・・・  雨の中 3  ・・・ 


 多くの弟子たちは飲み明かし、結局朝まで屋敷にいた。葬式の手伝い半分、邪魔半分だったが、娘は快く全員を受け入れてくれた。皆顔馴染みなのだ。激はうつらうつらとしながら爆と一緒に酒を飲んで語っていた。
 朝日が見えたとき、もう、激の目から悲しさは消えていた。
「おーっと。もう朝日が昇ってきてんぜ、爆」
「どうりで寒いはずだな」
激が先に、続いて爆が道場の外に出て空を仰ぐ。冷たく張り詰めた空気が頬を突き刺した。しばらく深呼吸をしていると、酔いも醒め、爆は急に首をすくめたかと思うと両手でしっかり両肩をつかみぶるぶると震え始めた。
 夏とは思えない涼しさに、どうやら寒さを覚えたらしい。
 激は、のびのびと手を振りながら、声を上げて笑った。
「おいおい、夏だぜ」
「う、うむ……。酒が抜けてきているのか……少し寒くてな。上着をとってくる……」
「贅沢者め。ったく、しゃあねーな。
 ……俺ぁちょっと先生に最後の挨拶してくるわ。ついでに酒を取ってきてやる。道場に戻ってろよ」
「わかった」
言うが早いかすたこらさっさと爆は行ってしまう。
 爆もまた、激にとっては弟弟子で、『先生』から直々に教わり零武隊に入った一人だ。エリートになった彼らを覗いても、零武隊にはこの道場の出身者は多かった。
 理由は二つ。
 彼は、軍に非常に顔が利いた。弟子で、軍人になった者は数多い。そして彼自身、維新の頃からずっと雄山元帥とも懇意の仲だという。
 そして彼の教える武道は、剣のみにこだわらない実践的な古武術の流れを汲むものだからだ。零武隊でもっとも要求されるのは、力だ。この道場の出身者は零武隊が要求するレベルまで達している者が多かった。
 久々に古い友人たちに会えたのがうれしくて、激は知らずうちに鼻歌を歌っていた。
 母屋に人の気配はなかった。どうやら、多くの者たちは眠ってしまったらしい。台所のほうでは幾人かが動いている気配こそあるが、他は静まり返っていた。
 ……先生が寝ている部屋は、と。
 涙で曇って見えなかった光景が、今ははっきり見える。
 これでしっかりお別れが言えるぜ。先生。
 遺体と対峙したとき、激の胸のうちは今までにないくらい静かなものだった。
「……先生」
しゃがみ、ゆっくり棺のふたを開く。
 死者の顔をじっくりと眺め、そして触った。
 体温のない塊。それは悪寒の走る冷たさを持つ。だが、激はその死者の体温ですらいとおしさを感じた。顔に触れ、そして、着物を肌蹴させて胸を触る。
 こわばった顔も、筋肉も、厚い胸板も、全てがそのままだった。
 衰えるまもなく、亡くなった。
 ―――と。
 激の指に、違和感が走った。胸を触っているときに、何かに触れたのだ。
 ……え?
 好奇心から、棺を開く。
 悪いとは思わなかった。
 帯を緩め、胸元を開く。そこに、見知らぬ横一文字の傷跡があった。
 傷の部分は赤く変色しているが、それが化粧で隠されている。変な傷跡だった。かなり大きな傷で、刀傷であることは間違いない。こんな傷を負うようなことがあったらそれこそ命にかかわるくらいのものだ。
「……あれ。こんな怪我したって言ってたっけ……?」
酔ったときに上機嫌で語る維新の頃の話を思い出してみたが、どうにもこの傷が該当するような話はないように思える。
「そんなに、古くないなぁ……」
注意深く見てみると、傷は縫合されていた。
 古傷のように見せかけていたが―――
 それは古くはない。
 いや、傷ですらない。治った跡はなく、縫合で隠されていたのだ。
 その一点を理解した瞬間、激の指先から全身に至るまで、血の気が一気に引いていくのが自分でもわかった。

 一酸化炭素中毒なんかではない。この傷こそが、致命傷だ。