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「じゃあ、また山奥に篭っているわけ?」 間を推し量って、八雲は口を開いた。 その問いに、質問者の予想に反して飛天はゆっくりと首を振った。 「―――いんや。 まあ、今のところは、今まで通りにしているけどよ。 脆いくせにあいつらを見ているのは、全く、楽しくてしょうがないんだ。 それに、今回俺たちはあくまで監視していればいい。神が遺した禍々しいあの剣が、ただの『神剣』と看做されて、『神剣』として利用されているなら、それでいいんだよ。 争う必要も、手をだす必要もねえ。 ならまあ、少しくらい動いてみるのも悪くないだろ」 言いながら、飛天は静かに手を伸ばした。 狙いの先は水色の髪。いとも簡単にたどり着き、二本の指は跳ねたそれを掴むとついと引張った。 八雲の赤い目がはっと見開かれる。 完全に隙だらけになっていた男は、照れ隠しに苦笑いを浮かべていた。 「だから、俺は、お前の方が気になる。 俺たちはあくまで監視だろう? ―――人なんかに固執しやがって、どういう風の吹き回しだ? 短い命にこだわると痛い目を見るぜ」 固執していたお前に言われたくないぞ、と八雲は笑い飛ばしたい気持ちをぐっと堪えた。 飛天の作り出す雰囲気に流されるのは、今はよくない。彼が言わんとしていることはわかりすぎるくらいわかっている。 「まあ、天馬ちゃんはカミヨミに祓われるような運命はならないわよ。 あんなに剣に体も命も捧げたのよ、亡者として残るモノもないでしょ。どうせ」 「そうだな。 遣い手としては、凄まじい方だ。剣が気に入らなくてもあれじゃ何も残るまい」 飛天の言葉を間に受けないようにかわしながら、八雲は先ほどから酒の精が連れてきた一つの問いが心から離れなかった。 なんだって俺はあの遣い手から心が離れない。 どうせ使い捨てになる存在にもかかわらず、あれが幼いときからあそこまで育つのを見てきてしまっている。 近すぎる、近すぎるといつも警鐘が鳴るというのに、離れると彼らのことばかり想ってしまう。 食べたいのだろうか? と自問すれば、否、とすぐに答えは戻ってくる。腹は減らない。食欲に囚われるような下級な妖怪の時期はとっくに過ぎてしまった。 では、肉欲? 抱きたいとかそういう生殖欲求に裏打ちされた感情ならば、発情期が過ぎれば消えて無くなる。だが残念なことに、対象は自分の子を産めるモノではない。それ以前に、発情期というものがそもそも存在しない。 「―――でもまあ、もし、残ったら。 少しでも、何かが、残るとしたら……」 珍しく、彼は口篭った。と表現するより、むしろ、彼は己が言葉を発していることに気づいていなかった。無意識のうちに声が出てしまっていたのだ。 みるみるうちに飛天の表情が険しいものへと代わる。鋭い目が据わり、赤い目が不気味な色を放つ。 八雲の態度。 それは、監視役には相応しくない様子だ。監視すべきものに心を奪われつつあるという、大変危険な傾向だ。 『興味深いわ』 「何が残っても俺が消すぞ」 図らず、二人の言葉は重なった。 もっとも、音の面では飛天の声しかない。妖の声の面では八雲の音しかない。―――だが確かに、重なった。 風向きが変わり、再び冷たい風が二人を襲う。酒で熟れた肌にはその風は心地よく、さっきまでの寒さを覚えることはもうなかった。桜の花びらはもう入り込んでこない。 八雲は薄く笑って酒を飲み始めた。取繕うのは無理だと彼も理解していた。飛天の不安は確信へと変わってしまっている。確かに自分はおかしい。おかしいとわかっている。 ならば、と八雲は考えた。 こんな良い機会はない。