オマケ
 ・・・  唖然呆然2  ・・・ 

 「……その任務、別の部隊にお願いしたい」
元帥府直々の会議で決まった命令に、彼女が難色を示したのははじめてのことだった。ぴくり、と将軍たちの眉が動く。慇懃無礼な上に階級を気にせず暴れまくる蘭を、快く思っていない者は少なくない。
「お仕事好きな日明大佐が、全く珍しいですねぇ」
蘭嫌いの筆頭、三浦中将が嫌味たらしく口を開いた。立っている彼女を攻撃する。
 命令の内容はこうだった。
 京都の巷間で人気になっている新興宗教を調査しろということだ。勿論、暗に零にしろといっている。
 蘭もその宗教は知っていて、それがさらに帝の一族の一部と『関わっている』との情報も手に入れている。だが、たいした関わりではなく、宗教自体も脅威になるものでもない、ということも知っていた。わざわざ自分らが出向く必要性が殆どない。軍は宗教絡みの事件には神経質過ぎるほど過敏なのだ。
 この事件に関わったら、おそらく半年は京都に行かなければならないだろう。それが問題だ。長期遠征は非常に困る。
「納得いく理由を頂けるか。日明大佐」
議長役の男に睨まれて、一瞬白い軍人は喉が詰まった。
 言ったほうがいいのだろうか。
 戸惑ったが、蘭は否定を選んだ。検査もしておらず、正確な情報がわかってもいないのに伝えるべきではない。診断したのは専門外の丸木戸だ。しかも、このような人の多い場で言うべき話ではない。
 だいたい、まだ日明にだって言ってないのだぞ。
 と、瞬間的に判断する。
「……公家の関わる件には、私の部隊は荒くれ者が多すぎて上手くいかないことが多いので。
 大佐クラスよりも上の階級の方の方が適役かと存じます」
「こりゃすごい。
 それでは、元帥府の判断より御自分の判断のほうが勝っていると本気でお考えですか」
三浦の言葉は彼特有の嫌味だったが、実際この場の多勢の者の心情を代弁していた。
 しまった、と彼女は顔を顰めた。理由が悪すぎた。
「そのようなつもりではありません。
 ただ……公家と問題を起こしたのは二度や三度ではないので」
「ははは。零武隊が問題を起こしたことのない人種はおらんでしょうに。反省文の量をお忘れでしょうか?
 何を、今更ねぇ」
三浦は追及の手を止めなかった。どうしても、この任務をさせるつもりだ。多分それには理由はないのだろう、彼女が嫌がるならばどんなことでも全力で突っかかってくる。そういう男だ。彼の陰湿な瞳が、蘭の感情を逆なでした。
「別段、私の部隊でなくてもいい話だ」
と、つい言い返してしまった。
「他の部隊にまわせないという明確な理由だってないではないか。貴殿の部隊も今は余裕があるのでは?」
言い出すととまらない。三浦は肩をすくめる。御尤も、と揶揄する声で言い返してきた。
「でもこの話は貴女のお話であって、僕のほうには無関係でね。他人のことに切り返すのはお門違いでしょ」
「全くだ。
 そのような理由で敬遠されるとは、元帥府を愚弄するのか?」
流石に、蘭のその態度は他の将軍たちも挑発してしまった。「いい気になるなよ」「全く」等等、ざわめきのように貶める発言が続く。蘭は小馬鹿にしたような目で一瞥した。勿論、それは彼らを刺激をするためだ。
 が。
「明言しにくい理由があるのですか?」
皆を完全に沈黙させる鶴の一声が、おちてきた。
 蘭の夫、日明。
 彼の部隊は帝や皇族の近衛兵を担当することが多く、軍議では殆ど発言しない。仕事の押し付け合いにも予算の食合いにも関係ないからだ。ましてや、蘭絡みで日明が発言することはまずない。
 三浦までぎょっとして、押し黙る。
「日明大佐?」
莞爾と笑いかけて畳み掛けるように尋ねた。席からたって、蘭を見下ろす。
「……ない」
気圧されて、思わず答えてしまう。
 口に出してから気づいた。
 ―――まさに、あるではないか。
 助け舟を自ら押し戻ってしまった。臍を噛んでももう遅い。
「それならば、元帥府の意見を変えるに、先ほどの理由は力不足でしょう。
 勿論決を採らないわけではありませんが」
「いやっ、その。
 まだはっきりしたわけではないのだが。関わりたくない、理由がある。私事だが、ええと」
「時間を無駄にしたくないので、早く。
 ここにいる方々は暇ではない」
さらり、と日明は追い詰める。
 まあ。日明に訊かれたのだから、いいか。
 と、思う。
 そして言おうと心に決めた途端、今まで感じていなかった恥ずかしさが、急にこみ上げてきた。
 なんだろうか、この感情は。
 叱られるわけでもないのに、こんな言いにくいなんて。
 俯いて、息を整えた。この大人数の中で告白する。それが思った以上に困難だ。日明に、三浦に、山本やらその他色々な男たちに。かつて感じたことの無い緊張感が蘭を襲う。
 喉を唾で慣らしたが―――
「……た」
あまりに小さくて、誰にも、聞こえなかった。
 その失敗が余計に彼女を追い詰める。
 耳まで赤くなって、思わず口元に手を当ててしまう。

