・・・  なくて七癖 2  ・・・ 


 仕事が終って三分後、陸軍特秘機関研究所に激の姿はなかった。
 同僚が馬鹿らしいことをするのではないかと心配した真と現朗は、やはり馬鹿らしいことをしたようだと察して、低く落ち込んだという事件はさておいて。
 激は隊服を脱いで町にいた。
 その横には、握りこぶし一つ小さい茶羅がてくてくと並んで歩いていた。
「えっと、事態がつかめないんですが」
「だからよー。
 この先にさ、ここら辺じゃちょっとばかし有名なお化け屋敷があるんだ。
 その屋敷の一番上に鐘があってなー。それ結構綺麗だから、俺もみたことあんだけど。で、夜中にその屋敷に入って、その鐘を鳴らせばさ、怖がりじゃねえって証明できるだろ?」
「いや、そちらではなくて。
 ――――何故私が?」
「証人。
 おめー大佐からの信任も厚いじゃん。
 現朗と真はむかつくから絶対頼まねーっ!」
「でも、私一人では証人としては足りないような気がするのですが……」
安心しろよ、と激は懐から掌に収まる程度の大きさの黒い鉄の塊を取り出す。
 零武隊の特殊な発明品の一つで、茶羅には見覚えがあった。二時間弱、機械の内部に周辺の会話を記録することが出来る。諜報活動には良く使うのだ。
「これで完璧だろ」
にっとイタズラっぽく笑うその顔に、茶羅はそれを無断で借りたことを察した。たかが怖がり一つに随分だな、と思わないでもない。
「……本気ですねー」
「あそこまで言われて黙ってりゃ男が廃るってもんよっ!
 オススメの旨い酒をおごるからさ、頼まれてくれよ。
 な、茶羅」
まだ空は明るいが、次々と小料理屋に灯かりがともり始め、行き交う人々が時を追うごとに増えていく。激と茶羅と同じ様に、夕飯代わりに一杯楽しもうとする男達が町に出てくる時分だ。それを掴もうとする客引きの女の声。賑やかになった街の雰囲気を見れば、外で久しぶりに食事をするのは悪くない。
 どうせ帰りに寄り道をするだけのこと。
 悪くない取引だ。
 ……それに、そもそも、激殿に頼まれてしまっては断ることは出来ないな、と茶羅はこっそり苦笑した。
「……しょうがないですね」
あくまでも勿体つけて返すと、激がにぱっと明るく笑った。その顔に、突然攫われた怒りも疲れもふっとんでしまう。
 激の足が、大通りに並ぶ一軒の店の前で止まった。店内はかなり人がはいっているのだろう、明るい声が外まで伝わってくる。いい香りが二人の空腹を刺激した。
「ここ、旨いんだよ」
「……へえ、案外近いですね」
「この前現朗と見つけたんだ。
 ま、期待してくれよ!」
言いながら暖簾を潜ると、いらっしゃーいという声が飛んできた。
 


