・・・  ネコ型ロボット 1  ・・・ 


 瓢箪に猫耳をつけたというのが一番的確な鋼の機械を教授が持ってきた。
 色は青。しかし耳は黄色。
 教授の説明によると、耳を鼠に齧られて青褪めたあまり青になってしまった未来のネコ型機械という設定の機械なのだという。子供くらいの身長があり、丸木戸の足元ですっくと二歩で立っていた。目は丸く、口は変な形でひん曲がっており、鼻は赤い。だがそれでも、なんとなく愛嬌のある表情をしていた。
 言語で命令すればある程度の事務処理をしてくれるから、まあ、使ってみて下さい。多分使えます。
 と、丸木戸教授は説明になっているような全くなっていないような取り扱い方法を言う。日明大佐は眉根を顰めて尋ねた。
「……で、これにあれだけの研究費をつぎ込んだ理由は?」
「強いて言うなら、浪漫ですかね」

 ロマン。

 ろまん。

 ―――浪漫?

「僕トラエモン。よろしくね、のび汰君」
男の言葉の意味がわからず頭を抱える蘭に、機械が挨拶する。
 トラエモンというらしい。人工音声のわりに、中に人が入っていると疑いたくなるくらい人間と酷似とした音声だ。しかしこんな丸いのに本当に事務処理なんか出来るのだろうか? 手だって凄く短いし、足は短足なんてもんじゃない。
 蘭の瞳に浮かんだ僅かな不審な色に気づいた教授は、振り返ってその機械を見下ろした。
「トラエモン。
 お茶を汲んできてくれる?」
丸木戸はまるで人でも相手にするかのように、それに声をかける。
 トラエモンの鼻がちょっと動いて、止まる。
 そして前を向いたまま後退し、扉の元で百八十度回転し部屋を出て行った。数分立たぬうちに戻ってきたその手には、盆があり、お茶がある。丸木戸はその湯飲みを受け取って上官の前においた。立ち上る湯気。
 彼女がちらりと目線を上げる、と、どうぞと丸木戸は手を出している。
 持ち上げて、飲む。
 美味い。良い滝れ方だ。丸木戸が滝れる絶対お茶とは違う変な味がするようなもはやそれはお茶じゃないだろうがというお茶よりは一千倍マシである。
「……お茶汲みあの金額は多すぎるぞ」
が、美味しいからといってこれを認めては、後々元帥から大目玉を食らうのは自分なので面白くない。
 実は明日、零武隊の成果を直々に陛下がご覧になるということで、せっかくなので丸木戸のオモシロ発明品―――一般的に素晴らしい発明品なのだが、零武隊内部ではそう呼ばれている―――を見せることに決めた。
 丸木戸は丁度『世界初! 二歩歩行の出来る便利ネコ型機械』を構想中だったので、膨大の予算と引き換えにその大任を受けたのである。そして出来上がったのがこれだった。
「勘違いしないで下さい、これは一例ですよ。
 ある程度ならどんな命令でも聞くようになっているんです。
 一番初めに『トラエモン』と呼びかけると、この赤い鼻が動くでしょう?
 そうしたら単純な命令をして下さい。事務処理程度なら出来るようにしておきましたから」
「何でもいいのか?」
その言葉に感興をそそられた蘭は、まじまじとトラエモンを見つめた。机を挟んだ先に立っている機械はぱちくりと瞬きして(そこまで人に拘る必要するとは思えないが)蘭を見返してきた。その動き、本当に人のようだ。
 教授は肩を竦めて掌を天井に上げて忠告する。
「複雑なのは無理ですよ。
 例えば、そう。現朗隊員を激隊員と別かれさせて泣かせる、とかそういうのは出来ませんからね」
「…………そんなことするか」
上目遣いに呻くように反論する。実はちょっとそういう面白い悪戯に使ってみたいと思っていたのは永遠の秘密だ。
 丸木戸は腕を組んで見下ろし、ほーうと意味深長な呟きを漏らす。
「実はそういう機能も取り付けようかと思ったんですが現朗隊員など色々な方に忠告されたので止めました」
言うが早いか叫ぶが早いか―――

「あいつらめぇっ!
 折角楽しいと思ったのにっ」

 破壊音にも似たおぞましい音が空気を震わす。蘭は思いっきり左手で机を叩きつけて、立ち上がっている。
 顔の前には、震える握り拳。
 目を吊り上げるその様はまさに般若の様相だ。

 酷い、酷い、酷いっっ!
 何でそんな楽しそうな機能を切ったんだ。意地悪な部下たちめ。
 上官を楽しませていたわるという気持ちはないのかっ!?

