・・・  仲直れ! 2  ・・・ 
                                      

 「で?」
「……でって。
 だから、研究室なくなっちゃったから一週間くらい居候させてください」
ぱちんと合掌した両手を鼻の前において、にこっと丸木戸は男にしては愛らしい笑みを浮かべた。
 彼流のおねだりのポーズだ。
 が、それをつきつけられた男の反応はとにかく冷淡だった。
「嫌ですよ。
 自宅帰ったらどうです? それに実家の丸木戸博士の家も立派な研究施設あるんでしょ。ああ、別に丸木戸さんなら有給溜まっているんだし、この機に消費すればいいじゃないですか。土産はいりませんからどうぞ行ってきて下さい」
言い終わると、部下の猪三郎は直ぐに読みかけの本に視線を戻す。
 だがこれで諦めるようなら零武隊の後方支援なんかやってられない。
 ばさっと読んでいる本を取り上げると、人質だといわんばかりに背中に回して隠してしまった。
「そーんーなー。猪三郎さんのい・け・ずぅ☆
 酷いこと言わないでおいて下さいよぉ〜。ねぇ?」

めぎ。

 ……だが、これで絆されるようなら丸木戸の部下なんかやってられない。
 猪三郎は容赦なく躊躇もタメもなく上官の顔をグーで殴りつけた。手加減したので痛くは無いが、ちょっとだけ隙の出来た教授から本を奪い返す。
 猪三郎も当然朝の爆発の事故は聞いており、目の前の甘えた声を出してくる駄目上司が自分の研究室を燃やしてしまったことは知っていた。研究成果のデータや大事な書籍もあったろうに、と同じ研究者として同情する。
 しかし、それはそれ、これはこれである。
 実験程度で爆発するような危険な研究をしている研究者と、同じ部屋で実験するなんて真っ平御免だ。
「……自分の実験はしませんから。
 居候だけでいいんですよ。なんだったら、助手もしますよ?」
丸木戸は相手の思考を読んで、苦笑しながら提案した。
 おや、と猪三郎は訝る。
 天衣無縫の丸木戸にしては随分常識的で柔らかな意見を言うではないか。
 本から視線を移動させて、改めて、まじまじと眼鏡の年下上司を見つめた。いつもの白衣にいつもの笑み。今朝の異常な事件とは裏腹に平常通りの男。
 猪三郎は本を横に置き、顎に手を当てて目を瞑って考え込んだ。何かが引っかかる。うーん、と暫く唸って。
 ぽん。と手を叩いた。

「………………大佐に言ったこと後悔しているんですかー」

「なっ、なっ、なんでそうなるんですかっっ!?」
部下の思いもかけぬ言葉に、丸木戸は顔を赤らめながら強く強く言い返した。
 が、その過剰反応こそ図星をさされたことの何よりの証拠ではないか。
 やっぱりな、と猪三郎はどこか思う。
 その思考すら読んで、丸木戸は両手を慌てて振って言い訳を始めた。
「ち、ちょっ、違いますよ! 大佐とは……そりゃちょっと揉めましたけれど何もありませんっ。後悔とか、するはずないじゃないですか。
 私が悪いことなんてないんですから」
その一言を皮切り、丸木戸は流暢に今朝の事件を語り始めた。彼はいかに蘭の所業が酷くて、悪いかを滾々と述べた。手振り身振りに効果音までつけて、懸命に言葉を並べ立てて必死に自己防衛しようとする。
 へえ、と猪三郎は自分の髭を整えながら適当に聞き流す。丸木戸は一応これでも零武隊の後方支援を担っている優秀な男だ、弁が立つに決まっている。言葉なんて、聴く必要は無い。一理も二理もあるに決まっているのだから。

 ただ、彼の感情はそれが納得できていないことに本人が気づいていないだけで。

 そして、丸木戸の言葉が切れた瞬間に口を開いた。
「成る程。
 つまり、日明大佐の要望に応えるためにここんとこ泊り込みでずっと実験をしていた。そして、明け方に大佐が弁当をもって来たんですね」
「そうですよ。
 来て話しているうちに、実験器具に触り始めましてね。
 止めろっていったんですよっ!? なのに、手伝うの一点張りっ! あの人は不器用の塊で出来ているって自覚はないんですかっ!?」
「……そりゃ知りませんが。
 でもまあなんとなく思ったんですけど、いいですか?」
「ん?」
まさか猪三郎がのってくるとはおもってなくて、ぱちくりと丸木戸は目を瞬かせる。
「ちょっとしたミスで大爆発するなんて、そんな危険状況を作っちゃまずいでしょ。科学者的には」
それは、確かに、正論。
 若人は言葉に詰まって、目を見開く。
 蘭のとった行動は異常だったが、それでも強い他の薬剤があの大事故に繋がった可能性は否めない。使用し終わった薬品の処理は父から散々しつけられた……はずだった。しかし徹夜続きの実験のために、疲れて揮発性の強い薬剤を適当にしておいた気がする。
 せめて窓一つ開けて換気していたら、状況は違ったかもしれない。
 眼鏡の下の丸木戸の瞳がせわしくなく動くのを見て、後一押しか、と思いながら猪三郎は言葉をつなげる。
「……ま。
 だからといって丸木戸さんが悪いとかそういうつもりは無いんですけどね」
猪三郎は空になったカップを持って席を立ち、洗い場のある部屋の隅へいく。洗い上がったフラスコに混じって客用のコップがある。一つとりあげて、二人分の珈琲をいれて戻ってきた。
 彼の研究室は半分は実験用で、半分は物書き用だ。部屋の真ん中を赤い線で区切っており、左側は資料で埋まった本棚と物書き用の机で埋まっている。一人分の彼専用の机の椅子の横に、今は、実験場から椅子を持ってきた丸木戸が座っていた。
 望まれていない客人は無表情で俯いていた。
 ―――愚痴を言いに来たのに、同意されないとは思っていなかった。
 まさか、説教されるなんて……考えてもいなかった。
 一瞬は動揺したものの、彼の感情は怒りの方向へ傾いたようだ。
「どうぞ」
と、男の感情を知っていながらも、敢えていつも通りに猪三郎はカップを差し出す。
 が、受け取らない。
「……猪三郎さんは」
囁くように低い声だった。

