・・・  依存症4  ・・・ 


 いったいどれだけ過ぎたのだろうか。何故死んでいないのか幾度も自問自答して、もはやその答えを作り上げることにも飽きた。
 ここに来てから何回も気がついて、何回も嘔吐と痙攣を繰り返し、何回も失神した。
 体は芯から冷え、足も手も痺れがある。寝台の四つのパイプに手錠で拘束され、大の字になって寝かされていた。布団はかけてなく、暖房もつけていない。口には布が入れられて息苦しく、飲みきれない唾液が喉をつたって痛痒を引き起こすもののどうすることもできず、布地に頬をすってごまかした。手首足首から痛みがびりびりと脳天に伝わってくる。
 皮の拘束具だというのになんという怪我をしたものだ。かさぶたになる前にふたたび切れて、血が今でもにじみ出ている。
 部屋は随分暗かった。軍隊の官舎に一棟に一つは必ずある、捕虜用の部屋だ。簡易の牢にもなるよう設計されているが、今は牢屋状態にはしないで使用されていた。確かに、手足を縛っているのだから逃げれるははずはない。扉のある部分の下から、光が漏れてその部分だけが僅かに明るい。ただひたすらにそれを見つめていると、急に光が溢れて扉が開かれた。
 続いて天井の電灯がともり、眩しくて目を瞑る。再び目を開けたとき、相手の軍人も喋ろうせずに上から見下ろすのが見えた。
 へらり、と笑ってみた。
 蘭は無視して、彼の横に持ってきていた一つの小袋を置く。アルミ繊維という特殊な布地で薬品をつめるに使うもの。一見無特徴のそれだが、丸木戸にとっては非常に意味を持っていた。
 見る見るうちに血が顔に集まって、紅潮する。目をむき、力いっぱい手を動かそうとして寝台が悲鳴をあげるが、軍人はいつもの無表情のままそれを取り上げて懐にしまった。この反応だけで十分だ。
「相当使い込んでいるようだな。
 ……寒くないか?」
答えを求めず蘭は次の質問をする。猿轡のされた唇は真っ青で、震えている。寒い。幾度も禁断症状を経験していたが、先ほどのあったのは普段よりも数倍酷いものだった。上官を睨みつけていると、ふと、蘭は何を思ったのか顔に手を伸ばした。
 するりと、眼鏡をとる。一瞬触れた体温。
 予想外に素直で、彼女は小首をかしげる。抵抗するかと思ったが、まあ、いいことだ。これならば早く抜けるぞ―――と弾んだ調子でいう言葉が耳を通り過ぎて何も響かない。

 そんなことよりも、だ。何故、手袋がない。

 あのおぞましい手が、人の手に戻るなどありえないのに。手袋がない。ない。
 男の心情なぞ全く知らず、彼女は眼鏡を横の棚におくと、床に落ちていた毛布をとって上にかける。
「仕事のことを案じる必要はない。
 二ヶ月で薬を抜いてやる。覚悟しておけ」
言い捨てる言葉が一つ一つ落ちてきて、だが感情を素通りする。
 笑わせるな。俺のことは俺で決める。騙すな。惑わすな。欺くな。そんなこと、貴様がすること自体がおこがましいのだ。心の優しい上司のふりを、いきなりするな。恩を売るならもっと浅ましく売れ。卑しく、汚く、脅して命令して有無を言わせるな。
 首を激しく横に振る。真一文字に閉じた唇の十センチ上に、唇よりも強固な意志が載った瞳。物悲しい、といった女の顔に、作り物に対する嫌悪感を覚えた。
 蘭は丸木戸の瞳を見て意識がはっきりしていることを確認すると、猿轡を外した。軽くむせて瞬く。その前髪を、彼女がすいた。
「……勿論やめますよ。……ねえ。やめます。
 ……だから、もう離してください。こんなもの、外してください。やめるから取って下さいよ。ねぇ」
「薬を、だろうな」
「まさかっ。まさかまさかまさか―――ありえないっ。
 軍ですよ。軍。あんたの下に居るのはうんざりだ。
 どうぞ懲罰委員会でも、元帥府でも指令本部でも警察なんでも言ってくださいよ。いわなくても俺は辞めますよ。今すぐにでも。
 ひゃひゃひゃ。ま、警察にいったとしてもどうせ無駄ですけどね。それは異国の植物で、帝都には知れ渡ってない。まだまだ合法なんです。すごいでしょう。異国の。俺が見つけて、俺が作ったんですよ。だから何も悪くない。何の法にも触れやしない」
「まあ、そうだな。調べさせてもらった」
「じゃあ取れっ。返せっ。なんでこんなことすんだてめぇっ!
 簡単な体罰じゃすまねえぞっ。早く、早く外せっ。てめぇこそ元帥府に訴えてやろうかっ!? このくそアマっ」
凶暴な言葉遣いになっても一向にひかず、むしろ、蘭の頭は冷める一方だ。薬物中毒となった兵士を相手するのは一度二度の経験ではない。彼らのとる行動は二つだ。
 都合の良い嘘を使って騙そうとするか、口汚く罵るか。
 初めての禁断症状ならば、だいたい十時間もすれば波が引く。確かに丸木戸の言うとおり警察も軍隊もデータのない薬物だったが、だからといって別に対応を考える必要はないだろう。どうせ同じだ。

 依存している体を、精神を、徹底的に捻り潰すまでのこと。

 それは徹底的に。自殺の可能性があるくらいにぎりぎりまで引き絞らなければ、必ず再び始める。何度も何度も繰り返して、嘘をつくことに慣れて、人に見捨てられるのに慣れてしまうと後戻りがきかない。だから徹底的にするしかない。
 人が弱いことが問題なのではなくて、薬物が強いことが問題なのだ。自分が弱いことを自覚すると、依存することを覚えると、際限なく言い訳を見繕って甘える人の性に、それは強すぎる。
「せっ。外せっ。はっ……早く、早く早く早くぅ」
瞳孔が開き、唇を震わせて泣き咽ぶ。体を無理矢理跳ねさせると寝台が床に打ち付けられて部屋全体が揺れるような音が響く。毛布は体から落ちて、それをとって再び体にのせた。
 そんなことをするな。
   人の顔をみせるな。
     冷酷な鬼でいてくれ。頼むから。
 縊り殺してくれ。頼むから。頼むから、早く。
 ―――早く早く早く。

「……袋を……かえしてっ。返せぇっ。返せぇぇ」

 罪悪感が首を絞める―――。