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「で。こちらの傘は英国製のなんです。あとシルクハットもあるんですが、これって使い方がいまちわからなくて。服もないのに貰っても困るでしょう? それ以外にも懐中時計とかはどうですか。ちょっと値が張るんですけれど」 「…………欲しい物を選ぶだけでいいんですか?」 「ええ。あ、勿論深い意味はないんですよ。 たんに調査みたいなかんじで。 このリスト以外にも欲しい物とかあったら教えて下さい。あまり世間に出ないから、流行とか疎くて疎くて……」 欲しい物。 ―――それが、調査だと? 猪三郎は頭を捻る。どうやらその調査結果は、大佐も欲しがっているようだ。 では、何故。 零武隊の仕事に無縁だというが、男性の欲しい物など彼らの一般生活にとっても無縁だろう。お中元やお歳暮にしては時期がずれすぎている上、軍内では贈答行為が自粛させられている。それ以前に彼らが歳暮を贈るような一般常識が搭載されているとはとても思えないが。 それにしても、どうでもいいことに部隊の権力を使うのはどうかと思うが……。零武隊は歴史の始末屋だが、その行動は報告が義務付けられているし、おそらく秘密裏に監視されているだろう。法外の武力を与えられている飼い犬には、しっかりとした首輪が必要なのだ。そうでなくとも普段から立場が悪いのに、上から文句を言われるキッカケをわざわざ与えてどうする。 …………待て。 あの馬鹿隊長が、上にバレるような動きをするだろうか。 「ちょっ。さっきの社外秘とかいう資料、盗んできたんですかまたっ!?」 いきなり正気に戻ってしまった猪三郎に、丸木戸の心臓がびくりと跳ね上がった。それは真実の指摘という名の、思い切り鋭いツッコミだ。 「あははは。はははは。…………えーっと。 大佐が持ってきたんでそこら辺はノータッチなんですが、選んでくださいよぉ」 「すみません。 今から調べ物と、元帥府に出かける用事が出来たので今日は休むんで」 「うわぁぁぁぁっ。ちょ、ちょっと待って! お願い、お願いしますぅぅぅぅっ。せめて話を聞いて下さいぃぃ」 丸木戸は立ち上がる部下の裾を、溺れる者がわらでもつかむような勢いでひったくる。絹を引き裂くような悲鳴を聞こえないふりをしてそのまま五メートルくらい進んでみたが、さすがに片手に人一人乗っかるまま外へはいけない。戸口のところまで来て漸く猪三郎は手に引っ付いてきた眼鏡の方へ顔をむけた。 「……おもいっきり邪魔なんですけど。外れてくださいよ」 上官を上官とも、というか丸木戸を人間とも思っていないような冷淡な目だ。道端に転がっている酔っ払いを見るような、軽蔑の視線を送った。 「ふぅ……はぁ……はぁ…… 屋内派とか思ったのに力あるんじゃないですか」 体中打身の痛みに堪えながら、ふるふると口を震わせながら何とか嫌味を言う。片手を振り払えばそのまま床に転がりそうなくらいだが、案外、この上官はしつこい上ここからの忍耐力があるのはよく知られている。なにせあの大佐から幼少のころから付合っていたのだから。 「ま、まあ。 話だけ聞いて下さいよ。ね? ね、ね?」 「……話? って、上司二人が民間企業に忍び込んでそこの極秘資料を窃盗したという理由を聞かなければならないのですか」 「いや、そんな実も蓋もなく言わないでぇ。 ほらほら、珈琲を飲みましょうよー。朝の一杯なんて素敵ですよね。折角ですから。冷めちゃ勿体無いー。 いい香りが漂ってますよぉ。そういえば最近警視総監から高級菓子もらったんですけど、どうです。朝から甘いものですが、結構良い味なんですよ」 ねー? と丸木戸は精一杯の笑顔で口説き落とそうとする。 猪三郎の目は、冷たいままだった。 零武隊で生き残るコツは二つだ。一つは、甘い餌に釣られないこと。そしてもう一つは、相手を追い詰めすぎないことだ。 実力行使が認められているここでは、彼らは平気で最終手段に出る。 