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日本陸軍特秘機関零武隊で一番日当たりのよい一室に、眼鏡を掛けた学者然とした男が入ってきた。普段はスーツ姿だが、珍しく白衣を着用している。そういえば研究者とかもやっていたか、と、この部屋の主たる日明 蘭は思った。 それ以上は思うところはなく、食事を再開する。 彼女は今、ようやく午前中の仕事に区切りがつき、他よりも二時間遅れの昼食時だった。 「先日から命令されている妖を抑えるための符の作成ですが、予算不足のため材料が揃いません。 ……先日大佐が制裁という名で破壊行動された余波で、実験器具の一部が壊れたのがほとんどの原因なんですがっ」 不満そうな顔をして告げる丸木戸に、蘭は視線もやらずに答える。 「知るか。 ―――言っておくが、今はどんなに言われても予算は増えんからな。足りないのはお前の責任だ、自腹を切るなりお父様に泣きつくなり好きにしろ」 言いながら、最後の生肉をほお張った。 生野菜や玄米飯はすでに食べ終わっていた。調理という手間を省いたメニューばかりだが、栄養的に問題ないならばそれでいいという合理的な思考に基づいてできている。そのため、味付けはお世辞にもいいとはいえない。 だがそれにしても、今日は微妙に濃いな……と咀嚼しながら思った。少し塩味がきつい。これは文句をいってやらねば、と心に刻んだ。 その間に不満そうな教授が近づいてくるのが見えた。手には、なにやら見たことのない器具がある。 丸木戸は珍しく怒っていた。 実のところ、符はほとんど完成間近だったのだ。それが大佐が暴れてくれたお陰で、全て一からのやり直しになってしまったのである。精神安定剤を飲めとあれほど口うるさくいっているのに、どうにもそれを嫌がる。 新しい材料を揃える余裕がないのは彼も知っていた。北陸でおきた事件で大霊砲を五発も撃ったために、零武隊の懐は寒いどころの騒ぎではなく、どんなことにも逐一倹約が命令されていた。追加要求しても無駄だとは知っていたが、だからといって黙っているには腹の虫が収まらない。 少しは大佐に痛い目を見て貰わなければ。 「好きにしていいんですか?」 見下ろすような視線で、挑発的に尋ねた。 当たり前だろう、と淡々と言い返す。零武隊における丸木戸の権限は広い。 「わかりました。 では、足りない材料の分はこちらが勝手に調達します」 わざわざ嫌味を言いに来たのかと片付けて、最後にとコップに手を伸ばす。皿の上の料理の全てが片付いていた。美味しいとはいい難いが、満足した。 いや。伸ばそうとした。 しかし意思に反して、腕が動かない。持ち上がらない。 違和感を覚え下を見ようとすると、首に痺れが走って同様に動かない。急に全身が重くなったような不思議な感覚が蘭の全身を駆け抜けた。 混乱する意識が告げる。危険だ。何か、恐ろしく危険だ。 ぎぃ……と椅子が不自然な音を立てた。それは、彼女が普段とは違う部分に体重をかけたからだと、丸木戸は推測する。その推測は正しかった。 教授はいつもの笑顔を浮かべた。にやり、という音まで聞こえてきそうな冗談のように爽快な笑顔。 「じゃあ。はじめましょうか。 二十分くらいあれば終わりますよ。午後の仕事には問題はありません」 彼の手にある不穏な器具は、その言葉が決して冗談では済まされないことを物語っていた。 信じられなかった。 この眼鏡の最も信頼する悪友によって、罠に落とされたという事実を。 ***** 「下らん冗談を言っていると、斬るぞっ!」 と、猛々しく叫んではいるが、その目にわずかに恐怖の色が浮かんでいる。 蘭は口より先に手が出る人間だ。口で威嚇するなど、完全に動けない証拠に他ならない。 一番困難かと思われていた計画の第一段階が無事終了し、丸木戸は喜んでしまいそうになる気持ちを無理やり静めた。 「……斬れるものなら、まあどうぞ。 象でも動けなくなる量でまだ話せるなんて、流石大佐だと思いますよ」 言いながら机を周って彼女の傍までやってくる。 椅子に深く座ったまま睨みつけてくるが、予想通り手も足も出してこない。食器ののった盆をずらして持ってきた器具を机に置いた。 丸木戸が使った薬は二種類あった。 一つは、動きを奪うための麻酔薬。 そして、もう一種類はわざわざ嫌な父親と顔を合わせて譲ってもらった、乳腺を刺激するホルモン剤の一種だ。 「さて」 ふうと息をついてから、まっすぐ軍服の釦に手を伸ばす。階級章がきらきらと揺れる装飾に富んだ服は、かなりきつそうに張っている。どうやら薬の副作用で胸が膨らんだらしい。 釦を一つずつ上から丁寧に外していく。上着を脱がすと、同様にシャツの釦も外していった。 「き……教授っ」 今まで睨んでいた軍人の様子が、急に崩れ始める。白いシャツよりなお白い肌が男の目に晒された。 「お、おい。いい加減にしろっ! ふざけが過ぎるぞっ」 「予算が出ないのですから仕方がありません。 大佐、御国のためですから暫く大人しくしていて下さい」 できるかぁぁぁぁぁっ! 悔しそうに奥歯で歯軋りする上官を、丸木戸はただ材料を見るような冷めた目で見ていた。彼には、今のところ、出来るだけ上手く材料を入手したいというくらいの感情しかない。 胸のところにきつくまかれたさらしを一瞥して、机の上から鋏を取り出し刃を肌に滑り込ませる。少し刃をいれれば、最後まで斬る必要はなかった。 ぴりぴりっ―――と布が裂ける特有の音。 あまりにきつく締めていたせいで、わずかに胸が膨らんだだけで布は強度を保てなかった。 |
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