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現朗が激を引きずって入ってきたとき、すでに食堂には殆どの隊員が集まっていた。扉が開いた瞬間はいったん視線が集まったが、 とりあえず黒髪の隊員は呼吸しているようだったので、血を吐き焦点があっておらずかつ瞳孔が開き気味だったとしても、誰も何もツッコミをいれない。 許容性が広いというよりは、それがよくある光景だからだ。 すぐにざわめきは戻る。部屋は、異様な熱気に包まれていた。 隊員らは互いに、今回の『被害』、すなわちマイベストをしっかり握りしめながら、熱心に自分のお気に入りの女性について語っていた。 初めて知った知己の意外な側面に興奮気味だ。 「なんだよっ。お前も人妻縛りかっ!?」 「嗚呼っ。人妻は縛りたいよなぁーっ!」 「縛りたいなぁーっ」 とわけのわからない言葉を交わして抱擁する同僚の横を、現朗は冷たい目をして屍のような恋人を引きずっていく。 そして、食堂の前の方の彼らの定位置に腰を下ろした。 「現朗殿は大丈夫だったのか?」 鉄男は二人にさっと茶を差し出しながら尋ねた。 現朗は気を沈めるために直ぐに飲んだが、激は椅子に寄りかかったままぴくりとも動かない。 白い制服に激の喀血した血が点々と見えるのは、とりあえず見えなかったことにしようと鉄男は心に誓う。まずかったことは見なかったことにしよう、というこの精神的姿勢が彼がここまで零武隊で常識を保つことのできる大事な要因なのだ。 「……当たり前だ。伴侶を持ちながら後ろめたい物を持つ男の気が知れんっ。 こういうものはすべて処分したといっていたのに、女々しくも一つ二つ残しているからこのような事態になるのだ。 ったく」 やれやれと深い深い恋人のため息が聞こえて、はっと激に意識が戻る。 いきなりすっくと立ち上がって、ばんっと机に両手をたたきつけた。その音で周囲の視線は一気に集まったが、現朗の反応は冷ややかだ。 「持つんだよっ! 普通。 持っちゃうんだよっ! 男ってのはよぉっ。 そんな簡単にお世話になったやつらを捨てられるかよっ。捨てられるわけねえだろっ。悪ぃかよっ。 俺の、俺のケイコちゃんが…………うう……ぐすっ……」 竜頭蛇尾とはまさにこのことで、黒髪の声は次第に勢いを無くし掠れてしまい、最後は嗚咽だった。ぼたぼたと落ちる涙をそっと自前のハンカチで鉄男が拭ってやる。彼にしては珍しく、人の好意を素直に受けた。 その間に、毒丸は怒り沸騰中の現朗の手にある激のエロ本をこそっと奪う。見逃したのか、それとも本当に気づいていないのか、金髪は腕を組んだまま何もいわなかった。 「どれどれ。激ちゃんのケイコちゃんはどんなのかねぇ」 いつものようにきしししと笑いながら、自分の席でぺらぺらと捲る。好奇心に勝てず、他の隊員も席を立って毒丸の傍に集まってきた。 『……うわぁぁ』 そして、その、全員が、同時に同じ種類の嘆息を漏らす。 これは地雷だろ。 誰しもが思った。 ぴくり、と現朗に青筋が立ったので、鉄男ははらはらしながら再び茶をすすめた。茶は一瞬で飲み干された。 『ケイコちゃん』は金髪の西洋人だったのだ。 激本人だけが気づいていないのだが、その金髪は明らかに現朗に似ていた。恋人の癪に障るのは当然だ。自分を差し置いて二次元が性的興奮の対象になられては、嬉しいはずがない。 毒丸がほれと投げ返すと、激はおぼれる者が藁をも攫む勢いで中空のそれを奪って胸に抱く。すりすりとほお擦りをしながら再び涙がこぼれてきた。 表紙には、ぼてぼてのセーターを着た、鋭いつり目で婉然と微笑む女が手と股を広げていた。一日前までは、彼女は布面積の非常に少ないボンテージ姿だったのに。 「いい乳だった……」 くすんくすんと鼻を鳴らしながら女の胸を撫でて、ぼそりと呟く。 完全に一人の世界に入ってしまって、周囲の反応は少しも彼に届いていない。偶然手に入れた海外物なのでもう同じ製品を手に入れることは不可能なのだ。