|
||
「心臓か。毛の生えたお前の心臓が止まるのか?」 「お前の方が毛がもっさりだろが。 眉毛も髪もモッサリ型で心臓までもっさりしてたら、禿げるときは早いぞー」 激は両手を炎の前髪の前にかざして、ふらふらと指を振る。抜けるぞ〜と、言ってやると同僚はやたらショックを受けて冷や汗を浮かべた。 禿。 その文字は炎への禁句ワードだ。タイツ破りと同じくらいこの王子の心臓を傷つけ、恐怖に陥れる呪文。いつもなら信者が吠え立て擁護するのだが、激はその援護射撃がないことを見越して敢えて口にしたのである。 が。 彼の予想に反して、ぽこ、と後ろから軽く頭をこづかれた。 「それだけ文句を言う元気があるなら大丈夫だろうが。 炎様も激の言うことなんか真に受けないで下さい。 服はお脱ぎください。濡れているのを着ているだけでも冷えますよ」 ワンブレスで嫌味と忠告とを言いながら、現朗は炎に布巾を手渡す。彼の両腕には布巾の束が抱きかかえられていた。いち早く復活した現朗は救護室から乾いた布巾を大量に運んできたのである。彼は既に服を脱いでいたので、下着一枚だ。 部屋が温かくなると、隊員たちは現朗に見習って我先に濡れた服を脱ぎ始めた。濡れている服はそれだけで体力を奪うのだ。炎も激も脱ぎ、一枚の布巾を貸し合って軽く身を拭いた後、二入は肩を寄せ合ってそれを掛ける。布巾の量が足りないので、分け合って男たちは身を寄せ合う姿がここそこで見られた。 現朗は下着姿で、濡れた布巾をバケツで絞ったり、ストーブの火を強めたりとこまごまと動いている。屍同然の男たちの間を縫って動く元気な姿に、炎と激は感嘆の息を漏らした。 「顔色一つ変わってない」 「……相変わらず凄ぇな」 現朗も全身濡れ鼠だったが、彼だけが元気よく動けるのには理由がある。 冷血だ、と毒丸が悲鳴を上げるくらいに彼の手足は常時冷たい。それなら唯の血の巡りが悪い人間だが、現朗はさらに、寒さに対して恐ろしい耐性があるのだ。 凍傷にならないのが不思議なくらい手足が冷たくなっても、苦にならないのだと言っていたことを激は思い出した。真夏の熱帯夜、現朗の冷たさに連れられて『一緒に寝よーぜー』と布団に潜り込んだ後その言葉に勘違いした彼に食われたのが二人の初めてだったことや、昨夜「冷てぇっ!」と思わず触ってきた現朗に言ってしまったので、切れた恋人が気絶するまで抱いたなどと様々な嫌な記憶が芋づる式によみがえる。 恋人の様子をぼんやり眺めているうちに、ようやく激も全身に気力が戻ってきた。そして同時に腹も減ってきた。よくよく考えてみれば、昼飯は勿論、朝飯も食べてないではないか。 「……なんか、食えるもんとってくるわ。肉食べたくなってきた」 「む。 じゃあ旨い酒があるぞ。 梅干もある」 「あー。仕事場にお酒もってくるなんて、いけないんだー。炎ちゃん、不良ー」 にひひひと独特な笑い声で毒丸が横から揶揄する。 彼はまだ体力は戻っておらず、鉄男の膝を自分専用の椅子にして横たわっていた。 弱弱しく視線だけを遣している。 唇は真っ青だし、本調子ではない。 鉄男は大きい手をゆっくり伸ばして、窘めるように頭を撫でた。そうされると目を細めて気持ち良さそうに頬を体に摺り寄せてくる、まるで猫のようだ。ただ人に懐いても主人を食い殺すことの出来る猫だが。 「ふっ。 俺が隊の風紀を乱すことをするか。 去年から作りこんだのが上手に発酵しただけだ」 「……なお悪いだろソレ」 激が冷静なツッコミをいれるが、炎は自慢げに髪をかきあげて黙殺する。 「今はありがたいけどねー。 いっちょ飲ましてよ」 「確かに酒はいいなぁ。味は期待しねえけどよ」 「ふっふっふ。我が味に感動してひれ伏すがいい。