・・・  頑固者 3  ・・・ 


 扉は蹴破られて開けられた。同時に子供たちの泣き声がひときわ大きくなる。蘭は手の中の女性を丁寧に下ろして、立たせた。
 非難を籠めた強い目で彼女を睨め上げるが、何も言わない。正当な批判は、言わないほうが逆に堪えるものだ。
 遅れて八俣も入ってきた。
「あーあ。皆泣き出しているわ。
 やっぱり放置しておくのは駄目みたねー」
八俣はゆっくりと大股に部屋の奥にある四角い木箱に近づいた。泣き声はそこから聞こえてきている。近づくと同時に、異臭が鼻をついた。
 箱を見ると、五つの可愛い赤ん坊。
 三人は大泣きしているが、二人はぐっすり眠っている。一人は金髪、もう一人は赤い髪。泣いているのは三人とも黒髪で、三白眼が真っ赤に腫れ上がるほど涙を流している。どうやら長く泣いていたようだ。
 全員見覚えのある気がした。
 零武隊の、蘭の直属の部下が仮に赤ん坊になったらこんなかんじだろう。
 家政婦はオムツの替えをもってきた。
「……そういえば。どうして旦那様がおられるのですか」
淡々とした口調で、痛いところをついてくる。
 ここで、どんな任務か心配だからついてきた、などと本当のことを答えれば『戻れ』と嵐に一蹴されてしまうだろう。そのくらいに彼女は機嫌が悪い。不本意ながら、ここにいる理由を言わねば、つまり、作り出さなければならない。
「え?
 えーっと。今日は休日だから、嵐のお手伝いもたまにはいいわね」
変わった趣向ですね、と少女は小さく驚く。
 言いたくない言葉を言ってしまった後悔に、彼は内心で涙を流した。
「では色々とお願いしますよ。
 お漏らししている子は寝てますね。泣いている子を預かってソファで宥めてください。
 日明殿も来て下さいっ!」
言われるままに、彼は一人ずつ赤子を木箱から出して近くのソファに横たえる。泣くのに一杯一杯で、動き回る気配はない。一人ずつ抱きあげて揺らしてやると、安心したのか、声を止めた。きゃっきゃっと嬉しそうに八俣に手を伸ばす子もいる。
 蘭は、俯きながらゆっくりと来た。
 子供を見下ろす目は空ろで、じんわり涙が浮かんでいる。
 もはや、育児放棄一歩手前の母親状態だ。
 ぼんやりとして立っているのではなく、泣く赤子が怖くて近寄れなかったのだ。びくりと、嵐の心臓が跳ねた。昔、近所の家で双子の子守を頼まれたとき、そこの母親の状態にそっくりだったのだ。そこの赤ん坊たちは疳の虫がついているのか、一旦泣き出すとなかなか泣きやまず夜泣きも酷かった。笑わない母親は、それでも一生懸命に子供たちをあやしていた。自殺未遂するその直前まで。
 嵐はオムツを替える手を止めて、赤髪の赤子を取り上げて差し出す。
 わずかに腕が動くが、受け取ろうとはしない。
 少女の顔を見ながら、寂しそうな顔で微笑んだ。
「お主は、強いな。何でも出来る」
「日明殿も十分強いと存じますが」
ふるふると首を振ると、長い髪が揺れる。
「…………私は、失敗ばかりして、駄目だ。
 こいつらはずっと泣き止まない。ずっと泣くんだ。でも、出来なければ。失敗して、下手でも、きちんと出来なければ申し訳がたたない。出来なければならないとわかっているのに……できない自分が憎い」
意を決したように蘭は顔を上げると、両腕を差し出して丁寧に炎を受け取った。

 なんて、強いのだろう。

 と。嫌味なく、少女は思った。そして、この人は凄いのだ、と改めて感じた。
 自分が失敗したことを認めたうえで逃げないのは、勇気がいる。屈辱と痛みを耐え切るには強さが必要だ。
 彼女は無責任に引き受けたのではない。ただ子守に関して、常識と知識の両方が足りなかったのだ。足りないことに気づいて、年下の、地位も低い自分に頭を下げて頼ってきたのだ。
 五人の子であっても、きっとこの人はあの方の二の舞にはならない、と少女は思い微笑んだ。その時、怒りで煮えくり返っていた腸の熱が、静かに冷めていくのを感じた。
「ほら、今、この子は泣いていませんよ?
 いきなり五人も同時に相手をするから躓くんです。誰だってそうですよ。
 きちんと子守の秘訣をお教えしますし、手伝いますから一人で負うのはお止め下さい。
 母親が泣くと子供も泣いてしまいます、さ、笑って下さい」
赤い髪の赤子は、よく眠っている。
 寝ていれば、可愛い顔をしている、と思う。蘭の表情がわずかに緩んだのを見届けて、嵐は淡々と告げた。
「しっかり抱いて、ソファで待っていて下さい。
 頭は重いですから気をつけてくださいよ」