現朗の魔の手を逃れた最後の一品だっただけにそのショックは大きい。 「あそこも金髪なのぉ?」 毒丸がデニム生地で覆われてしまった女性の局部を指差すと、こくり、と激が目に涙をためて首肯する。 全員の視線は一旦現朗に集まり、それから互いに見合って首を振った。 「どうだったっけ?」 「金じゃなかったよ」 「ああ。俺も覚えている。金ではないけど、少し薄めの色だった」 「やっぱ外人さんは違ぇなぁ」 ちゃき、と現朗が刀を抜いたのが聞こえて、慌てて口を噤み席に戻った。現朗の額に浮かぶ青筋の量は今まで鉄男が見たことのある中で最高値をたたき出している。まずいなぁと思いながら茶を勧めたが、瞬きした一瞬の間に飲み干されていた。 「激ちゃんってさ。よくもまああんな毛深い洋物に勃つねぇ」 「人の趣味にいちいち文句言うなよ。……おめえこそどうなんだ?」 むっとしながら激は毒丸の手にある写真集を奪う。奪うというよりはむしろ予定通りに取られたといったほうが正しいだろう。青年は見せる気満々なのだ。 ふふんと鼻から息を吹く。 今度は激の傍に人集りが出来た。そんなものに興味はないという澄ました顔をしながらも、現朗もしっかりみている。 「どおよぉー? 俺の永遠のアイドルの涼子ちゃん」 毒丸は賞賛を確信していた。 絶対みんな褒める。凄いって言うっ。可愛いって言うっ! が。 男たちの反応は同じだった。 『ガキじゃん』 同時につぶやいて、全員が顔を見合わせて苦笑する。 あー、やれやれ。仕方ないなぁ。これだから毒丸ちゃんは。お子様だなよなぁ。こんなんでいいのか。単純な子め。つらつらと聞こえてくる先輩たちの言葉に毒丸は驚愕した。 「こ、子供じゃないよっ。涼子ちゃんっ。それでも十六だよっ」 「あー? これで十六? 飯食ってんのかぁ?」 「なんでっ!? 可愛い顔しているでしょっ? なんで駄目なのっ?」 「そりゃ顔はそこそこいけるけど、やっぱガキはなー。かぁーっ。個人の趣向ってのはわけわかんねー。 抱き心地悪そうだし。派手にしたら壊れちまいそうで色気ねえよ」 「そーそー。これじゃあ洗濯板だぜきっと。胸ないんだろどうせ」 「胸が女の全てじゃないやい、馬鹿ヤロー」 毒丸は必死で反論するが、語彙能力が長けているという程ではない彼がこの人数でかなうはずがない。目に見えて負け始める後輩に、金髪が突然口を開いた。 「……そう言うな。 彼女の表情とあわせて、確かにこの痩せ気味とも思える雰囲気は食指が動くものがあるぞ。幾分深いところのものだがな」 「だ、だよなー。さっすが現朗ちゃん話がわかるっ! 触手が動くだろっ? な?」 「……食指だ」 想いがけぬ援軍にぱっと毒丸の顔が明るくなる。激はふんと鼻を鳴らして、軽蔑の視線を恋人に送った。 現朗が味方についたと知ると毒丸側にも援軍を名乗り出る男たちが次々に現れた。そして本当の幼児愛嗜好の隊員も現れた。 服付エロ本というなんとも珍奇な物を片手に喧々諤々とした論議がかわされた。 そして、十分以上してからようやく最後の一人が到着した。 扉から出てきたのは、真っ青で今にも崩れそうな表情をした、炎だ。真が慌てて近寄る。現朗も心配になって腰をあげたが、直ぐに彼の高いプライドを傷つけるわけにはいかないと席に座りなおした。 特徴的な眉が珍しく平らになっており、視線は宙をさ迷っていた。 「炎っ。無理するなといったろう?」 「……ああ。すまぬ、遅れた」 手には文庫サイズの本が一冊、しっかりと握り締められている。原因は、それだろう。 毒丸と激は顔を見合わせ、そして、こくりとうなずく。 毒丸は静かに立ち上がり、鞭を構えた。現朗が気づくよりも早く精確に腕を動かす。それは真っ直ぐな軌道を描いて、炎の手にある本を奪い取った。 「大成功っ」 「よっしゃぁっ。見せろっ」 「なんだっ? なんだっ?」 完全に面白がった隊員たちはわらわらと毒丸の元へよって、人垣を作った。 あのお堅い炎が愛読する官能小説。 