イラスト
 ・・・  一発・解決。  3  ・・・ 


 生暖かい風が吹いた。
 家の中なのに、おかしいなと少年は違和感を覚える。
 作り置きの昼飯を、一人で食べていた。家の主たる日明蘭は、ここ二週間一度も家に戻ってこない。いつもならば仕事が忙しくてもそれなりに連絡もあるのだが、珍しく手紙も伝言も一切なかった。
 午後から近円寺邸へ出かけることになっていたので、すでにいつもの軍服を着ている。主菜、味噌汁、ご飯が綺麗に等分ずつ減っていた。子供の頃から骨の髄まで身につけられたその動きは、少年の刀捌きと同様に無駄が一切ない。
 少年は心を沈めて気配を探ったが、庭におかしな気配はない。ただ一回だけ家の中で風が吹いた、それだけだ。
 が、何かあると確信を持って、箸を置く。
 感覚を鋭くして気づいた。この部屋に、知らない匂いが漂っている。
 立ち上がり、振り返って障子に手をかける。
 少年の予想通り、庭には数人の人影があった。気配を殺して他人の庭に入るのだから、まともな訪問客ではないのはいうまでもない。零武隊隊長日明蘭の家にも、昔から幾度も襲撃はあった。少年は息を殺して、刀を握り締める。
 黒い西洋の女性服。それがメイド服なるものだということは、天馬はおぼろげに本の知識で知っていた。
 それゆえ余計に困惑した。どういう理由があって、昼間、我が家に、メイドが数人で円陣をかいているのだろうか。母親宛の刺客にしては違和感を感じる。
 誰だ、と目を凝らす。相手も天馬の気配を察して振り返った。
 それが何であるかを理解するよりも早く、本能が叫んだ。その正体を。

