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葬式の会場で、激は、やはり泣いてしまった。ぼろぼろと落ちてくる涙は、頬を伝わり顎から零れ落ちて膝に沁みこむ。 つい先ほどまで、一瞬前まで、絶対に泣くまいと決めていたというのに。 師匠に、泣き顔を見せたくはなかった。 もう泣いたりしない。一人前の男に、立派な男になったから。泣き虫だとよく揶揄された弟子もきちんとした男になったんだよ。そう思わせたかった。 だが。 完全に生きている者とは違う、異質なその顔を見た瞬間に全てが崩れ落ちた。 「……っぐ……せ、先生……」 もう、動かないのだ。 その事実が強烈に激の感情を揺さぶる。会えなくなることと、亡くなることとは、ともすれば非常に近い意味を持つのに、それらは似て非なるものだ。 先生、先生、先生――― そんな考えが頭に浮かんでは消え浮かんでは消え、涙が止め処なく落ちてくる。 声だけは出すまいと押し殺して泣く様子が、余計に見る者の哀愁をそそった。現朗は肩を震わせる親友の背中を後ろからたたく。それでも激は動けなかった。 現朗は決まりきった動作を済ましてから、棺に近づいて横たわる師匠の顔に近づいた。 享年六十八。維新を生き抜いてきた本物の男だった。 胸からせり上がってくるものを抑えて、激の肩を抱くと、静かに死者の前から立ち去り遺族の方へと向かう。遺族の席には、嫁にいった娘とその夫が神妙な顔つきで座っていた。喪主は彼女だった。 泣きやまない激の分もあわせて現朗は静かに頭を下げると、二人も同時に頭を下げた。突然の不幸に悲しみはこみ上げてこず、葬式特有の忙しさに紛れて思考を完全に止めてしまっている。泣いた跡は見られなかったが疲労の跡は色濃く見えた。 現朗は言葉を考えていたが、そのすべてを放棄した。何も言わなくても、すべて伝わるものだ。 それは相手も同じようで、男と女も現朗と同じタイミングで頭を下げた。横ではずっと激の嗚咽が響いていた。 広い屋敷が埋もれるほどに弔問客は多かった。 二人の師匠は剣の道だけではなく、財、政、官にも顔が利いた。激や現朗、炎や真のように腕の良い弟子の多くは軍人になったし、他の道に進んだ者もいる。その全部が次から次へと集まってきて、そして想い出を語り合えば、広い屋敷といえども人が溢れるのは当然の成り行きだ。 死因は一酸化炭素中毒。 眠るようになくなったのだという。その言葉どおりの死体だった。 二人の足は、自然思い出の道場に向かっていた。道場にも、すでに人は多くおり、そして面白半分に試合を始めていた。 「現朗、激!」 顔なじみの兄弟子が、声をかけてくる。激が泣きじゃくっているのを見て、ああ、と彼は喉の奥で苦笑した。激は泣くだろうとつい先ほどまでみんなで言っていたのだ。激は昔から、普段は全くそうは見えないのに、とにかく情に脆い。だから情に駆られて泣いた後、みんなから泣き虫と揶揄されたものだった。 「……どうだ。一本やってかないか? 弔いにな」 「わかりました。 激、お前は道場の隅にいろ。わかったな」 こくり、とうなずく。現朗から手渡されたハンケチはぐっしょりと濡れていたのに、まだ彼のたれ目からは次から次へと涙が溢れている。 覚束ない足取りで壁際まで行って床に座り込む。膝を抱えて丸くなって、ぼんやりと稽古風景を眺めていた。現朗の動きはすばやく、頭一つ飛びぬけている。次々に昔の友人たちは打ち倒されていく。 「激、落ち着いたか?」 「……ん? ……ああ」 いつの間にか、横に真が立っていた。 「先生……亡くなっちまった……な……。まさか…………さ。あんな人が、あっけないなぁ……って……」 「そうだな」 「って、つ、つい、この前、までは……までは……会ったんだ……元気だったんだ……病気ひとつしてなくて、怪我もなくて、だから……まさか……って」 「俺もそう思う」 真は返した返事は淡々としたものだったが、口調はやさしい響きを帯びていた。 ―――嗚呼。 わかって、いるのだ。 優しい音は胸の奥まで落ちてきて、彼の一番柔かい部分にそっと触れる。痛みはなく、ただ涙が溢れる。 もう、先生は、逝ってしまったのだ。 |
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