「大佐が、泣いたのを、知っているんですね?」

丸木戸は顔を上げる。眼鏡を外したその幼顔は、今までの作り物の笑みが失せ生の狂気が浮かんでいた。つられて真剣な表情になった猪三郎は、差し出したカップをとりあえず机に置く。
 嘘は良くないだろう。
「ええまあ。
 事件の全容は、有名ですからね。みんな知ってますよ」
「だから、彼女にはお優しいんですねっ?
 泣いたから、あの人は良い者ですかっ。まあ泣けば、可哀想ですからねえっ。
 私が悪者になれば話が済むんでしょうっ!?」
「そりゃ違う」
興奮する男に、猪三郎は首を振ってはっきりと否定する。
 しかし、その言葉は伝わらない。聞こうとしない。丸木戸は掌で己の顔を覆い隠す。
 荒い息遣いが指の隙間から洩れる。見られたくないのだ、顔を。
「……丸木戸さん?」
「いいんですよっ。気を使うなっ。
 揮発性の廃液処理もまともに出来ないなんて、研究者として失格ですからね。そんなのが軍で研究室をもっているなんて笑い種ですよっ。
 そうですよ、確かに、俺が悪いっ! それで全てが終わりだっ」
「違うでしょ。
 そういうことじゃない。悪いとか悪くないの問題はさておいて、責任の所在だけ言うなら、日明大佐に間違いなくある」
「かまいませんよっ?
 大佐は悪くないですと言って。
 お邪魔してホントすみませんねっ!」
くぐもった叫び声が聞こえる。
 その叫びが嗚咽に変わるのには、そう時間は要さなかった。
 猪三郎は、彼の頭にぽんと右手を置いた。くしゃくしゃに乱れてしまった頭を優しく撫で始める。そして、穏やかな口調で言った。
「…………貴方は、その大佐のためを想って徹夜の無理をしてまでしたんでしょう? 実験を。
 あの高い二百円の実験機器だって、大佐が丸木戸さんに妖のもっと精密なデータが欲しいっていったから、必死に購入を頼んだんでしょう?
 大変でしたよね」
「そぅ…………ですよ。だから?」
小さな掠れた声で必死に反論してくる。
 自己弁護となるとあれだけ多弁だったのに、今は、見る影も無い。
「わかってる、と言いたいんです。
 貴方が辛くて辛くて、まともに笑うことも出来ないくらいのショックを受けていることくらい。研究室が吹っ飛んだら私だったら家に引き篭もって泣きますよ、研究者にとっては命の次に大切なデータをおいてある場所ですからね」
撫でながらそう言ってやる。
 が、何故か、丸木戸はぶるぶると首を振った。
「……そんな……っことは……いいんですっ…………
 データなんて、全部、覚えて……ますっ。
 ……でも…………あの人………乱視って……乱視眼鏡って……気にしていること、知っているのにっ。知っているのに!」
ずっと洟を啜る音がする。
 ―――へえ、乱視なんか気にしてたんですか。
 と猪三郎はちょっと驚く。と、同時に、四肢切断の方はやはり全く気にしていないんだろうなぁとも思った。この若き教授にとって、己の父親は無ければ無いほうが良いがあるからには無視できないという―――端的にいってしまえば百害あって一利なしの―――存在なのだろう。日常会話の端々からそんな空気が感じられる。肉親を憎むことは難しいと言うが、環境と条件が組み合わさればそれも可能なんだということを、猪三郎に教えてくれた。
 丸木戸博士は生きていることだって凄い伝説級の人なんだがなぁ……まあ天は二物与えず、だから家庭が失敗しても仕方ないのか。うん。
「……だ、そうですよ、大佐。
 教授を傷つけることを散々言ったって判ってましたか?」
其の言葉は、流石に聞き捨てならなかった。
 教授は弾かれたように顔を上げた。
 驚いたその顔は、眼鏡のない所為かいつもの毒気が無い。
 彼の目の前、猪三郎の後ろには、いつの間にか白い軍服に身を包む軍人が立っていた。今まで泣いていたのだろう、自分と同じく目も頬も真っ赤に晴らした日明大佐だ。だが今は、いつもの意志の強そうな無表情を浮かべている。時間を置いたおかげで、興奮は収まっていた。
「……丸木戸君。
 本当に……すまん」
掠れた小さな声でそう呟いた。散々大泣きしたせいで喉が嗄れてしまったのだ。丸木戸は、不貞腐れたようにそっぽを向いて彼女を見ない。
 ずきり、と蘭の胸が痛む。
 猪三郎は珈琲に口をつけながらぼやく様に横から助言した。
「この場合は、別の言葉があるんじゃないですか。大佐」
一旦声の主のほうを向き、それから、僅かに戸惑ったものの彼女は決心した。ごくりと生唾を飲み、顔を強張らせる。