「母上ぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!?」

酸欠ギリギリまでする腹の底からの絶叫。
 その声に全員の視線が集まる。天馬の勘のよさに、蘭は少し感心した。盆暗だと思っていたが案外成長したではないか。
 一方、息子は顔を引きつらせて固まっていた。カチューシャもメイド服も、息子の立場から言わしてもらうと、年齢的に大胆すぎるというか無理がある。
「ククク……
 自ら我らを受け入れるとは良い度胸だ天馬。
 さあ、母からの奉仕、受けてみるが良いっっ!」
女性の可愛さを最大限に押しだすはずの衣装を着て、なぜだか凶悪なオーラが滲み出る。アンバランス、というか、もはやメイド服に対して失礼な域にまで達していた。
 ぎらり、と蘭の目の端が邪悪な光を帯びる。
 う、え、とまだ事態を飲み込めない少年。
「ええと。お戻りでしたらお昼はまだありますよ。
 そうだ、母上のお好きな納豆も水戸の方から頂いております」
「母を飯で釣るなっつ!
 ええいっ。
 いいか、今回は不甲斐ない貴様をまともな日本男児にするため、趣向を凝らしてみた。だからご奉仕に来たといっておるだろうっ」
前半部分の台詞は母の愛情をわずかに感じたが、後半部分は天馬にはまったく理解ず、あごに手を置いて首をかしげた。
 そこになってようやく、少年は後ろに並ぶ男たちの存在に気がつく。
「あれ、ええ?
 って、零武隊の皆さんともあろう方が、何をなさっているのですかっ!」
時として言葉はどんな刀より鋭い切れ味を見せる。
 メイド姿の六人の男は攻撃力10000くらい受けて立っているのがやっとだ。
 何を、とそんな澄んだ目で問われるのが一番辛かった。
 自分たちだって知りたい。己はこんな姿をして何をしているのだ、と。
 変身キットを手にいれてからというもの、零武隊で蘭の暴動はとどまることを知らなかった。
 メイド服で帝都の妖怪たちを驚かせた(つまりこの姿で、戦闘)。
 メイド姿で合同演習も出た(つまりこの姿で、他の軍隊へ)。
 メイド服で野外演習も行った(つまりこの姿で、一般人と交流)。
 警視総監は毎日やってきて毎日セクハラをして帰り、その後には胸に消えない傷を負った男たちが慰めあう姿があった。
 寝ている間もメイド服は脱ぐことは許されず、炎は全身タイツの禁断症状が出てかなり憔悴気味だ。
「…………なんでもないんだ」
「…………聞かないでくれ」
「…………見えなかったことにしてほしい」
「…………南〜無〜」
低い声で返される言葉の言外に『頼むからツッコまないで』という切実な男たちの願いを感じ取って、思わず天馬は「すみません」と謝りながら頭を下げる。何を謝るべきなのかわからなかったが、母親が周囲に迷惑をかけまくるので謝る癖がついてしまったのだ。
 それはさておき。
「メイドさんなる妖精は帝都ドーム三杯分の癒しの力が装着されるらしい。クククク…………確かに力が漲ってくるようだ。これが御奉仕の源か。
 ふん。
 これから繰り出される数々の御奉仕に、貴様がついてこれるかな?」
「なんか犯罪者地味た台詞ですね」
天馬の正論に、どうして彼女が堪えようか。
 腰に手をつくと、顔を上げて哄笑する。
「ふっふっふ。
 だからお前は甘いというのだ、天馬っ。
 心弱き臆病者の主人のため、普段の日常にさりげなく熊を混入させてさりげなく戦わせてやるのがメイドガイの心遣い。心遣いを犯罪者と見誤るとは哀れにも曇った心よ。
 さあ心して刀を取るがいいっ」
また熊か。
 とこっそり内心でぼやく。母親はたびたび息子にかなりの巨大熊を仕掛ける。温泉帰りに蘭が手懐けた熊が、近所の動物園にいるためだ。
「ええと、その、熊を襲わせるくらいでは普段と同じではないでしょうか?」
むっと蘭の顔が歪む。
 折角息子のためを思って得た新たな思いつきを、今までの二番煎じみたいに扱われたのは嬉しくはない。それだけは譲れない。
「全然違うぞ。
 いつもは正面きって熊を襲わせるが、今日はいろいろ隠して背後から襲わせようとしている上に二段三段攻撃も追加している。罠だって普段より三割増だし、しつこさは当社比で倍だ。
 出来るメイドはやることが一味も二味もクセが生まれて味わい豊かになるものだからな」
「……普段よりやることが悪辣になったというわけですね」
はぁぁと深いため息をついた。
 こうまで母親がノリノリになってしまっては誰も止めることは出来ないだろう。おそらく、自分にも。
 いったい零武隊でどういう経緯があったのかはわからないが、副隊長格の人々にはもっとしっかり母上の手綱を握っていてほしいと思った。生まれたときから暴走するように仕組まれている彼女から、目を離してならないくらいもうわかっているだろうに。
 午後から菊理と会うのに……。
 この母親の嫌がらせを超えて近円寺邸に行くのでは、間違いなく遅刻してしまう。
 天馬はぬぐいきれない疲労感を覚えながら刀を抜いた。
 切っ先は、おそらく熊が仕掛けられているであろう床に構える。先ほどの生臭いにおい、そして生暖かい風、原因は畳の下だ。
「はぁぁぁっ!」
真っ直ぐに刀は刺さり、そして、獣の絶叫とともに縁の下から数頭の熊が逃げ出す。
 なぬっ!? と大仰に驚くメイド蘭。
 沈黙を守っていたメイド零武隊は一斉に逃げ出した熊を討伐した。動物園から借りているので峰打ちだが。
「……家が壊れるので縁の下はやめてくださいとあれほど言っているのに……」
個人的に最良の隠し場所と思っていたのが一瞬でばれて悔しがっている蘭は、びしっと息子に人差し指をつきつける。
「くっ。
 これで済んだと思うなよ。
 お前にはまだまだ―――」
そのままのポーズで、彼女の言葉が止まった。
 激や現朗までこちらを見て、止まっている。
 天馬は疑問を覚えた。
 ―――何か問題があるのか?

「……天馬様」

疑問が氷解するのは、そのたった一言で十分だった。
 少年が慌てて首を回すと、そこには約束したはずの少女が立っていたのである。一流の武人の背後を取れるのは、彼女がカミヨミのゆえにもともと気配が薄いのだ。
 廊下には丸木戸が立って手を振っている。おそらく、彼が連れてきたのだろう。わざわざ日明家に。
「菊理……」
何といえばいいのかわからず、そんな言葉しかいえない。
 菊理は天馬の後ろから、そっと庭の様子を見た。
 メイド姿の男が複数。
 横たわる熊が数頭。
 そして、こちらを指差したまま硬直している義理の母親。白い軍服ではなく、見慣れない西洋の衣装に身を包んでいる。
「大佐、お話がありますの」
菊理はちょいちょいと手を振りながら蘭を招きよせる。有無を言わせぬ迫力が漂う笑顔に、彼女を一番慕っている天馬ですらちょっぴり恐怖を覚えた。
 ましてや、それを一身に向けられた日明大佐の恐怖は、言わずもがなである。
 蘭はきょときょとと周囲を見渡して、呼ばれているのが自分であることを確かめた。自分でなければいい、と僅かな希望を抱いていたのだが、それは無理だったようだ。
 それから、いつも通りの歩調で縁側に向かう。背筋よくしているがどことなく怯えているのは、息子の目から見ても見間違いではない。
「どうした。菊理姫」
少女は蘭のエプロンドレスの裾を持ち上げて、じっくりと見た。予想以上に細やかなレースで、息を呑む。いったいどんな服を見本にしたのかわからないが、かなりの高級品だ。
 似合っているんですけれどね、と思いながらも、菊理は言わなければならないと決意を固めて軍人を見上げた。
「……またとない見事なお洋服ですわ。
 でも、大佐がそのようなお洋服で外に出歩かれるのは困ります」
丸木戸め、と蘭は臍を噛んで後ろの男を睨みつけようとしたが、そこに姿がない。代わりに、ひえぇ〜とわけのわからない悲鳴が廊下のほうから聞こえてくる。
 後で絶対たたっ斬ってやると心に誓う。
「しかしこれはだな。軍事的に優れた……」
「聞きましたわ。不思議なお着物なのですよね。
 力が上がるのは、零武隊にとっては宜しいことなのかもしれません。
 でも、大佐」
少女は、そこで一息ついた。

