・・・  零武隊特産品。 3  ・・・ 


 「あー。よかった、結構採れた」
哺乳瓶の一本分採れて、丸木戸は上機嫌だ。窓から入る光にかざしながら、やった、やったと幾度も繰り返す。難解な問題が解けた子供のようにはしゃいでいた。
「これで期日に間に合います。いくらになるかなぁ?
 また足りなくなったらお願いしますね」
メガネの下の、邪気のない顔を見ると本気で殺意が湧く。
 痺れが漸くとれてきて、震える手でシャツの釦を留めながら、蘭は教授を見ていた。丸木戸は本当に材料をとりにきただけのつもりで(まあ少しは実験器具を壊された意趣返しのつもりはあるが)、逃げる気も隠れる気もないようだ。
 己がした愚行に、気づいている様子はない。
「……きょうじゅ……」
蘭は、薬以外で強張っていた表情筋を無理やり稼動させて笑みを作り上げた。
「人間の乳が、実験に必要なんだな?」
「ええ。
 本当はちゃんと買うつもりだったんですけれど、予算がなくなりましたから。
 それに、大佐から採取したのなら、高額で買い取るっていう方がいたんですよー。実験材料と予算獲得、一石二鳥ですね。
 心底嫌なルートから良質の薬が入ったので、たまには使ってみないと勿体無いし」
「ほう。
 ……そうだな。使ってみないと勿体無いな。それは」
低い声で、教授の発言に同意を表した。
 そのとき彼が少しでも違和感を感じて、少しでも実験材料に気を配っていたならば、今後引き起こる未来は変わったかもしれない。
 だが、運命の女神は丸木戸の不幸を望んでいたのだろう、上官が憤怒のオーラを立ち上らせていたことに気づかなかったのである。



 翌日の、昼休み。
 教授が食事が終わった直後に、研究室の扉をノックする者がいた。入ってきたのは、黒い自慢の髪を垂らしながら闊歩する白服の軍人。先ほど食べたご飯が少ししょっぱくて文句の一つでも言ってやろうと考えながら、珈琲に口をつけていた。
 蘭の手には、丸められた荒縄がある。
「なんか用ですか?」
「ああ。二十分くらいで終わる簡単な用だ」
にこり―――と、ありえない位の爽快な笑みを見せる上官。
 ふと。
 丸木戸は何かを本能で感じ取った。何か、は明確にはわからなかったが。カップを机に置き、忙しない様子で書類をまとめて席をたつ。
「あ。ちょっとすみません急な用がありまして、五分くらいしたら戻ってきますからそこで待っていて下さい」
勿論嘘だ。―――だが、嘘も方便だ。
 自分の安全は自分で守れ。それが零武隊での鉄則だ。
 しかしそれを蘭が許す筈もなく、過ぎろうとした瞬間さっと手を伸ばす。太い腕に腰を絡めとられて、逃げられない。そーっと教授は首を回してみると、目と鼻の先に不敵に笑う上官の顔があった。
「こちらが先だ。
 なにせ、薬の効果はそろそろだからな」
言うが早いか、腰から投げ飛ばす。空中で一回転しうつ伏せに倒れたところを、蘭が上から飛び乗った。上をとられてしまえば、肉体派でない彼が敵うはずがない。
 持ってきた縄でいそいそと後ろ手で縛り上げる。自然胸が突き出す格好をさせられて、漸く彼も軍人の意図が読めてきた。
「ちょっ……
 まだ材料は足りてますよっ!
 よ、予算も……」
「大いに越したことはないっ!
 それにこちらも貴様の乳なら買うという愚かな輩から約束は取り付けたっ!
 …………くっくっくっ。
 貴様だけ無事で済ますもんかぁぁぁぁぁぁぁっ」
「ぎゃぁぁ―――っ」
こうして、教授もまた強制的に実験材料を提供されたのである。


 ******

 教授の懇切丁寧な説明を受けながら、日明大佐は新しい発明品を静かに眺めていた。今まであった武器の改良版だが扱いが難しくなっているので、実戦で使用するには相当訓練が必要だなと思い、その旨を手元の参考資料に書き込んでおく。
「……ま。こんなもんですかね」
「わかった。
 どちらかというと真の部隊向きだな」
「そーですねー。量産しますか?」
「そうしてくれ」
書類に再び目を落とす。書類の上部に書かれている作成費用(予定)を見て、さっと二十台分の値段をはじき出した。このくらいなら余裕があるだろう。
 トントン。
 ―――と、荒々しいノックが聞こえた。
 部隊でノックをする習慣があるのは極わずかだ。
「どうした。真?」
言われたとおりの男が扉のそこに立っていた。後ろには、他の白服も控えている。どことなく剣呑な雰囲気が漂っているのを見て、蘭は脳内でばれた悪戯がどれだかを検討する。全員が怒りだすようなものがあっただろうか。
 練習場かのトラップか? いや、あれは怒るほどのものでもない。休憩所の件は……いや、まだばれるのは早すぎる。
「このこと、ご説明願いたい!」
ぴらり、と赤い髪をふわふわとさせた男が紙を突きつけた。
 なんてことのない、零武隊出納帳の一ページだ。
 疑問符を浮かべてきょとんとする蘭に、炎は目をいからせる。

