞いていればいいんだよっ」 「だって仕方なかったんだみょ――――っ」 「言い訳するなっ!」 「うっせえっ! 男が男を上げるための修行に出たんだ、カワイ子ちゃんは黙ってろっっ」 雹の襲来で普段の調子を取り戻した激が非難の声を上げる。その顔を踏みつけようと足を伸ばしたが、ひょいと軽くかわされて床につく。腰が抜けて立てないが、激はそのまま一回転して茶羅を抱えて雹から遠ざかる。 激はともかく、茶羅が素直に自分から逃げたのは気に食わない。 ……仕置をしていい、って、いってたなぁ大佐も。 秀麗な男は覚悟を決めた。 「……僕に意見するとは生意気だねぇ。 自分がどういう状況か、教えてあげようか?」 うふふふふ、と含み笑い。 美形がやるとそれが様になるから困る。二人はその様子から目が放せず、ごくりと生唾を嚥下した。 雹は霊を実体化させる呪を口ずさみ、その声にあわせてゆっくりとそれらが形を現す。 霊は、茶羅と激の体に一体化しているもの―――だけではない。鐘の所為で視界を阻まれていた激と茶羅の目にも、今の『状況』が映った。 その数、十や二十ではない。 軽く百を超える死体。 天井、床、壁から生える。部屋中びっしりと、二人を取り囲む。 その全ての死者の顔が、二人の方へ向いているのだ。 目が合うと、一斉に、にたりと笑う。 "いらっしゃい" 『ぎゃぁぁぁあああああああ――――っ』 「うっさいよ!」 げしっ。 強烈な一発をきめつつ、研究員は淡々と仕事を始めた。 状況を理解すると、二人は大人しくなった。……というより、完全に意識を失った。 部屋の隅で結界を張り終わった炎と真が、嘆息をつきながら部屋を後にする。零武隊の主要メンバーの半数が動けないからには、どうやら今日は倍働かなければならないようだ。 除霊だけでも三昼夜かかり、鐘の駆除は現朗が行い、その間に炎が素敵な異星人スキャンダルをでっちあげて合同演習は延期となった。 結局のところ激の怖がりは悪化し、お化けの話もダメになってしまったのである。 |
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茶羅は丸いものに変身できると思うんですが。どうかな。