|
||
「あーあ。もう、日明のせいよ、遅刻したの。 なんでよりによって別の道場の指導の時にこういうことるすんのよっ!」 「そうだな。日明のせいだな。師匠にはお前だけで叱られろよ」 「あっはっはっは。 嫌だなぁ。 八雲と飛天だって楽しんで野良犬を追い払ってたじゃないか」 『無理矢理つき合わされたんだっ』 つっこんでもなんのその、爽やかに笑って流す友人に、糠に釘と知っていても八雲と飛天は文句を吐かずにはいられなかった。 三人は、ここ一ヶ月、毎週土曜日の午後、知り合いの道場主が病気なのでその道場の幼年の部の指導をするよう師匠から頼まれていた。しかし、こともあろうか、日明がその大事な日に限って二人を野良犬退治に引きずり込んだのだ。 ちょっと川原の団子屋で一服しようよ。 と、いった言葉に騙されたのが拙かった。おごるという言葉につられた自分らの甘さをいくら悔やんでも悔やみきれない。 土手から下り、ススキの繁茂する川原を歩いて数分。 いきなり、近頃頻繁に噂が聞かれる野犬の群れに囲まれた。 あまりに唐突で始めは動揺したが、よくよく見れば日明の腰に何か不思議な巾着袋がかかっている。それが犬を呼び寄せるための餌と気づくのに時間は要さなかった。 持っていた木刀で三人は善戦し―――勿論負けるつもりはなかったのだが―――総六十二匹の野犬を屍に変えた。 「人助けなのになー」 頭に腕を組みながら日明が空に向かってぼやく。 成る程、人助けといえばそうなのだ。 犬を追い払ったと同時に老翁が茶屋から飛び出してきて何度も三人に頭を下げ、さらに団子を五十本をくれた。聞いた話を総合すれば、どうやら彼の孫が野犬に襲われて大怪我したので日明が退治を引き受けたらしい。団子はその見返りだ。 だが、この少年に人助けという言葉ほど不釣合いなものがあるだろうか。 「あんたが人助けっていうと、薄ら寒くてしょうがないわよ」 「……どーせ団子のためだろーが」 「あっはっはっはっは。 まさか。いらないよこんな萎びた団子。 たんにガキに配る餌だよ。餌付けされればガキでも多少は懐くだろ?」 この性格の悪さっ! 誰かなんとかしてくれよっ! これが品行方正の将来有望な才子として通っているのだから、世の中間違っていると思ってやまない。呼吸をするのと同じレベルで猫を被るこの少年の腹黒さは怒りを超えてもはや驚嘆にすら値する。この黒さに気づいているのはおそらく、友人の二人と彼ら三人の剣の師だけだろう。 「と、とにかくバレた時の対処は考えているんでしょうねっ」 「巻き添えは御免だっつうのっ。 お前はホント厄介なことしかしねーなー」 「あっはっはっは。何いってんのさ。 考えているわけないじゃないか。 バレなければいいんだし。 二人にはもっと感謝をしてほしいなぁ。 思う存分木刀を振れたっていうすばらしい機会をつくってあげたのに。 盛大に力を惜しみなく全力で殴ると気分がいいだろう? ストレスが発散できただろう? しかも生き物を殺して正義に適うなんて最高のお膳立てじゃないか?」 「……お膳立てって」 「ただの殺戮行為に快楽を覚えるのは不思議だと思うんだよね。 一人殺せば殺人、百人殺せば英雄……ってことかな」 誰か逮捕しておけこいつをっ! しかし悲しいかな、かの少年は近所の警察にはとことん受けがいいのだ。八俣は将来警察になったときはこういう犯罪者を根こそぎ撲滅するような法律を施行しようと心に誓った。 もっとも、この誓いは、この笑顔の悪魔 日明少年によってことごとく潰されるのだが、それは遠い未来のことだ。 「なに、二人が言わない限り師匠にはわからないよ。 ……まあ。ばれたらお前らのせいだと決め付けて問答無用で八つ当たりする予定になっているから宜しく」 さらりと言い返す。 後ろで飛天と八雲は蒼褪めた顔を合わせて小声で囁いた。 「お前なにかしたのかよ?」 「違うわよ。 蘭よ蘭。 あの子が今道場で一人なわけでしょ。日明はもちろん、あたしもあんたもいない。 そんなに手放すのが嫌なら、連れてくればいいのに」 「あ、なるほど。そりゃ確かに気がかりだな。 ま、でも連れてくるのはできねえや。蘭とあの道場の餓鬼どもが会ったら、間違いなく全員お友達になっちまう。ライバルが大量生産されるに決まってら」 「うちの道場だけできりきり舞いだものねぇ」 くくく、と二人は小声で笑う。 自己中心を座右の銘に生きてきた日明を、世界で唯一困らせることが出来る少女の顔を思い出した。表面上日明は彼女を気にしていないが、その実いつもはらはらしながら見守っている様子が二人には面白くて仕方がないのだ。 あの少女だけには礼儀正しい完全無欠十全十美の兄弟子と思わせたい。 