「何故、先月の丸木戸教授だけ黒字になってるんだっ!」

贔屓、贔屓……と廊下にずらりと控えていた隊員たちがコールをあげる。
 最近零武隊では、通常運営する費用すら底をついていており、仕事後の内職が推奨されているのである。炎や真などの高級組はわざわざ自分の給料を零武隊の会計の不足分に当てていた。
「あー、それですか。
 あまった実験材料売った分ですよ」
『余る分まで買うなぁぁぁあ―――っ』
貧乏で苦しんでいた分が長いだけ隊員たちの怒りは深い。
 教授は勢いに押されて少し身を引いたが、眼鏡をかけ直してすぐに弁明を始める。恨みを買うと復讐される、というのも零武隊の鉄則の一つ。
「ち、違いますよー。
 わざわざ多めに採って、余った分を売ったんですよ。買ってませんっ」
純粋の興味で、真は口を開いた。
「……いくらぐらいになったんですか?」
丸木戸と蘭はぼそぼそと言い合い、ひい、ふう、みい、と隊長が指を折った。
 隊員たちの興味が最絶頂になったところで。

「大霊砲、三発分くらいではないか? なあ」

蘭の一言で、隊員に動揺が走る。
 一発でも零武隊の会計を圧迫するという例のでかい大砲が、三発撃てるだと!? そんなすごい物をどうやって用意したっ。
「そーですね。二発分は大佐の分ですよね」
「お前がよく出さなかったらだ。単価はお前のほうが高かった」
激はふと、研究室の机の上にある、見慣れない器具を見つけた。
 どこかで見たことがある。……そうだ、親戚が出産した後に、彼女を病院に連れて行ったとき見たものだ。乳がよくでる女性から母乳を採取するための器具だと看護婦が恥ずかしがる激に笑って説明してくれた。変わった瓶だったので、記憶によく残っていた。
 それが思考のどこかで引っかかった。
 大霊砲三発分という値段にくらくらする同僚たちをよそに、激は腕を組んで己の思考の迷路に入り込む。
 大霊砲三発分くらいの値段になるようなものが、零武隊に、いや、日本に存在するだろうか。そんな高価なもの、想像がつかない。いや、そんなものがあったら俺だって知っているはずだ。
 ―――違う。と、発想を、逆転させた。
 大霊砲三発分の代金を払う人は、いったい誰だろうか。零武隊にかかわりを持つ者でそんなことがあるのは―――

 二人の男の顔が浮かんだ。

 最後のパーツがぴたりと嵌められて真実という名の絵が完成したのである。
「……乳だ」

上司二人が、その一言に完全に固まった。

 ひききき……と蘭と丸木戸の顔が、面白いように歪む。余裕の笑みがうせた。
「現朗、わかった。
 丸木戸博士と日明中将の変人どもなら絶対買うっ。三発分になるっ!
 そのくらい払う変人だからよっ」
「な、何を言っている?」
口泡を飛ばしながら詰め寄る同僚の意思がわからず現朗はうろたえたが、真はすぐに理解した。
「大佐と教授の乳を売ったのかっ!

 ―――そうか、その手があった。

 早くその二人を捕まえろっ。捕まえて搾乳すれば一年分くらいの予算が出るはずだっ」
三白眼の上官の命令と同時に、部下たちの一斉攻撃が開始される。
 二人は子供から追われる子兎のように、同時に背を返し逃げ出す。反撃しようなどという方法は思い浮かばなかった。部下たちの目がマジだったからだ。最後の一線が完全に切れている。三日間絶食した後の狼のようだ。
 その後一週間、零武隊中に『大佐緊急捕獲』『めざせ一攫千金』などと下半分にかかれた蘭と丸木戸のポスターが貼られまくり、二人を捕獲しようと目をぎらつかせるハンターのような隊員の姿が帝都中で見られた。
 大佐と教授はその間ずっと、零武隊特産品の『買い手』にもう買わないよう七日七晩説得し続けた。

 大霊砲三発分では安かった―――

 ……と、二人は心の底から後悔した。