******


 激が言うだけのことはあって、そこの店はなかなかの味だった。
 明日の仕事があるので酒は控えたが、土産に持って行けと激は茶羅に半升持たせてくれた。
 茶羅は激のことを慮って食事を早めに切り上げたので、まだ道には多くの人いた。店からそのお化け屋敷は離れておらず、到着したときはまだ黄昏時だった。
 赤に薄く染まったその屋敷は、確かに、人がよりがたい雰囲気があった。聳え立つ三階建ての上、小さな鐘がみえる。何処からか聞こえるカラスの鳴き声。夜に駆逐されかける太陽の弱い日差しは、館にきつい陰影を与え、その不気味な空気を一層盛り上げる。
 お陰で、茶羅はある意味で興が醒めた。こんなお膳立てされたような場所では、正直怖いなんて思わない。これ以上の体験はたくさんしてきたのだ。
 ……が、同じく沢山怖い体験をしてきたはずの隣の男は、気持ちよいくらいに思いっきり怖がっていた。
「明るいうちに終らせたほうが良いでしょうから、始めますか」
「お、おうっ」
真っ青な顔をして、上擦っている声を出す同僚に、茶羅は苦笑いを浮かべる。
 いつも使っている機械のスイッチを入れて、門番代わりの柵を軽やかに飛び越えた。
「ヒトハチヨンマル。
 これより、自主的調査を開始する。調査対象、水神町三丁目六番二十号の不審家屋。築四十年弱。調査目的、対象の屋根付近に取り付けられた鐘の検証。
 調査員、激、茶羅」
声を記録させながらざくざく進む茶羅に遅れて、柵をようやく乗り越えた激が後ろから声をあげる。
「な、なあ、どうしてあんな鐘があるんだろうなっ! ってか、ここの屋敷、ちょっと変わっているよ、なっ」
「ああ、あれですか。
 さっき店の方や地元の方から聞いたので信憑性はいまいちなんですが。
 明治に変わったて直ぐに家を改築したとかで、その際、西洋の建築家を呼んだらしいんですよ。そしてその男が取り寄せた鐘を付けたとか。
 そしてそれから数年後に没落したみたいです。その後買い手がつかず家は荒れ放題になんですって」
「それって呪われてねぇぇぇ――――っ!?」
ぶわっと涙を零す様があまりに面白くて、茶羅はとうとう堪えきれずにふふっと笑ってしまう。
 小生意気な仕草だが、今はそれを気にする余裕が激にはない。
「偶然ですよ。
 士族が没落するなんて、あの時代はざらにあることじゃないですか」
「そ、そうだよな…」
「では入りますよ。少しはいつもの元気を取り戻してください、激殿」
「お、おうっ」
西洋風の引き戸のノブに、茶羅は手をおきながらそう言うと、激も少し勇気付けられたのか深呼吸を繰り返した。
 鍵はかかってなく、簡単に開く。
「こんにちわっ!
 おじゃましまーすっ」
激の怒声が館を震わす。
 だが、返ってきたのは当然ながら重過ぎる沈黙だ。真っ暗な空間をきょときょととみるうちに、激はやる気は一瞬で萎えていった。
 思っていた以上に不気味だし、なんだか薄ら寒い。びゅうーと冷たい風が激のうなじを撫でて、ぞわりと全身が粟立つ。

 ここ、やっぱ怖いトコなんじゃねーのっ?

 そう一旦思い始めると、思考は一気に暗いほうへ傾く。
「ち、ち、ち、茶羅!
 すまねっ、へ、変身してくれよっ」
前を行っていた男の襟をぐわしと掴んで、引き寄せた。
 腕の中の青年はやれやれと嘆息している。
 頼むよぉ、ともう一度いってやると、彼は大きく息を吐いた。
「大佐に一応止められているんですよー、緊急事態以外はするなって」
「緊急事態! 緊急事態だからっ!」
このまま彼が動けなくて、時間をかけるのは面倒だ。
 それに、明日の仕事だってある。
 仕方なく、懐から変身用の煙玉を取り出し、思い切り地面に叩きつけた。玄関一瞬で煙くなり、激は反射的に目を瞑った。
 薔薇の甘い香り。
 その中から、小さな塊が現れる。
「しょうがないみょー」
大人が抱きかかえるのに丁度良いサイズの球体。それにグローブ状の手と靴のような足がつき、特徴的な異国の帽子を被っている。ほっぺにはぐるぐるの渦巻き、小さな瞳に小さな口。声さえ出さなければ丸っきり人形だ。
 その愛くるしい生物を、激は後ろから抱き上げて頭に載せる。
 茶羅は、変装が得意だ。
 そして、変身すらも可能であることは、零武隊の中でも最高機密の部類に属する。
「すまねえな」
「だからポクを連れてきたんだみょー?」
拗ねたように言うと、お前しか頼めねぇだろ、と激はいけしゃあしゃあと返した。
 表情の緩んだ青年は、土足で玄関を上がる。
 長い髪を握り締めて、茶羅はバランスよく座っていた。どこに持っていたのか、電灯を取り出して明かりをつけた。暗い廊下が人工的な光で照らされた。
「さっさとすませるみょー」
「おうよっ。じゃ、行くぜ」