・・・  連れてって 3  ・・・ 


 道場の門に着いたとき、飛天は空を見上げて、三十五分の遅刻だなぁ、と聞こえるように呟いてちらりと視線を流したが、やはり日明は笑っていた。嫌味でこたえる人間ではない。
 晴れ渡る午後の青空に烏が弧を描いて飛んでいく。遠くから聞こえる金槌の音と、大工同士の声。なんとものどかな昼下がりだ。
 直ぐに三人は気がついた。
 ここが長閑である――― というそのこと自体が、異常であることに。
 二十人以上の子供たちがいるはずの道場が静かに沈黙している。子供の気配が、一人もいない。目を鋭くして門の外から道場の中を伺おうとしたが、影になってよく見えなかった。
「おいおい。あいつら全員さぼりかぁ? ったくオカマが怖くて逃げ出すなんて肝のねえ奴らだぜ」
わざと暢気な声で飛天が言うと、八雲は髪を掻き揚げて頬に手をおく。
「そーねぇ。あたしの折角の美貌が素晴らしくて怯えちゃうのはわかるけれど、そんなこと気にしなくていいのにねぇ。ほら、生まれつきで仕方ないんだから」
無駄な言葉を応酬させながら、木刀を使いやすいように構えた。
 日明はいったん友人のほうへ振り返り、軽く合図をする。静かにしろ、ということだろう。何に対しても対応できる状態をつくって、門をくぐり、道場の戸の前までやって来た。
 戸は開け放たれており、中に人はいない。だが子供たちの履物が整頓されて横の靴箱に納まっていた。

 子供たちは……奥にいる。人質にされたら厄介だな。

 いつもならば道場は日差しが入って明るいはずなのに、今は全ての窓が閉じられていて暗かった。外が明るいだけにその暗さは彼らには不利になる。三人は目を瞑り、暫くしてから瞑ったままで道場に踏み込む。
 日明を中心に、左右を飛天と八雲で固める陣形をとった。

「来たなぁぁぁぁ!」

声が聞こえたのは―――
 真上。
 だが、それは、実のところ三人は予想済みで、蘭の全身の体重を込めた一撃は防御であっさり跳ね返る。身の軽い蘭の体は道場の中心近くまで吹っ飛んだが、空中で回転しながら方向転換し、床に足が着くと同時に日明に向かって低く刀を構えて襲い掛かった。
 彼女は暗さを味方にして逃げようと考えていたが、それは適わなかった。三人は目を慣らしていたので、はっきりとその姿を確認できた。自分らよりも二回り小さい、一見少年のような、子供。そして子供とは思えない俊敏な動きと跳躍力。
「くそ餓鬼っ?」
「蘭?」
「蘭さん?」
三者三様の呟きが唱和する。
 日明は飛んでくるような一突きを避けもせず、木刀の先で剣先を逸らすと流れるような動きでそのまま胴薙ぎ払う。完全に決まれば大人でも気絶するが、咄嗟に少女は左手を犠牲にして防御した。
「ぐっ」
それでも全身に痛みが駆け抜ける。
 流石に今度は上手く着地することが出来なくて、ごろごろと床に転がった。
 飛天は彼女に先回りし、どしん、と軽い体が太い足にぶつかる。
 目が回って動けない体を持ち上げて少女から木刀をとりあげた。
「…………で、どーしてお前がここに居るわけよ?」
八雲は窓を開け、そして道場に備え付けの備品置場を開ける。そこから一斉にいなかった子供たちが現れた。どの子も怪我をして、しかも半泣き状態だ。子供たちはいっせいに飛び出して二人の側に集まると、その足の下でわんわん泣き始める。
 しばらくつるされて蘭の意識も戻った。
「下ろせっ! この阿呆、狸、唐変木、狗、猿、狒狒っ」
「あー。口が悪ぃなてめえは。
 言葉遣い覚えないと一生下ろしてやんねぇ」
「なんだとっ。このっ―――」
少女がうるさくなりそうなので、飛天はにやっと笑ってから肩からぐるぐると大きく回す。
 流石の少女もこれにはまいった。
「う、うあああっ―――」
悲鳴があがっても数分続けてから、おもむろに手を止めた。
 できあがったのは少女の屍。
 ぷらーんと飛天の腕の下で揺れている。
 年長者の子供たちは流石にもう泣きやんでいたので、怯えながらもそれを見に集まってきた。
 飛天が軽くふると、ぐへぇ、むげぇという嫌な声を発する。
「せ、先生の……知り合い?」
つつこうとした少年の指を蘭が一瞬噛み付こうとする。
 触るなよ、と飛天が鋭い声で注意した。
「先生らの道場の餓鬼だよ。何かいっていたか?」

