|
||
寒風が骨まで凍みるよく晴れた日のことだった。 烏からも子供からも無視された鈴なりの柿の木が、細い枝を静かに揺らしている。空だけ見上げればまるで夏のような爽快さがあるが、実のところ非常に寒い。からりと乾いた空気に時折吹き抜ける冷たい風は、帝都の冬の風物詩だ。そんな寒さをものともしない激は夏も冬も変わらない同じ軍服を着ながら、ぼんやりと空を見上げながら歩いていた。 十二時少し前になると、零武隊では近所の弁当屋に注文の弁当をとりにいくことになっている。本来今日の当番は激の部隊の若い隊員だったのだが、彼が怪我をしたので急遽彼が行くことになった。 近頃弁当屋にかわいい女の子が入ってきたとかで、行きたいと名乗りを上げる奴が多かったのだがその全てを激は打ち倒した。一対一の戦闘で彼にかなう隊員は多くはない。 頭から血を垂れ流しつつ床を這いながら『絶対行きます』と言い張っていた後輩を思い出して、苦笑が浮かぶ。 零武隊はとかく男所帯なので同年代の女性に飢えている傾向にある。しかも大佐の思いつきで『恋人救済大作戦』などというものを実行したため、もはや全員が恋人なしという状態にまでなってしまった。 「隊長って素で別れ屋だよな……」 その弁当屋は零武隊からそう離れているわけではなく、ものの二十分あればつくのだが、激はあえてゆっくり歩いた。あまりにもいい天気だったからだ。今度の休日、現朗とどこかに行こうかな……なんて考えながら頭に手を組む。 弁当屋についたとき、すでに先客がいた。日焼け対策用の軒先の布のせいで勘定台にいる客の全身こそ見えないものの、布の下から見えるのは明らかに激と同じ白い軍服だ。 彼の体温が五度ほど一気に下がった。 この就業時間中に外に出れる隊員は、基本的にはいない。見回りも外回りも今日の予定にはない。しかも、白い軍服の着用を許された者になればなるほど、行動に対する責任は重く厳しく規制されているはずだ。そんな中堂々と仕事をサボるといったら…… 「お? 激か?」 零武隊隊長、日明 蘭しかいない。 蘭はひょいっと布を持ち上げて立ち竦んでいた部下に声をかけた。 「大佐……まーた仕事さぼってんっすねー」 激はため息混じりに返答しながら、布を持ち上げて店に入った。 「さぼっておらん。 参謀本部の帰りだ。ただ護衛と馬車とを先に行かせただけだ」 「…………大佐がそこに乗ってなきゃ護衛も馬車も意味がないんじゃねかなって思ったり……し、してませんっ! マジでっ」 不穏な殺気を感じ取り、手をばたばたと震わせて否定する。 にこにこと胡散臭い笑みをのせて、蘭は顔を覗き込んだ。 「ほう、それは良かった。 君も丸木戸君みたいに死体になることを望んでいたらどうやって対処すべきか頭を悩ませていたところだ」 「……本当に良かったっす。 ええーっと。おねーさーん、今日の零武隊分の弁当とりにきましたー」 「わかりましたー」 店の奥から肯定の返事が聞こえた。今までに聞いたことのないくらい、若く華やかな声だった。 どうやら店の奥で動いている彼女が、噂の美女なのだろう。 激はその容姿を見たくてわざわざここまで足を運んだのだが、残念ながら今はそれは全く少しも気にならなかった。というのは、横にもっと気にかかる存在がいるのだ。その不穏な存在が腕を組みながらじっとこちらを見ているのだ。 痛いほどの視線を感じて、激は頬を引きつらせる。 ……つーか、大佐がこんなところでいったい何をやってるんだよ。 「……知りたい、か?」 ぼそりと彼女が呟いた。 心を見透かされて、ぴくり、と激の体が跳ねる。 「え、ええ、と、まあ」 「誰にも言わない、と、約束できるか?」 「う、う、う、うーんと、まあ」 そうか。 彼女はあごに手を当てながら数秒考え込み、そして、にたりと微笑んだ。 ぞくっと悪寒が走る。 やばい。なんかやばい。てゆうか怖ぇぇよ! 現朗っ! 普段から大佐の免疫のない激には、蘭の一挙一動が恐ろしくてしょうがない。一人慌てふためく部下の気も知らず、彼女は口を開いた。 「ここの女性が、爆と結婚前提で付き合っているのを知っているか?」 えっ?と思わず声をあげてしまう。 大佐が怖くなかったから、ではなく。 その内容そのものに激は驚いた。 可愛いと評判だ、ということは知っていたが。 まさか、あの後輩が手を出しているとはっ! 三白眼で気づかなかったが、やることはやってんじゃねえか! 「それの確認だ。 身辺を調査したがさほど悪いものはなく、だがなかなか良い子で安心した。それに可愛らしい。あと弁当も旨い」 「……え? 美味しいですか?」 二人の会話をききつけて、彼女が勘定台越しに顔を出してきた。 「ああ旨いな。 何度食っても旨い。 こんな旨い飯を毎日食べて、そして毎日お主の顔が見られる奴は果報者だ」 ぼん。 蘭に言われた娘は見る見るうちに紅潮する。 「悪い男に気をつけろ。 おい、激。さっさと動け。彼女に持たせるな馬鹿者っ」 「は、はい」 眼前の娘は蘭から目が離せないようで、上の空になりながら勘定台から弁当を青年に手渡した。蘭の表情、所作、その全てが彼女を魅了している。大量の弁当を持ちながら激は心中こっそり呟いた。 ……爆。お前の恋愛は終わった。 三日後、真夜中食堂で自棄酒したまま寝込んでしまった後輩を見つけた激は、そっと服をかけてやったのである。 |
||
|