・・・  なくて七癖 1  ・・・ 


   どうでも良いと思っていた。
 きっとそれはどうにもならないことだから。
 だが、運が悪かった。それ以外に言いようがない。
 どうにもならないことが、どうにかしなければならない問題になってしまったのだ。

 *****

 「……この場にお前らを呼んだのは、他でもない、激のことだ」
日明大佐は揃った四人を見て、重々しく口を開いた。
 真、炎、現朗、茶羅――――
 今現在、陸軍特秘機関研究所に居る将校のほぼ全員だ。彼らは、寮から官舎に来るなりすぐに日明大佐に呼ばれた。大事な作戦かと思って急いだ四人は、激という同僚の名前に一瞬表情が強張る。
 この場に唯一いない将校、激。
 兄貴のような癒しオーラを持つとして定評のある男だが、決して問題―――勿論、大佐がこのような顔をするような、問題だが―――を起こすような人物ではないことを彼らが一番良く知っている。
「先週、激と共に北へ遠征へいったのはお前達も知っている……か。
 現場は山奥だったのだが、運良く近くに古寺があってな。僧侶は常駐していないが、月に何度か訪れるらしくて手入れが行き届いていた。
 宿泊はそこを借りたのだが……」
「その遠征で何か問題が? 報告では事件は上手く処理をされたことになっておりましたが」
堪えきれず現朗が口を挟むと、日明大佐は首を横に振る。
「……事件は問題はなかった。むしろ私が行くまでもないし、激一人に任せても良かったのかもしれん。少々浮ついた面はあるが、部下の心を掌握するのには長けているし、あいつの部隊はなかなか良い動きをするからな。もしかしたら奴だけとしても役不足といえるような事件で――――
 ―――すまん、話が逸れた」
珍しく饒舌な大佐は、こほんと咳払いをして気を鎮める。
 事件が起きたのは先週のこと。そして、その後一時はその果てしなく下らない問題について心を痛めた。が、結局は、その解決を放棄することに決めた。
 なんかもう絶対どうにもならないことだとわかったのだ。
 だが、そのどうにもならないことが問題になってしまったのは、昨日。
 一通の指令が来た。
 日本陸軍第三師団との泊りがけの合同訓練、という内容だった。


「……………………激の怖がり、どうにかならんのか?」


場に、重い沈黙が下りた。
 茶羅一人、周りの空気についていけずに戸惑ったものの、いつもの張り付いた笑みで誤魔化す。彼以外は、激の怖がりについてはよく――――それはもはや知りすぎるといって差し支えのないほど――――知っている。
 茶羅は激と共同の任務についたことがない。
 彼の得意とするのは情報収集で、しかも零武隊の中でもかなり特殊な地位にいる。激の怖がりについては噂で聞いたことはあったが、彼は階級を気にせずに親しみ易い雰囲気があるから、余計に部下達が言うのだろうと思っていた。確かに化け物退治の化け物が集まる零武隊にいながら、お化けが怖いというのは不思議に感じたが、そのくらいの欠点の一つや二つ、他の性格に大問題を抱える人々に比べればたいしたことはない。
 他方、彼女の一言で言わんとしていることは概ね理解した現朗は、小さく嘆息してから口を開いた。
「何かありましたか」
さっきまでは不安と緊張で白い肌が蒼褪めていたのに、今は別の意味で暗い表情だ。
「先日の遠征中、深夜に歌が聞こえて、目が覚めた」
ひく、と現朗の頬がひきつる。

「暗闇が怖いとかで、童謡を歌いながら目を瞑って歩く馬鹿を見たのは初めてだ」

嗚呼、と低い声を漏らしたのは真と炎。その情けない姿を瞼の裏に浮かべながら目を瞑る。彼らもそれを見たことがある。
 半泣きで、目を瞑って、壁にぶち当たりながら、下手な歌を合唱する同僚の姿を。
「……しかも、見回りに行った私を見るなり、あいつ、少々錯乱してな」
錯乱となんだかマシな言葉をつけているが、単に大泣きしただけだと現朗は察する。「出たー」だの「化け物ー」だの「ごめんなさーい」など、きっと彼女が呆れるような情けない言葉を上げたに違いない。一旦泣き始めると止まらないのだ。
 彼の想像概ね正しく、思い出している間にも大佐の眉間に数本の深い皺が刻まれていく。
「殴って蹴って頬をはたいてようやく正気に戻ったのだが、今度は離れなくなった。もうどうしようもないから同じ布団で寝かせてやったのだが」
なんか今さらっと凄いこと言わなかったか、と茶羅だけはぎょっと目を見開いたが、大佐を始め全員が何も言わないので直ぐに興味のない素振りを作った。
「……次回の合同訓練、激の部隊しかおらん。
 それまでになんとかしたい」
「差し出がましいようですが、激をなんとかするよりも合同訓練を断った方が宜しいかと存じますが」
「それも考えたのだが、元帥がお膳立てをしてくれたものだからそういうわけにもいかなくてな。
 お前達の仕事を激に代わらせてみようかとも考えたが――――
 まあ、無理なのはわかっているだろう。
 合同訓練の隊長は佐官以上が必要だから、隊員を昇格させようともしてみたのだが、時間が足りん。激の部隊に変装術を訓練させてはみたが、いまいちだった。
 正直、国際会議で突然の大事件を起こして訓練を延期させるか、それとも激の性格を治す方が良いのかを決めかねている状態だ。
 ――――そこでお前達を呼んだわけだが」
そんなに凄いのかい。
 喉元まででかかったツッコミを留めるのに茶羅は一人必死だ。
 だが現朗と真と炎は、成る程、と当然の様に深く頷いただけだ。
「私の意見としては――――」
炎が初めて口を開く。