 悔しそうに歯軋りする姿を見て、教授は口の端を引きつらせる。
「やっぱりするつもりだったんじゃないですか。
 ちなみに、冗談ですよ。そんな凄い機能つけられることが出来たらもっと恩着せがましく報告して予算を上乗せしてまるから」
ぎく。
 音が聞こえるくらいに凍てつく上官。にひひひと丸木戸が独特な笑い声を上げる。数秒にはおそらく怒り出すだろうと予想しながら、彼は一礼して背を帰して部屋を出て行った。
 後ろ手で扉を締める。
 と、同時に。
 雷のような怒号が部屋で響いたがそれは聞こえない振りをして自室の研究室へ急いだ。


 *****

 「ったく。こんな下らんものに……」
一人になって改めて見ると、その情けない形状に戸惑いを覚えずにはいられない。
 陛下と雄山元帥にお披露めする一品。
 ―――これを見た二人の顔を想像して、蘭は大きくため息をついた。
 もう少しましな形にしてくれればよかったものを。
「おい。トラエモン」
「どうしたの? のび汰君」

 ……何故のび汰なんだ。何故。

 心の中でツッコみがたっぷり沸き起こったが、生唾とともにそれを飲み干す。そして、彼女は腕を組んで考えた。
 陛下にご覧に入れる前に一応どんなことが出来るか試してみよう。
 じゃあ、仕事を手伝ってもらおうか。
 ―――と、思って思考が止まった。
 新たな事務員―――事務機械―――をもらったが、命令が思い浮かばないのである。お茶はもう入ったので新しいのは必要ない。
 仕事で手伝ってもらうことは……基本的に、ない。事務員に頼むような用件は既に頼み終わっている。
 事件が起きれば蘭は目の回るような忙しさとなるが、事件がないときはどうでもいい書類にサインをするだけしかない。あとは他の軍部への呼出しに応じて質疑応答をするのだが、まともに答えた記憶はないからあれは仕事ではないだろう。

 現朗を激と別かれさせて泣かせる……のは無理か。

 たっぷり十分以上自分の考えに没頭してから、ちろりんと鋭い目を向けた。赤い鼻をいまだにぴこぴこ動かして命令を待っている。
 現朗と激を別れさせる、と、現朗を泣かせる。二つの命令が含まれているがために複雑なのかもしれない。一つだけならば、いけるかもしれない。
「現朗を泣かせろ」
がちゃ。
 赤い鼻がぴたりと止まった。
 うぃーんと変な機械音。
 蘭が興味津々と目を輝かせている前でゆっくりと口を開いた。

「無理です」

やたら機械じみた音声で―――というのも不自然な話だが、今までの声は本当に人が話しているように滑らかだったのだ―――淡々と答える。先ほどまで表情豊かだったのに、いきなり無表情に変化した。おそらく教授が出来ない命令をされた時の返答用に作った態度だろう。
 今まで慣れ慣れしくのび汰君とか話かけていただけに、少しカチンとくる。
「じゃあ……現朗と激を別れさせろ」
ウィーンと再びあの音が部屋に響く。そして。

「ありえません」

 ぶち。
 ―――頭の一線が、少し切れたような、そんな気がした。
 そんな言葉を言い放ったくせに依然としてあの人懐っこい顔だから怒りも倍加する。
 自分に面と向かって口答えするのもあれだが、しかもこともあろうに『ありえません』とはなんだっ!?
 殴り壊してやりたい気持ちを開発費にかかった金額を思い出して必死に堪えた。それに明日提出しなければならないものを今日壊してしまったら大変だ。
 額には薄っすらと数本の血管が額で浮かぶ。今、目の前に部下がいたら、おそらく全員咄嗟に逃げていただろう。喩えるなら雪崩が起きる寸前の冷たい静けさが部屋中に満ち満ちていた。
 しかし機械はそんな怖さは感じることは無い。

 ま、まあ、現朗を激と別かれさせて泣かせるに類似した命令だからな。
 そういうのは無理だろう。
 普通の―――そう、普通の事務的な命令をするべきだった。

何とか怒りを抑えて彼女は「トラエモン」と呼んだ。
「……わ、わかった。
 この書類に私のサインをして判子を押せ。
 そのくらいなら出来るだろうなっ」
今度は、機械音すらしなかった。
「駄目だよのび汰君。それ、君の宿題だろ?」
「宿題なわけあるかっ!
 仕事だっ!
 いいからとっとと私の命令通り実行しろっ!」

ウィィィィィィィィィィ―――ン…………

 蘭は唇を真一文字に結びついてそれを睨みつける。
 両手はすでに腰元の柄を握り締めていた。
 耳を鼠に齧られて青ざめたあまり青になってしまった未来のネコ型機械の鼻が、ぴたり、と止まる。


「納得できません」


「散れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!」
一秒後。ざっくりと斬られた機械が絨毯の上に転がっていたのである。