・・・  子猫、猫の子 2  ・・・ 


 愛想がなく、素っ気無いところがまた可愛い、と思う。
 八俣八雲は少し浮かれた気分で家に戻ってきた。今日は初めて夕飯を注文して出てきた。いったいどんな料理になっているか楽しみだ。

「嵐っ」

ずばき。

 知らぬうちに力が籠っていたのだろう、扉が嫌な音を立てて妙な開き方をしている。間違いなく、扉本来の使用法ではない。
 そういえば扉の立て付けのことで言われたのを思い出して嫌な汗が背筋を流れたが、それを無視して八俣は両手でゆっくりと閉める。
 奥からこちらに向かってくる足音が聞こえると同時に、食指が動くようないい香りが漂ってきた。間も無くして彼女の全身が視界に飛び込んできて、ぱっと両手を開く。
「らーん」

がばっ。

 だが、彼の予想に反して両腕は空を切った。
 すばやく交差したのに、目当てのものは太い両腕を避けて横を素通りしてつっかけに足を入れている。面白くなさそうに八雲が後ろへ振り向くと、嵐は扉を丁寧に見ている最中だった。
 どうやら家の奥にいた彼女にすら、例の音は聞こえたらしい。
 はあ、と大仰にため息をついて恨めしそうに帰ってきたばかりの主を睨む。
 普段から扉の開閉については口うるさく言っていたのだが、今日完全に止めを刺されてしまった。残念ながら大工の出番だ。
 しかし睨んでも効果はなく、主の方は、家政婦が抱きしめられなかったことが何より重要だった。
「なんで逃げるのよ」
扉のことは一切謝らず、口を尖らせて問い詰める。
「……逃げたつもりはありません。
 旦那様の真意が全くわからなかったので」
「西洋式の挨拶よ。
 家に戻った主人の厚い胸板に飛び込んでくるのが、家政婦の挨拶。
 さ。やり直ししましょ☆」
「ここは日本です」
嵐は主人の荷物を目にも留まらぬ速さで奪い取って、一人さっさと三和土をあがった。ひどくつまらなそうな目で訴えている主はこの際無視だ。このくらいのやり取りは流しておかないと、永遠に夕食にたどり着かない。

 とかくこの主人は遊びと無駄が多すぎる、と嵐は思う。

 可愛げなーいとかなんとか叫んでいる主人を放置して、背を返し主の部屋へいく。その後台所へ戻り、夕餉の最後の盛り付けをした。味見してみると、久しぶりの料理だったがなかなかなの出来だ。
 お膳を運ぼうとしたところで、自室から戻ってきた八俣が台所口のところに立っている。嵐の手にある土鍋に、少し首を傾げた。
「散らし寿司……じゃないの?」
「鯛めしです。ああ、関東ではたいご飯とかおっしゃるんでしたっけ?
 よくわかりませんが。良い鯛でしたのでこういう食べ方にしてもいいのでは、と思いまして」
「へえ。土鍋にお魚。
 ねえ、今日は隣で食べてくれるんでしょう? まさか一人で食べろなんてつまらないこというつもりじゃないでしょうね」
「玄関の扉が壊れた件につき、反省していただけるならば」
「いくらでもするわ。
 もう壊さない、絶対壊さないから」
「本当ですよ。誓って下さいよ。誓いを破ったときはそれなりの誠意を見せてくださいよ」
「三日禁酒とか?」
「いえ。切腹で」
さらりといわれた言葉に、嫌な汗が頬を伝う。一瞬重い沈黙が下りたが、彼女は気づかず大きな眼を瞬かせるばかりだ。
 冗談か本気かわからないのがいいところだ。
 と、八俣は無理に心を納得させる。
「では、鯛めしが冷めてしまいますので頂きましょうか」
八雲は土鍋を勝手に奪うと、さっと居間へ運んでいった。
 奥にしまってあった箸と茶碗をとりだし、自分用の膳を用意する。
 普段彼女は食事の用意をしてくれるが、一緒に食べることはない。
 否、そもそもはじめの契約では夕飯のときまで一緒にいるはずではなかった。それがずるずると一緒にいるようになって今に至る。

 ―――警視総監だから面白い話がたくさん聞けるし。

 そう。
 実際、彼女が食事にいるのはこのマッチョの警視総監から面白いネタを聞くためだけだ。横でご飯をよそい、ちょこんと座っているだけで、彼女の好奇心を刺激する話を次から次に聞かせてくれる。
 彼女が自分の膳を持って入ってきたとき、部屋では、蓋を開けながらどう食べるのかと八俣は必死に考え込んでいた。
 大きな巨体が小さなものに四苦八苦している様というのは、何故だか人の笑いの感情を擽る。思わず吹き出しそうなるのをぐっとこらえた。
「よそいますから、待って下さい」
「……今、笑ったでしょ?」
と、何気に鋭いツッコミが入ったが、嵐は答えることができなかったのである。