まあ俺を崇め奉るのは今更のことだがな」 炎は立ち上がった。褌一丁ではさすがに廊下は寒いので、床においてあった濡れた隊服の上だけを羽織る。 激も同様に支度をし、二人は連れ立って出て行こうとした――― ―――が。 「よーし全員戻ってきたようだなっ! 河童はどうしたっ」 扉が蹴破られたと同時に冷たい風が入ってきて悲鳴が各地で上がる。特に立ち上がっていた二人には非常に効く。ぎゃぁぁぁとあがる悲鳴。二人は無我夢中でひしっと抱きあう。 横開きでつけられた扉は、床に倒れていた。これなら蝶番の修理だけで済むぞ、と現朗の脳内に一瞬にして補修予算が組まれる。 「河童ではなく、河童人形じゃないですか」 現朗はげんなりとした表情で上官を見ながら、戦利品を放り投げた。 蘭の刀が軽く煌き、それは床に落ちる前に真っ二つになる。 ふん、と息をつきながら冷たい目でぐるりと部屋を見渡した。 ストーブががんがんに焚かれた部屋に、寒風に無防備な男たちは濡れた布巾をまきつけて身を寄せ合っている。白服たちは動けるほどに回復していたが、多くの隊員はまだ体力が戻っていなかった。 戸板を踏みつけて仁王立ちするのは、白い軍服をきっちり着込んだ上司。 対して、褌一丁のまま、濡れた布巾で体を隠して身を縮める部下たち。 「ま。時間はかかったようだが一応終わったか。 しかし。 ―――揃いも揃って無様な格好だな。お前ら帝都の軍人として恥ずかしくはないのか?」 ふんと鼻で笑ってやると、男たちがむっとするのが肌でわかる。隊長を含めて、好戦的で挑発に乗りやすい馬鹿が集まった集団なのだ、零武隊というところは。 「……今は昼の休憩中です。 たとえ半裸であったとしても文句を言われる筋合いはありません」 現朗だけが淡々と返事をする。 が、蘭は一笑に伏せた。 「はっはっは。 そんな細くて折れそうな身体で、文句を言われると言い出せるな。 まあ案ずるな。お前らのような見苦しい肉体を持つような奴らが世間様に裸体なぞ見せなくて済むよう、ちゃんと用意をしておいてやったぞ。 ……丸木戸教授」 ぱちん。と指を鳴らす。 廊下で控えていた眼鏡は、なにやら嬉しそうな顔をしてハイテンションで入ってきた。 「はいはーい。 じゃ、皆さん行きますよー」 手にはなにやら桃色の短い棒が握られている。 全長一尺程。上にハート型の彫り物がつけられており、全体にキラキラと光る硝子がちりばめられている。子供の玩具のようなそれを、スーツをきっちり着込んだ教授はすっと上に持ち上げる。スーツを持った男がダサダサな棒をもってポーズをとる姿は、どこか非常に滑稽だ。 「チチンプイプイ。開けゴマ。結構毛だらけ猫は灰だらけでジュゲムジュゲムが擦り切れたぁー」 意味不明な言葉を音吐朗々と叫びながらその棒をぐるぐると回して大きく円を描く。 ピロピロリーン。―――と安っぽい効果音がどこからか鳴り響き、同時に、教授の後ろから光がさす。 赤、緑、黄色、そして白。 何がおきているのか展開についていけないが、訓練された軍人らは腕を顔の前に突き出して防御体制をとる。後方支援部隊は比較的常識を備わっている人間が多いが、一つ問題なことに、零武隊隊員を人間と見ていないのだ。 丸木戸教授の後ろから差し込む光は刻一刻と眩しさを強めていく。部屋全体が眩しくて目が開けられていられない程の光量に包まれた。 「へーんしん☆」 光で誰も見えないが、ばちっとウインク。変身には全裸のようなお色気シーンが必要だ、という発明家としての無駄な拘りだ。 ぎゅわぁぁぁぁん。 文字にあらわすならそんな感じの音が耳を打つ。おぞましい大音量に、鼓膜が痛みを訴えた。 