『せんせいたち襲うから協力しろって、あそこに閉じ込められた』

五六人の子供の子が唱和して、少年の顔が引きつる。
 さっと彼女を小脇に抱えると、そのままぐぐぐ……と力をこめた。
 痛みと酸欠で少女の顔が朱に染まる。
「お前は性懲りもなくまた俺たちの首を狙ったわけか……」
「わざわざ別道場まで乗り込む勇気と度胸と執念は認めてあげるけど、やりすぎって言葉を覚えましょうね? 蘭ちゃん?」
八雲は蘭の前まで来てしゃがんで目線合わせる。ふいっと彼女は首を逸らすが、頬に手を当てて無理矢理目を見させた。
 おまえの、その、目が嫌いだ。吸い込まれるような色をしやがって。おまえは……嫌な奴だ。
 ―――と、蘭が言ったのを思い出して口元だけで笑みが浮かびそうになる。
 目は支配の道具だ。
 そして、この圧倒的な不利な状況では、蘭は容易に『負け』やすい。
 蘭が横を向いても二人はしつこく彼女にかまってきた。
 今、二人はなんとかしてこの子に嫌われなければならない。
 金がかかっているのだ。
「おーい。ここにちび餓鬼が来たってのはどういうことよ? え? いってみろ」
「蘭ちゃん。ほらこっちむいて」
鼻をつまんだり頬をつねったりしながら猫が鼠をいたぶるようにじわじわと苛める。少女は体を動かして逃げようとしたが、飛天の腕は予想以上に太くきっちりとしまっていた。
 他の子も揶揄嘲弄に加わる。
 蘭が横を向けば反対の頬をつねり。
 彼女が少年たちの指を噛もうとすれば頭をはたく。
 一方、日明は団子を配って小さい子供を慰めるのに専念していた。元気の戻った子供たちは次々に飛天と八俣の輪に加わっていく。泣いた烏たちはすでに笑っていた。
 彼にしてみればとにかくあの少女に二人が嫌われれば、それで良いのだ。
 最後の子は殴られた傷が痛いのか、なかなか泣き止まなかった。
 泣き止まないときには気をそらせるのが一番だ。日明は団子を無理やり渡して、そして食べさせた。
「……美味しい? 醤油団子」
もぐもぐと咀嚼するうちに、涙がとまっていく。
「うっ、うぇっ……うん」
さらに、よしよしとその子の頭を撫でてやる。落ち着いたのか、さらにもう一つの団子を日明の手から受け取って食べだした。
 蘭は幾人にも囲まれながら、その様子を、見た。
 見えてしまった。
 ―――胸がずきんと痛んだ。
 はて?と飛天と八雲が疑問に思う前で、興奮し赤くなっていた少女の顔が、みるみるうちにゆがんでいく。ぼたぼたと涙が零れるるのに、時間はかからなかった。

「日明なんか、嫌いだぁぁっ!」

蘭がいきなり声を張り上げる。
 驚いた飛天は慌てて腕をきつくしめたが、それでも抵抗した。
 急に暴れだして足をばたつかせる。
「全部師匠にばらしてやるっ。
 遅刻しただろっ! それに、団子持ってきただろっ! 道場で食い物は禁止じゃないかっ。
 全部、全部ばらしてやるからなっ。
 日明なんか、日明なんか嫌いだぁ―――っ」
八雲と飛天の心臓が本気で凍った。

 …………やべえ

彼らの脳裏に浮かんだ選択肢は三つ。
 蘭を生贄にして子供たちを逃がすか、蘭を持ったままここから立ち去るか、日明を宥めるか。
 そして、ちらりと友人の顔を見た瞬間、最後の選択肢は消えた。
 男の目がありえないほど開眼している。
 相当ショックだったのか、今なお動けない。
 八雲は振り返って蘭の顔を見た。えぐえぐと嗚咽を漏らしてその垂れ目で日明―――ではなく日明がつい先ほどまであやして頭を撫でられていた少年を―――睨みつけている。
 刹那、全てが理解できた。

 成る程、ね。

 八雲は、飛天の腕を軽く叩いて下ろすように指示した。そして自分の分の団子を蘭の前に差し出すと、何もいわずに奪ってむしゃむしゃと食べる。食べながら、涙がぼろぼろ零れた。
「……一緒に来たかったなら、そう言え」
「私に、言いたく、なかった、んだろ。だから、言わない、だろ」
「言いそびれただけだ。
 ったく。
 遠慮なんてお前らしくねえだろ」
どこの出稽古を行くときでもいつも一緒に連れて行ってくれる三人が、今回だけは何も彼女に言わなかったのだ。
 毎週毎週同じ時間に三人がいないので、蘭は気になっていた。そして先週稽古をさぼって後をつけると、他の道場の指導をしていたのを知った。

 なんだか、そこの子たちに奪われた気がして無性に腹が立って―――

 驚かしてやろうと思って今日の一件を仕組んだ。
 日明が蘭以上に別の子供をかまっているのを見て引き金になったのだ。
 それは裏を返せば、彼女の可愛らしい独占欲。
 日明はいつの間にかあのとんでもない殺気を身にしまって、いつもの作り物の笑顔を浮かべていた。



 「はーい。じゃあうちの道場の蘭君だから。
 まずは、謝りなさい」
全員が団子を食べ終わって一段落つくと、まず全員は礼をするためにそれぞれの場所に座った。三人は上座に座り、蘭を紹介する。
「……………………………………………………すまん」
ちょこっと蘭が頭を下ろすと、飛天が後ろから頭を押さえつけて床に倒す。むぎぎぎ……と蘭もなんとか抵抗しようとしたが、結局、ぺたんと床に体がくっついた。
 ……七、八、九、十。
 心で数えて、太い手が退かされる。
 上の圧力がなくなると蘭はがばっと顔をあげて、そのまま飛天に襲い掛かろうとしたがそれはあっさりかわされた。しかもおまけに腹に一発くらってごろごろと下座の子供たちのところまで転がってきた。
「いてて……。覚えてろよっ! この狒狒めがっ」
悪態づく少女を起こしながら、一人が、ぼそりといった。
「……強いな、お前」
「う……うむ。そうか……」
「ああ強ぇよ」
「俺に稽古つけてくれよ」
「俺も俺も!」
子供たちはすぐに打ち解けて、わいわいと声を上げている。
 ちらりと二人が日明に視線をやると―――

 ……見ちゃならねえものを見た。

 その日の稽古で二人は、死傷者出ないように死ぬほど頑張った。