飲み相手の怪訝な視線なぞ一切無視して、己の中で渦巻くあの巨大な問いの正体を掴んでみてはどうだろうか。 何故、あの遣い手から心が離れないのか。 食欲でも肉欲でもないとしたら。 剣を抜けない剣の遣い手なんて、そんな、どうしようもない程の出来損ないの存在に。 ゆっくりと瞳が閉じられる。瞼の裏に少年の顔を思い浮かべると、何故だが自然に気持ちの良い笑みがこぼれてしまいそうになる。 不出来の、無価値な、役に立たない失敗作。 興味がある、というのは、違うと思った。そんな単純なレベルなら、この高揚感に説明はつかない。 あの壊れた少年が、 その欠点が、 心惹かれてしょうがない。 あの透き通った目が、 真っ直ぐ過ぎるところが、 無智で無恥でいっそ無様なのに気高く、 綺麗事を本気で言うところが――― ―――愛しいのだ。 その言葉に至った瞬間、八雲の記憶の奥底に横たわる存在が生々しく蘇る。 鮮血を被ってもなお美しく、絶対の存在。先ほどとは比べ物にならない快感が全身に広がり、胸が高鳴る。 高揚感。愛しい。この感情。 何かが一本の線で繋がる。と、同時に問いは瓦解して、代わりに驚くべき真実が鎮座していた。 興奮を抑えて、無理矢理酒を煽った。 それから瞼を開き、額にて手をあてて酔った振りをした。 「やあね、なに本気になってるのよ」 「オメエは信用ならねぇからな。 いいか、遣い手の何かが残ったら、消すからな」 「何も残らないわよ」 「でも消すんだよ」 男の言葉は八雲の心まで届かない。 なぜなら、もう、決まってしまったのだ。 愛しいと、自覚した。 「あんたは考えすぎなのよ」 笑って酒を勧める。 飛天は漸く納得したらしく、注いですぐに気持ち良さそうに呑み干した。 小鳥はまだ風に遊ばれていて、確かに肴にはもってこいの興のある景色だった。 その花陰に愛しき面影が見えた、ような気がした。 八雲の勘は正しく、一分も経たぬうちに、回り道をして天馬が堂の正面から入ってきたのだ。 「もうお酒ですかっ、飛天殿」 手には酒瓶。 しかし、彼一人で、八雲と飛天は顔を見合わせた。腰に手をあてて、大人二人に真っ直ぐな瞳を向ける。 「……お酒が切らしそうだったので、買ってきたのです。 飛天殿も八俣さんも、あまり無理はなさらないで下さい。 帝月も買い物だし瑠璃男もいつもの調子だし……なんで休もうという発想がないんだか」 不平不満を零しながらも気のきく少年は、空になった酒瓶を預かり、かわりに新しい酒瓶の封を切って二人の杯に注ぐ。 八雲がもってきた酒も先ほど飛天の杯に入れたのが最後の一滴だ。どうやらかなり早いペースで呑んでしまっていたらしい。 「あーら、お酌してもらちゃった。 天馬ちゃんはどう?」 「帝月と瑠璃男が下で待っておりますので」 「よくまあ、あいつが離したな」 「……ええっと、いつ崩壊するかわからないような獣臭い堂に来るくらいならばここで休むと茶店で団子を食べてました……」 言い淀むわりにははっきりとした言葉に、二人は思わず噴出す。その態度に、天馬は赤面して慌てて後付の言い訳を並べ立てた。が、口下手な少年にはよい言葉がみつからず、まとまりがつかなくなって俯いてしまう。 その頭に、大きな手が乗った。 顔をあげれば、水色の髪と赤い隻眼が見える。 「ほら、待たせちゃ可哀想よ。 行ってきなさい」 「……はい」 少年は丁寧な挨拶を述べてから、静かに堂を立ち去る。 さっき彼の姿を見た木陰の隙間から、今度は後姿を、八雲は膝に肘をついた手に顔をのせながら眺めていた。 「……消すからな」 「はいはい」 口では軽く流しているものの、男の顔は酷く楽しそうだった。 実は、カミヨミの飛天と八雲の個人的解釈があったりします。外れること100%ですが。あまりに壮大な妄想なので、後で雑記にアップします。 | ||