残響が収まるころ、激はおそるおそる目を開けた。 「……あ……れ?」 部屋の様子は一変していた。 戸板の上に立つ軍服の女性。その後ろに控える桃色棒―――おそらく彼の発明品だろう―――を持って丸木戸は和やかに笑みを浮かべている。 その二人だけは、変わっていない。 他の褌姿だった男たちは――― 全員、ふわふわのレースが惜しみなく用いられた西洋の女性服を身に着けていたのである。 激が目を閉じたのは時間にすればおよそ一秒足らず。 その間に、全ての男たちにサイズのぴったりの、着方も脱がせ方もわからないこの服を身体につけさせたのだ。 「すげえ」 激は、純粋に、武人として驚いた。 そして興奮し、感動した。 目をキラキラと輝かせながら、横にいた金髪へ振り向く。 「なーなーなー。 面白れーなー。すげーよな。何でこんなになちまったんだろうな。現朗」 「………………黙れ」 が。 激の予想に反して、恋人は、完全に怒りに飲み込まれている。顔をぴくぴくと痙攣させ、震える手でスカートの裾をつかんで憎憎しげにそれを握り締めていた。そういえば、現朗は女装を心の底から嫌う。一度飲み会でさせようとしたときは宿一軒つぶす大騒動にまで発展した。 全身から立ち上る嫌なオーラに、激は笑みを凍てつかせて身を引く。 もちろん武人ではない教授はそのオーラには気づかない。 「うふふふ。 魔法少女風味変身ステッキ・改。どうやら気に入っていただけたようだね。 下着姿の人間にかざして魔法の言葉を唱えると、脳内にある衣装を強制的に着せることができるのさ。 変身スイッチの魔法の言葉がイマイチあれなのをなんとかすれば零武隊の通常業務でも役に立つだろうね」 丸木戸はその桃色棒を手で遊びながら自慢げに解説をした。実験の成功が嬉しくてたまらないのだ。 『まーた余計なことに天才脳を使いやがってぇぇ』と殺気立つ目で見られていることには気づいていない。 だがまあ、その服のおかげでひとつ良かったこともあった。 今まで指一本動かせないくらいまでに疲労していた身体に、温もりと怒りを与えてくれた。おかげで多くの隊員たちも復活したのである。 「ふっ。これで少しは見苦しいものも隠せたな。 では次の作戦の説明をする。 作戦名は『明治のお助け戦隊☆メイドガイ』だ」 「異議ありっ! なぜ異国の侍女の服なんぞ高貴な俺が身に着けねばならんのだっ!」 はふ。 と、蘭はため息をつく。 そして人差し指を立てると、チッチッチッと左右に振る。 「―――炎。 眉毛の量が多いお前が知らないのも無理はない。 実はとある本によるとだな、この異国の侍女たちは幾分か人間が含まれてはいるが多くはメイドキングダムという妖精の国からきた妖精さんたちなのだ。 そして彼らに秘められた未知なるパワーは、このメイド服を着用してご奉仕する時に解放される。 すなわちっ。 我々もこれでご奉仕すればその怪しげなる力を授かれるということだっ!」 『何ぃぃぃぃ―――っ!!!?』 ピシャァァァん。 狙ったようにタイミングよく、窓の外で雷が落ちる。炎と激は驚愕のあまり顔を引き攣らせて固まる。他の隊員も同様に固まっている。だが他の隊員が驚いたのは、大佐がそのような事を堂々と言い切ったこととに驚愕しているのだが。 現朗はこの事件の黒幕を理解した。 そして大佐の死角を通って丸木戸教授のすぐ傍まで近寄る。 「……教授。 大佐に何を読ませた」 研ぎ澄まされた刃よりもなお鋭いその声。 丸木戸とて勿体ぶるつもりはない。 「こ・れ・☆」 懐から取り出したのは一冊の劇画の本。赤い表紙には『仮面のメイドガイ』なる言葉が並び、仮面をつけた筋骨隆々とした男と少女が並んでいる。 ぱらぱらと捲っているうちにメイド姿現朗の血の気が引いていった。 