はぁ、と小さなため息をついた。はわぁぁぁ……と上官は今にも泣き出さんばかりの表情へと変わる。 「じゃあ、聞きましょう。三十秒」 「はっ。 現在軍内部では贈呈物が禁止されています。 が、異国では、父親に感謝の意味を表してプレゼントする習慣があるそうです。それで、そういう名目で贈呈物を贈れと、例の丸木戸博士が言ってきて。いやその時は、勿論『ふざけるな。どっかいけ。研究の邪魔』と追い払ったんですけどね。 でもフザケタコトにそれを大佐へ密告して……」 「はい三十秒過ぎました。 言い訳としてはイマイチなので行きますから」 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁっ! とにかく、元帥とか、丸木戸博士とかへの贈りたいんですっ。 そういうのやろうって大佐と話してたんですぅぅ! 盗んだものはこっそり返します。だから許してっ! 見なかったことにしてっ! これ以上減給されたら身売りでもしないとやばいくらいなんですからぁぁ」 再び歩き始めた猪三郎を、情けない言葉で引きとめようとする。 アンタが売れるかよっ―――とつっこみたい気持ちをぐっと堪えて、がすがす進む。同情の余地はないと判断した。あまりに馬鹿らしい動機に、文句や忠告をいう気も失せた。 ちょうど出仕時刻と被っていて廊下では顔を知っている隊員たちともすれ違ったが、その異常な雰囲気に気を押されて誰も止めない。振り返って何だろうと遠巻きに見るものの、見なかった振りをして各自自分の仕事場へ戻っていく。 どうして、たかがプレゼント一つでそんなことをするのだっ。 物を贈ろうという動機と、そのために普通の企業に盗み込むという行動と。バランスが悪いにも程がある。彼らにはおそらく、『じゃあ資料をとってくるぞ』というレベルで他人の物を奪う行動が組み込まれているのだ。 怒りで目の前が真っ赤になるというのはこういうことか、どこか冷静な自分が分析をする。煮え滾るマグマがあるように、腹の中が重く苦しい。だがそれ以上に胸が痛い。 どうして法治国家内でおとなしく生きていられないのだこの二人はっ。 丸木戸博士も、そんな子供のような思いつきをしないで欲しい。息子は良い年ではないか。 大佐が贈り物相手? ああ、どうせ元帥だろう。昔から親子のように懐いていた話をよく聞く。 …………ちょっと待て。 再び、あの何気に鋭い猪三郎のツッコミ回路が起動した。常識と非常識が入り乱れる零武隊で、彼が平穏に過ごせる理由はどんなに怒りやその他の感情で正気が失われていても何故か一瞬で真実を探り当てることのできるこの回路のおかげなのだ。 それはともかく、彼は気づいた。 「丸木戸さん……………… …………私が、元帥や博士と趣味が合うとでも思っているのですか?」 足が止まったのが嬉しくて眼鏡の下の潤んだ瞳が、きょとんとなる。質問の意味が理解できなかったので、とりあえず、丸木戸は思ったままを口にした。 「え? だ、だってほら……年が近いじゃないですか……」 「あんたと五歳違いだぁぁっ!」 どがすっ! ……失神した上司を丁寧に廊下に放置して、猪三郎は盗んだ資料を持って元帥府へ急いだ。睡眠不足だったから誰かが起こしてくれるまでは起きないだろう。 大佐に捕まる前に、猪三郎は難なく元帥に目通りがかない、その馬鹿らしい話を報告することができた。報告が終わった直後に部屋に入ってきた日明大佐が恨みがましい目で見てきたが、「気球」と一言いってやると悔しそうに歯噛みするだけで何もしてこなかった。元帥は青筋を立てながら満面の笑顔で日明大佐にその書類の報告を求めていたが、そこらへんは見ないで自分の仕事へ戻った。 その後、猪三郎は何気に髭をそって若さをアピールしたが、誰も気づいてくれなかったので再びこっそりと昔通りの髭に戻したのだった。 |
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