「このような素敵なお姿を私以外が見ていると思うと、つい妬けてしまいます」

困りますわね。
 と言って、微苦笑。
 宝石のように大きな瞳が、蘭の心を直に揺さぶる。
 目の前で竜が出ようと大蛇が暴れようと動じない鋼の心臓が、早鐘のようにばくばく鳴っている。
 みるみるうちに耳まで赤くなっていく母親に、天馬が少し嫉妬を覚えた。
 むぅぅと呻きながら、首を引いて菊理を見る。
「困るのか?」
「ええ。だって、他の方にお見せするのが嫌なんですもの。
 とても、我侭ですよね。我侭なことを思いたくないのに、思ってしまう。だから、困るのです」
「……姫が、困るのならば、着なくてもよい。別に」
「ありがとうございます」
訥々と語られる予想通りの言葉に、少女は深々と頭を下げた。
 馬車で連れてこられる間に、教授から吹き込まれた言葉だ。作戦通りいったと、廊下に隠れていた丸木戸はほっと息をついた。
「丸木戸教授」
先ほどとは打って変わった穏やかな声。
 軽やかな足取りで丸木戸は登場する。
「はぁ〜い。
 じゃ、魔法少女風味変身ステッキ・改六乗の出番だね。
 服を着ていても変身できるように改良したから。早速いきますかぁ?」
「やれ」
ハイテンションの教授に、一言大佐は命令を下す。では、といって彼は焦点を定めた。天井に棒を振り上げ、それからメイド服を着ている全員に向かって再び桃色棒で円を描く。
「かも葱味噌のさよなら三角また来て豆腐、白い兎は兎じゃなーい。
 へーんしん☆」
轟音と光があたりを包む。
 天馬は咄嗟に菊理を背中で庇った。

 次に目を開いたときには、誰もが白い軍服を着ていた。そう、誰もが。

「きゃぁぁあ―――」
甲高い悲鳴。
 真後ろから聞こえた天馬は何があったとすぐに首を回して、そして……固まってしまった。
 白い髪の少女。
 つい一瞬前までは着物を着ていた菊理までもが、自分と同じ白い軍服に身をつつんでいるではないか。
「やぁっ。
 天馬様、見ないでっ」
きゅっと股を締め、両手を胸の前でクロスする。蘭の軍服は特注なので胸囲に余裕があるが、教授の想像した、炎達の軍服にはそれがない。
 半泣きする少女の目の前の女軍人も、顔に血管が浮きだたせながら胸元を腕で隠していた。
 きつそうな胸が、ボタンの隙間から僅かに見える。
 その色っぽさは並みのものではない。布が千切れそうなくらいにまで引き伸ばされており、釦の一つははじけ飛んでしまっている。
 腰はだぶだぶなのに、胸だけきつい。それが余計にその存在を強調する。
 いつも冷静で動じることない蘭の顔に、わずかに焦りの色があった。それは菊理のためだったが、普段との著しいギャップに数人は下半身に血が滾るのを感じて、慌てて股間を押さえた。
 軍服がこんなにも色欲を唆るものとは……。
 天馬は直ぐに背を返して、両手で顔を塞いでいた。男として偉いがちょっと見ていて欲しかったなと菊理が思ったのは永遠の乙女の秘密。
「あれ。ああそうか。身長にあわせて着物を用意することは自動設定だけど、男女については対応しきれないのか。……うーむ、待てよ。それには思考段階のレベルからの改変が必要になるな。
 大佐、じゃあ改良版を作ってきます」
「待てぇぇっ!
 とっととこちらを戻さんかっ」
「おお。忘れてた」
丸木戸はすぐに例の変な踊りと変な言葉を叫んですすり泣く菊理に着物に戻し、その後さらに大佐のいつもの軍服を着せたのだが、大佐の怒りは収まるはずもなく、若い許婚たちは自分の親の暴動を止めるのに四苦八苦しなければならなかった。
 鉄拳でぼこぼこにされた教授は現朗の背中に負ぶって連れて帰られて、また現朗にもボコられるという二段構えの運命を辿る。
 その後零武隊では、軍服エロという今まで未開拓の世界を帝都に広げるべく活動が始まったが、始まったと同時に大佐に零にされたことは書くまでもない。