彼にはこれは単なる劇画、つまりフィクションだとわかる。当然だ。 だが軍人になるために純粋培養で育てられた日明大佐が、作り話という存在を理解する素養があるとは………………正直、思えない。 以前、西遊記の逸話を帝月から聞いて「猿を訓練すると強くなるかもしれんっ」と大興奮しながら白服休憩室に乗り込んで来た。西遊記が作り話だということは信じてもらえなかったが、石から生まれた特別な猿ではないといけないと納得してその案は却下させたが。 「いやぁ、持ってたら大佐に没収されちゃってさ。 返してもらおうと部屋に行ってみたら、必死で読んでいるんだもん。 そして『お前、この服は用意できるか?』って聞くもんだから正直に答えたよ」 「貴様っ」 愚考を実行に移した丸木戸教授に、男の怒りは一瞬で沸点に達する。 が、メイド服姿がよく似合う男がいくら凄んでも普段の怖さの十分の一もない。 「まあまあ。 今は際立った事件もないんだし、正直大佐が傍にいると後方支援では仕事が進まなくて邪魔なんですよ。しかも今丁度、正確さが求められる重要な実験でね。 ちょっとの間だけでいいから、預かって下さいよ」 ぱんと顔の前で合掌して教授が強請った。勿論それだけで金髪が納得するはずないと、眼鏡もわかっている。 「……それにその服。 実は僕の解除スイッチを押さない限り脱げなかったりするんだよね。高性能だから」 オネダリではない、脅迫だ。 ―――と現朗は思ったが怒りを無理やり抑える。 二人の後ろではワイワイがやがやと不思議な討論が交わされていた。 「しかしこれなるは侍女の服。 誰かに膝を屈しなければならんとは、断固拒否するっ」 「甘いなっ。 私が得た情報によると、この妖精たちは己で仕える主を選び、己で仕える主のために好きな行動をするのだ。主が仕えることに対して未承認でも問題はないらしい。要約すれば勝手に主を選んで勝手に行動していいのだ。 それに、主のためという目的のために手段は選ばない。 重火器も爆薬も毒も二刀もダブルファイアーも許される上、主に対して攻撃しても構わん。 ―――つまり、軍人と大した差はないっ」 「なんだとぉぉっ!? メイドなる異形の者たちがまさかそんな優れた存在だったとは……。 ―――つまり俺は、眉毛とタイツと主というポリシーの下に刀を振って悪を薙ぎ払えるのかっ」 「じゃあさじゃあさ、この癖毛直せるのっ。主のためを思えばこの毛をさーっ」 「安心しろ。 正義だって焼き払うことは可能だっ。寝癖の一つや二つ遠慮することはないっ!」 零武隊には二種類の人間が居る。 馬鹿か。 通常か。 通常は常識人である必要はない。馬鹿でなければいいのだ。こんなヒラヒラな服を着たらパワーアップができるなどという幻想は、紛れもなく幻想だと現実に目覚めることが出来れば通常カテゴリーに入る資格としては十分だ。 そして通常に入る毒丸がぼそりと低い声で呟いた。 「……なんか俺。 今軍人的にちょっと聞き捨てならない言葉を大佐の口からきいた気がしたんだけどー」 「うむ」 後ろの鉄男が同意とばかりにうなずく。 「最近気づいたんだけどさ、大馬鹿から一文字とってお馬鹿って言うとなんか可愛くなるよね。少し」 「意味は同じだがな」 「………………そうだね。同じだね」 頭を抱えながら苦悶するお馬鹿1号(炎)と、必死に髪型を変えようとするお馬鹿2号(激)、そして腰に手を当てて気前よく笑っているお馬鹿の大将(蘭)。 こんなのばっかなのによくもまあ隊としてもってるよな―――と素に戻っている毒丸は改めて零武隊の奇跡を思い、そして現朗と真の存在の有り難みを噛み締めるのだった。 |
||
|