だけど、彼女を独り占めしたい。 傍目で見ていてもよくその葛藤が読み取れた。 後ろの二人の笑いから凡そを理解して、少年は足を止めて振り返る。 ……分が悪いな。 胸中こっそり呟いた。 「ねえ。今回の礼金のことなんだけれどさ。 賭けして勝った者が独り占め、ってどうだい?」 話をそらすために二人の食いつきそうな話題を提供する。 『えっ?』 予想通り二人は目の色を変えた。 今回の指導にはその道場の先生から礼金をこっそりくれるという約束していた。一人ずつでもなかなかの額だが、三人揃えば相当な額になる。 負ければ零、だが勝てば――― 伸るか反るかの勝負ならば二人の行動は決まっていた。 「あんたにしては悪くない提案ね」 先に返答したのは、八俣だ。 「……まあ賭けの内容によるけど。面白そうじゃねえか」 内容、ねえ。 日明は意味深に口元を引きつらせて、そして、いった。 「蘭さんに、一番に嫌われること」 『うっしゃぁ!』 二人が男らしい声を上げる。 つまり、彼の分の礼金は山分けしろ、ということだ。 「きゃ〜。あたし新作の服買うわ。西洋式のやつ欲しかったのよぉ〜」 きゅっと小脇を締めながら特長的な声で八俣が言った。 「はぁ? オメエなんか褌で十分だろが。んな気色悪いモンに使うくらいなら全額俺がもらって飲んでやるよ。 くぅ、三人分ありゃ浴びるほど飲めるなぁ」 「おめえこそ工業用アルコールで十分だろが。なに酒なんて人間様の飲み物を飲もうとしてんだよ」 「おまえの女モンの衣装なんか公害じゃねえか。この猥褻オカマ。 それよりゃましだろ俺のほうが」 「き―――っ! あたしのお洒落は帝都のみんなが待ってんのよ! つーか、世界の屑代表のおめえに酒やるよりマシってどういうことよ!」 「ああ? なんだ屑代表ってよっ!」 つかみかからんばかりの剣幕の二人に、穏やかな声が闖入する。 「そういえばさ。飛天が勝ったらぜひお願いしたい費途があるんだけれど。いいかな」 それは確かに穏やかで小さな声だったのだが、どこか無視できない強制的な響きを含んでいたので二人は動きを止める。 ああ?と飛天は腕を組みなおしながら聞き返した。 「褌買うなんてどう? 半年替えてないんでしょう」 腕を組んだままずるっと黒髪の少年がこける。 ざっと青髪の少年は驚嘆しながら身を放した。 「ど不潔。病原菌。蛆虫」 「臭うよ。異臭が」 笑顔でさらりと酷いの言葉を投げつける。 口に手を当てながら、信じらんなーいと八雲が追い討ちをかける。 「馬鹿野郎ぉぉっ! もっとまめに替えているわっ。 つうか半年替えねえんならそもそも褌しめねえよっ!」 半泣きで声を上げるが、友人二人の乾いた笑い声で流された。 というか、こんな奴等、友人じゃねえっ! 心で復讐を誓いながらにらみつけると、笑いをぴたりと止めて向き直った。 「でも臭うのは事実だよね。褌に限らず全身充満したその獣くさい匂い」 「俺の香りだっ。悪いか!?」 流暢な、一見見蕩れてしまうような無駄のない所作で、日明は腕を持ち上げる。 二人の目はその腕に集中した。 そして。 次の瞬間、飛天は避ける間もなく首をつかまれていた。 ぐっ、と声が詰まる。 苦しくはないが、その小さな手がつかんでいるの確実に頚動脈の上。 先ほどまでの楽しげな雰囲気は一瞬に吹き飛んだ。 「……悪くはないさ。 ただ、雄の匂いはちょっと困るから道場に来る前には落としてくれって何度もお願いしているだろう? 女って匂いに敏感なんだよね。だからまずは下穿き替えろ。 俺のオネガイ、聞けないの?」 それは蘭が嫌がるから、というのではなく。 蘭が、その匂いにつられるのを危惧しているのだ。 日明は友人二人を非常に信用しているが、一番の敵であるということを片時も忘れたことはない。 日明がそうであるように、彼らもまた女性を魅了する要素の全てをもっているのだ。蘭が少女でなければその魅力に気づくだろうし、今だって、気づかない保障はない。女は単純だ。 惚れるのは一瞬で、しかも先着順。 危険はすべて排除しておかなければ気が気ではない。 「同じように、八雲も履かないのはやめてくれない?」 殺気と笑顔を織り交ぜながら穏やかな口調で言う。飛天は日明の腕をつかんでいるが、どうしようもできず緊迫状態が続いていた。 「ばれてた?」 悪戯がばれた子供のような顔をして、ぺろりと舌を出す青髪の少年。 「見えてた」 彼はそれだけ言って首から手をはずす。 飛天はさっと身を離し、八俣も同じように距離をとった。 二人の警戒を無視して、日明は背を返してすたすたと歩き出す。 首に痕はついていない。 ……心配なら手を離すなっての。 二人の心中はただ只管に同じことを思っていた。 |
||
|