「アレを治すくらいならば国際級の事件を起こす方が容易いかと」

「そっちですかっ!?」
「……そっちだろうな」
思わず声をあげた茶羅に、真は横から説得させるように答えた。三白眼に見据えられて、年若いエリートは一瞬たじろぐ。
「やはりそうか。
 国際級となると――――良い会議か何かあるか? 日本陸軍が混乱するような規模の会議が必要となるわけだが」
「それより以前から考えていた『異星人来訪計画』を実行に移してはいかがでしょうか。
 現朗と真がかなり詳細まで詰めましたし、丸木戸教授の方でも異星人が乗ってきたと言っても相応しいような飛行物体を完成させました。しかも丁度今は、大英帝国の麦畑にミステリーサークルが出る時期です。
 一旦火をつければ世界中に飛び火するかと」
「確かにあれならば即座に実行に移せますね」
炎の意見に現朗が賛同する。
 そうか、と大佐は息をついた。
「非常事態だ、仕方がない――――」

「なんでだよっっっっ!」

窓からの咆哮。五人は同時に振り返る。
 外から窓が開らかれて、問題の渦中の白服が不満たっぷりといった顔をしてするりと入ってきた。特徴的な垂れ目できつく友人たちを睨み、それから、大佐に真っ直ぐに向かってくる。実は、自分だけが呼ばれないのが気になって、外からこっそり盗み聞きをしていたのだ。
「合同訓練くらい、俺の隊だけで大丈夫ですっ」
激が両手をついた衝撃で一瞬机の上の物が浮かぶが、大佐は平然と見返した。
「……お前の隊の実力は知っている。
 だが、零武隊というのは軍でも特殊な地位にある。
 偏見と先入観はわが隊にとっては重要な武器だ。嫌悪されて敵視されてこその零武隊だ。
 ……それゆえ、合同訓練という場も大事な要素だということは、お前もわかるな?」
ぎらり、ときつい眼光に一瞬身を引きそうになる心を抑えて、激は生唾を飲み込んだ。
「その先入観を、俺の隊が合同訓練に出たら傷つける、つーんっすね?」
「隊長格が夜中に童謡を朗唱していれば、まあ、思われることもあろう」
激の顔がさっと紅潮し、再び力任せに机を叩きつけた。悔しさと比例してかなりの強さだ。横に積んであった書類の束が、耐え切れずに床に雪崩落ちる。
 が、彼女は眉すら動かさない。
「それはあそこが古寺だったからっつたじゃねえかっ!
 便所の隣に墓場がありゃ誰だって怖くなるだろっ。
 普通のとこだったら全然怖くねーよっ!
 一人で行けるわっ」
捲くし立てる激の肩に、ぽん、と三人の手がほぼ同時に置かれる。
 疑問符を浮かべて振り返ると、友人たちは暗い表情。

『無理言うな』

見事に、唱和した。
 真実の言葉が鋭く激の胸を突き刺す。
 自分だけ除け者にされた怒りと、欠点をずばり指摘された羞恥心と、そして、信じてもらえない絶望感と――――
 様々な感情が錯綜する様子が激の燃える瞳から読み取れた。
 それでも、現朗は目を逸らさなかった。
 友としては助けてやりたい。だが、零武隊の隊員として、一人の武人として、不可能なことを挑戦するという無意味な行為は避けなければならないという判断が働く。
 彼の気持ちは、当然激にも伝わった。
「……俺がちょっびっと怖がりっつーのを治すのが、んなに、難しいことなのかよ」
呻くよう尋ねた。
 金髪は躊躇無くしっかりと頷いた。
「異星人を作りだすよりもかよっ!?」
「異星人が居る可能性は僅かに存在する。
 だが……」
すう、と現朗は一息ついて。

「お前の怖がりが治る可能性は無い」

 くわっと開かれる目。
 それは彼の本気の時に表れる顔。
「皆無だな」
と、後ろで大佐がぼやき。
「絶無だ」
と、横の真も言い返し。
「有り得ん」
追い討ちのように炎も賛同する。
 茶羅だけが、きょろきょろと不安げに同僚達を見渡すばかりだ。
 激は俯き、きつく拳を握り締め、浅い呼吸を繰り返す。
「よぉぉぉぉ――――――――く、わかった」
「……わかってくれたか」
現朗が安堵しながら友人に近寄る。
 激は彼らの酷い反応に諦めたのだ。

 彼らを言葉で説得することを、諦めたのだ。

 がばっと顔を上げて、その攻撃的な目に思わず現朗は足を止める。
「ああわかったよっ。
 おめえらが信用できないっつーんだったら、治してやるよっ!
 明日にでも治して証拠見せてやらぁぁぁぁぁぁぁ!」
そう、高らかに宣言するなり、彼は壁をぶち抜いて走り去ってしまったのだった。