 ******

 先にソファにいた八俣は、腕に激と爆を抱き、膝の横には真が遊んでいた。何故だかもう泣き止んでしまっている。八俣のシャツをはむはむとしている真と爆。煙草を持って来なくてよかったと思う。
 今までのやりとりを見ていた男は、冷めた目で彼女を見上げた。
「本当に駄目駄目だな。年下の娘にまで心配されてたら世話ねーぜ」
ぼそり。
 と、鋭く切り込む。
 眠る赤子をあやす蘭は肩が震える。図星だ。
「……うるさいっ」
「で。これ、激とか真とかいうお前の部下だよな?
 どうした?
 ……一応わかっているとは思うが、うちの嵐に迷惑をかけている以上黙秘権は存在しないぞ」
「一昨日、色々あって部下が子供になってしまった。
 丸木戸君に動いてもらっているからあと二日もすればなんとかなると思う。
 昨日から泣くわ喚くわ危険なことをするわで、寝るどころか飯を食う暇もなかった。三分目を離していれば隠れてしまうんだ」
「教授か。ってことは、お前得意の実験の失敗というやつだな。
 自業自得なんだろどうせ」
「教授を急かせすぎた。もう少し実験を重ねた上でもよかったんだが……事件の方が大きくなる前に手を打つ必要があって、それにはその装置は画期的だったのだ。
 こんなことになるとは、考えてなかった」
一昨日からの異常な二日間を思い出して、みるみるうちに彼女の瞳が潤む。炎の小さな顔に大粒の涙が零れ落ちる。凄まじい日々だった。生きていられるのが、信じられないくらいに。
 炎が、僅かにむずがる声をあげる。寝ていたはずなのに、赤子というのは本当に敏感だ。
 嵐は現朗を抱いてやって来た。
「笑顔。笑顔」
言われてはっとなって、無理やり口を引き攣らせる。目からこぼれる涙は止まらなかったが、炎が嬉しそうに笑みに応える声をあげた。
「洗濯できる場所はありますか? あと、替えの布団はどうします?
 旦那様、今週休暇頂いてよろしいですか?」
「ひっどーい。職場放棄?」
「無理ならば家政婦協会に代理を頼みます」
つまり、彼女はここにとどまることは決定事項、ということか。
 警視総監という特殊地位がある以上、新しい家政婦が来るのは御免蒙りたい。聞こえるように舌打ちした後、休暇の許可がおろされた。この借りは絶対償ってもらう、と八俣は胸に刻む。高級チョコレート一箱買収できると思ったら大間違いだ。
 オムツを替えたばかりの子供をあやしながら、八俣の横に嵐が座った。オムツを替えたばかりの現朗は、うとうとと眠り始めていた。
「……何故だか旦那様の傍におくと、泣き止みますね」
「あーら。子供にもあたしのお色気が通用するみたいね☆」
「そうですね。じゃ、五人とも頼みます。
 日明大佐は一緒に洗濯をしましょう」
炎を八俣の横におくと、真と一緒になってシャツをいじくる。激と爆は相変わらずすやすやと愛らしい寝息。
 確かに、なぜか子供と相性がいい。
 喜ぶべきか喜ばないべきかで、一瞬深いところまで考え込んだ間に、二人は部屋の奥へと行っていた。
 「お昼は鰻二段よ」
出て行こうとする蘭に、そう言葉を投げかけた。
「江戸で最高の一品を手に入れてみせる」
「いいわね。酒はこっちが用意するわ」
それは彼らが交わす、いつもの軽いやり取りのつもりだった。

 だが。頑固者はいきなり切れるのだ。

「……お二方とも、この五人も子守をしなければならない状況で具にもつかない発言はやめていただけませんか?」

静かな、あまりにも静か過ぎる声に、天下の警視総監と零武隊隊長は、首を素直に縦に振ること以外できなかったのである。