「ごめんなさい」

丸木戸は、漸く向き直った。
 蘭は怯えた目をしていた。拒絶されたら、と怖がっているのか。
 ちろり、と上官へ猪三郎が軽く一瞥する。貴方の番ですよ、とあの低い声が聞こえてくるようだ。丸木戸は右手で前髪をかき上げる。
「……わかりましたよ。
 俺も……言いすぎました」
其の一言を言おうと思うと、何故だろう、全身の神経が急にざわめき始める。体中がくすぐったくなる。丸木戸は照れ隠しに頬を左指でかいて、それから彼女を見上げた。
「…………ごめんなさい」
二人は暫く見詰め合った後、大佐が噴出すと、次の瞬間共に大笑いを始めた。理由も、意味も、脈絡も何もかもない。ただ無性に、可笑しくてしょうがない。
 楽しくて、楽しくて、楽しくて。
 親友と居られることが、幸せでたまらない。


 *****

 「ま。それはそうと。
 お二人が仲直りが出来たところで聞きたかったんですが……」
泣いた二羽の烏はもう笑って猪三郎の研究室の一室で声を上げてはしゃいでいた。あの爆発がいかに凄かったか、それをどう大佐は丸木戸をかばって対処したか、話し始めれば仲の良い友人同士、言葉は尽きない。
 横から水を注されて、二人は驚きながら振り返った。
「何の実験してたんです?」
猪三郎は万年筆を指で回しながら、極力自然にたずねた。
「何って」
笑顔の蘭が言いかけて、そのまま口の形が止まる。笑顔が引き攣る。冷や汗がだらだらと流れ落ちる。後方では丸木戸も同じように硬直していた。
 そのままたっぷり一分間が経過した。
 これ以上ないくらい不自然な態度をしておいて。
「…………普通の、実験だな」
誰がそんな言い訳で騙されるか。
 がたん、と音を立てながら猪三郎は席を立った。その強い態度に二人も慌てて、立ち上がった彼の肩を抑えて座るよう必死で促す。
「ま、まあ、その日々気になった些細な点に関する実験だ。なあ、丸木戸君?」
「そ、そ、そ、そうですよー。
 ちょっとした、その、些細なことですから」
二人がかりで押さえつければ、立っているのは難しい。
 ばすん、と猪三郎は自分の席に押し戻された。
「…………普通の実験で研究室が吹っ飛んでいたら全世界の誰も科学者になれないと思うんですが?」
低い声で核心をぶすりと突くと、二人の顔から血の気が引く。
 まずい、やばい、絶対ばれた。絶対にこいつは我々の計画を察知した! と慌てふためく二人の前で、猪三郎は深い深い溜息をつく。
 なんて駄目な上官なのだろう……。徹夜で仕事をしているのかと思えば、徹夜で遊んでいてしかも自分の研究室を壊したのか。
「貴方方は本当に叱られたいようですねぇぇ……」
その一言は効いた。
「違っ、違うっ。違うからっ。そんな怖い顔しないでくれっ!」
「猪三郎さんったらもー妄想力激しスギっすよ。ねえ」
「そうだそうだ。そんな怖いことを考えるな、なぁ。
 もしかしたらお前、最近疲れているんじゃないか?」
「そーかもしれませんよ。
 あ。美味しい珈琲いりませんか? 注いできますよ」
二人はぺたぺたと彼のベストを撫で摩りながら、髭の逞しい中年を懐柔しようと必死だ。
 丸木戸は猪三郎の頬を人差し指でぷにぷにとつつく。それが鬱陶しくて身をそらせば、反対側から蘭が髭を撫でて引っ張る。立ち上がろうとすれば肩から物凄い力で押さえつけれた。
 数分経って、彼はぼそりと言った。
「ま。わかりましたよ。普通の実験をしていた、ってことで」
猪三郎は二人のうざったいスキンシップを無視して万年筆をとり仕事を始める。その態度に悪戯っ子たちは胸を撫で下ろした。
 彼は約束どおり二人の件は密告しなかった。……今現在、廊下で全ての話を聞いていた炎と真が目を吊り上げて何処かへ行ってしまったことを告げなかった、ただそれだけである。
 その後、丸木戸と大佐は、きっちり元帥と部下たちとカミヨミの姫からお叱りを受けた。