これほど興味がそそられる一品はない。 「お、お前らっ。やめんかっ!?」 現朗は止めようと必死だが、傍の激が後ろから羽交い絞めして拘束している。 なぜか、炎と真は動かなかった。 「え、おほん」 ちょこんと毒丸は机の上に乗り、咳払いをひとつして注目を集める。 肘を伸ばして本を開き、まるで子供が朗読させられているような姿勢をとって声を張り上げた。 「衝撃素人投稿・ひとつ屋根の下、幼馴染と愛欲交歓日記、始まり始まり〜。 『ねえ。これ、どうしたのさ?』 いいながら、手を下着の上に這わせる。下から服の裾をのぞくと、彼女は急にあせりだした。 『いやっ! 見ないで』 『見えちゃうよ。すごい濡れてるね』 口ではやめるよう哀願していたが、真は彼女が今更とめて欲しくないと思っていることを知っていた。大腿部に手をかけて何時も通りまんぐり返しをしてやると、おびえた彼女からイヤイヤという声が上がる。下着を剥ぎ取って、愛液でぐっしょりと濡れる肉芽を指で撫で回した。 『いや。は、恥ずかしいから……こんな格好いや……』 昨夜、彼女がこのポーズを凄く恥ずかしがって嫌がったのを思い出して、彼はあえて同じことを実行して辱しめた。恥辱と興奮が入り混じって熱くなった体は、指が肉芽を掠るたびに小刻みに跳ねる。もはや我慢しきれないようだ。 股座に顔を入れて、くんくんと鼻を鳴らす。 『いい香りだねぇ』 『……や、やだ……嗅いじゃあ駄目ぇ…。真ちゃん、お願い、やめて……真ちゃん……』 炎は息も苦しいほど身体を折り曲げて………… ………………って、え?」 朗々と読み上げていた声が、そこで、止まった。 あれ? と他の人々も不思議に思う。 そこに、聞きなれた名前があった。明らかにあった。 ぺらぺらと必死で頁をめくる毒丸。 「あ、あ、あれぇ? 主人公の名前、真だ。し、し、しかも女の方が、炎になってる?」 はあ、と本日何度目かになる深い深いため息を、真がついた。 「俺たちの部屋に、わざわざ全ての頁主人公の名前を炎と真に書き換えた小説がおいてあったのだ」 なるほど彼の言うとおり小説の文中の名前は全て変換されていた。しかも手書きではなく、わざわざ同じ字体を使ったタイプライターで打った文字の載った紙が、丁寧に貼られていた。 「……つーか、それ、俺の本だよ」 手を挙げながら一人の隊員が毒丸の元にやってくる。遠くでは何か嫌な思い出でも思い出したのか炎が頭を抱えて悲鳴を上げていた。 そりゃ、トラウマになるわ。 炎はこう見えても精神的には『王子様』だ。笑って流すタイプではない。真は上官の悪戯と簡単に割り切れるだろうが、それが出来ないからこそターゲットになったのだろう。 真は同僚の背中をさすってあやしながら、声を張り上げた。 「全員集まったな。 では、これより事件の被害報告から推測される概要について述べる。 まず昨夜から今朝にかけて被害は一切起きていない。すなわち、我々が出仕してから官舎に戻ってくるまでの間に事件は起こったものと考えられる。つまり賊は、我々の仕事中にこの寮に乗り込み全室の鍵を開け、細工を行って逃走したのだろう。 どこの部屋にも侵入の形跡はなかった。また独身寮の警備システムには異常は一切なかった。 あー……ええと。 ここで推測される犯人なのだが……」 『大佐だよっ』 全員が唱和した。 この所業、こんな所業をできる人間は一人しかいない。そしてこんな馬鹿げた所業をあえてするような人間も、同様に一人しか考えられない。 「……おそらく最有力候補として日明蘭大佐であると考えられる。それ以外の外部犯の可能性もあるし、また隊員内の可能性もある。 ただ賊が、各自の部屋の錠前を破ったことには変わりない。 そこで全員で寮を見回り、不審な箇所がないか確認した上で今夜は就寝することにする。 では割り当てを発表するぞ」 |
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