 ばちんっ

 その横面を、日明はいきなり叩いた。確かに今の彼女の態度は、上官には不適な態度で、体罰の十分な理由になる。だが問答無用で説明もなくするのは普通ではない。
 予想していなかった衝撃に、蘭は二三歩たたら踏んだ。軍帽が落ちて、ばらりと髪が落ちる。
「日明大佐。全く聞こえません。もう一度説明下さい」
彼は容赦がない。表情を変えずに質問を投げ捨てる。
 ぐっと蘭が口を引き締めた。
 ……何故か、その冷たい態度が胸に痛い。日明に冷たく突き放されたようで、辛い。
 瞳が潤んだ。
「…みっともない」
「甘ったれるな……」
と誰かが言ったのが聞こえて―――涙がもっと零れそうになる。

「……申し訳ございません。
 検査がまだ完全ではないのですが……妊娠しました……」

 ―――沈黙が襲ってきて。

 完全に会議室が凍てついて。

 ぼろり、と蘭の瞳から涙が零れてしまって。

「座って」
甘く、優しいいつもの日明の声が聞こえた。言葉に促されるままに席に座る。
 くるりと、驚愕から立ち直れてない面々に彼は向き直った。
「それでは、この件をどうしましょうか。
 三浦中将。貴殿の部隊は確かに今担当の事件がないようですから俺が暴れる前に快く引き受けてくれませんか?」
ようやく時間が動いた。
「……脅迫混じりですけれど、別に構いませんよ。
 それより零武隊はどうします?」
「それは私の部隊と合わせて訓練させましょう。官舎も近い。合同訓練なんて悪くない」
と、ある少将が声をあげる。
「零武隊の銃器はこちらが点検と管理をしておこう。あそこには現朗隊員がいてなかなか話がわかる」
とんとん拍子で話がすすむ。意見が出て、それが一瞬で片付く。かつてない議事進行速度だ。
 あらかたの話が片付いて、なんだか自分の後任や予定まで決まってしまった。確かに軍には産休制度がないから(そもそも女性が無い)、ここで決まってくれて助かった。有給二ヶ月でなんとかしようと考えていたのだ。
 ごほん。
 議長役が咳払いをして会話がとまった。
「日明大佐、これで君が抜けたときの予定を決めておいた。引継ぎはおいおい頼む。それは、その……医師の判断に従って行動せよ。わかったな」
「ありがとうございます」
呆然としていた蘭は、一気に引き戻される。
「で、その。
 よ……予定日はどのくらいだ。
 日明中将が知らないようだが」
日明の顔に視線が集まる。張り付いた笑顔はくずれては無かったが、テーブルに組まれた指が忙しなく動いている。沈着冷静で通っている日明が、珍しく目に見えて動揺している。
「病院にいってないので、まだ判りません。
 中将には時間がなかったゆえ話しておりません」
「ほう。ええと、だが、話しておいた方がいいな。夫なのだから」
「私も今日の昼に知りました。
 丸木戸教授に診察されて判明したもので」
嘘は言ってない。が、周りは完全に引いている。
「丸木戸? それじゃあ専門外でしょう」
誰かが上ずった声で意見した。

「七ヶ月くらいなので誤診は無いなど言っておりました」

 さらりと言った発言はまさに爆弾だった。
 ばたん、と日明がぶっ倒れる。
 ばさばさばさ―――と数人が書類を落とす。
 七ヶ月。
 臨月まであと三ヶ月ほど。
「病院行きなさいっ! 今すぐっ!
 なに会議なんか出てるんですかっ」
三浦が叫ぶ。
「気づくのが遅すぎるわぁぁぁっ」
ともっともなつっこみが聞こえたり、
「もっと気を配れっ。自分を大切にしろっ」
ともっともな説教をされたり。
「早く、急いで産婦人科の医師を呼んでこいっ。今すぐだっ!」
阿鼻叫喚の中で誰かが電話で連絡をまわした。
 叫ぶ元気残っていたのは僅か数人だ。
 あとは本当に硬直して動けない。心臓に悪い話だった。日明と議長役は完全に失神していた。どんな一撃よりも効いた。

 ―――結局その日の軍議は軍議にならなかったそうである。