・・・  大山鳴動鼠一匹 3  ・・・ 


 翌日、いつもの朝礼で現朗が手を上げて質問すると、日明大佐はあまりにあっさりと自分の犯行だと認めた。

「ああ、それか。
 先日黒木中将から『零武隊の規律が乱れていると一般人から苦情が来たので対処しろ』と直々に命令されたのでとりあえず風紀の乱れから直してみた」

 直してみた。
 という一言で、あのとんでもない所業を軽く流されてしまった。
 それを聞いたとき、その場の誰もが『一般人からの苦情って、大佐が一般人を蹴り飛ばすコトだろ』と思ったのだが、それを口に出す勇者というか愚者というべき存在がいなかった。おかげで全員にストレスはたまったが死傷者は出ずにすんだのである。
「そのような些事に大佐直々に動かなくて結構です。
 私どもに命令して頂ければ十分ですから今後はおやめ下さい」
当たり障りのないところを、とりあえず現朗が突っ込む。
「なに、大して手間を割くものではない。
 それに、部下を取り締まるのは上官として大事な役割だ」
 そりゃ一般的にはそうだけど、おまえは一般じゃないだろっ!? あんたを取り締まるのが俺たちの役目なんだヨ!
 と思ったのだが、それを口に出す勇者というか愚者というべき(以下略)。
「なるほど、それは確かに大事な役割ではございますが、他にはもっともっと大事なお仕事が残ってます。他の仕事が終わっていない以上部下に委ねれば宜しい。勝手に行動するのはお控えください」
「……だからわざわざ昼休みに時間外労働でやったんだろうが」
わざわざするんじゃねえーっての!
 と思ったのだが、それを口に出す勇者(以下略)。
 同僚の怒りのツッコミを背に受けながら、感情に流されることなく、有能な秘書は上官のその一言を鼻で笑い飛ばした。
「ほぉぉ? 日明大佐殿に昼休みがあるとでも?
 昼休みは私どもの休憩時間であって、誰も大佐のためのものとはいっておりませんよ?」
明らかな挑発だったが、現在の仕事状況を考えると現朗に逆らうことはできない。彼に臍を曲げられると一番困るのは他ならぬ蘭自身だ。
 とりあえず彼女は不快さを表しながら金髪を睨んだ。

 ったく。何故、こいつだけはこんなに元気なんだ?

 まず、炎は寝込んで今日は欠席だ。毒丸は一晩中泣き腫らした跡があり、なおかつ今でもえぐえぐと泣いている。激は(おそらく現朗にされたのだろうが)棒を使って立つのがやっとという程に憔悴している。真は真っ黒な隈をつくりながら立ったままで眠っていた。その他多くの部下が鼻声と赤い目をして力なく佇立していた。
 とにかく、全員になんらか心に傷を負わせることが出来たようだ。
 …………現朗を除いては。
 彼だけはいつもどおりの表情でいつも通り背筋を伸ばして立っている。

 絶対。激昂して襲い掛かると思っていたんだがなぁ……。

 蘭の中では、現朗は怒らせると一番楽しいタイプと入力されている。ゆえに彼に対しては―――普段の怒りもこめて―――一番丁寧に仕掛けておいたはずなのに。
 あれだけの事をして一晩で彼がここまで落ち着くとはどう考えてもおかしい。
 待てよ、と彼女は思考を止めた。
 もしかしたら彼は己の被害に気づいていないのかもしれない。だから怒っていないのではいないだろうか?
 その可能性は高い。激に気をとられていては、あれらを確認する暇はなかったかもしれない。
 蘭は体ごと現朗の方に向けて、ごほん、とわざとめいた咳払いをした。
「ああ、そうだ、現朗。
 お前の変な玩具は一切取り上げたからな」
「何ぃぃっ!?」
悲鳴を上げる男の前で、蘭が至極嬉しそうににたりと口を引きつらせる。
 やはり気づいていなかったかっ!
 ならばいくらでも楽しむ手段はある。
「他の奴等の一般書籍等は風紀を乱すような部分を削除すればなんとかなったが、お前のはそうもいかなかったので強硬手段を取った」
心臓を鷲掴みされるくらいに驚いて、そして、驚愕はすべて怒りへ転化する。
 愛しい愛しい男のためを思って古今東西から集めた素晴らしいグッズだ。口に出すのも躊躇するような卑猥な商品名をいちいち真剣にチェックし、時には使って試すなどして選びに選び抜いた一品。店主と仲良くなってその伝手で手に入れた非常に珍しい商品も多くある。それを、一度も活躍させることなく葬ってしまうとはっ!
 だが怒りに身を任せて彼女を始末する前に、それらを救出する方が先だ。
「ど、どこに保管しているんですっ!?」
掴みかからんばかりの勢いで現朗が訊ねる。
 はて、と顎に手を置きながら考える素振りをした。
「昨夜八俣に連絡をしたら、日本では非合法なものばかりだから押収すると言っていたぞ」
「くぅっ。警視庁かっ!」
そんなもの俺に使おうとしてたのかよぉぉっ!?
 激がびびって顔を青くする。
 今にも出て行こうと踵を返す現朗の背を見ながら、くすり、と彼女が微笑んだ。
「……が。それらを奴に渡す前に誤って丸木戸君の変な培養液に入れてしまったら全部溶けてしまった。
 あっはっはっはっ。すまんな」
ずがしゃぁぁん。
 盛大な音を立てながらその場に白い軍服がぶっ倒れた。
 哄笑している蘭が『人の嫌がることをするのは気持ちが良いなぁ』などと考えているのは、誰の目にも明らかだ。だがその場にはもはや復讐できるような元気な人間は残っていなかったので、上官の腹立たしい所業に文句をつけることはできず全員に多大なストレスが溜まった。胃と腸がきりきりと悲鳴を上げる。教授の胃薬を飲まなければ……となんとなく全員が同時に考えている。
 だが一人。もうそんなストレスすら感じられないくらい人生の全てに疲れ果てた頭で現朗はぼんやりと考えていた。

大佐に昼休みを与えるべからず。

 蘭が自分で自分の首を絞めていることに気づいたのは、数日経ってからのことである。