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「炎ちゃん炎ちゃん。ピザって10回言って」 白い壁と赤い絨毯。天井にも窓にもガラスが惜しみなく使われた明るい世界。 たくさんのテーブルがあり、そして、テーブルの周りにはそれとセットになるような椅子やソファが並べられいる。ホテルの喫茶店のような豪奢なつくりであるが、そこにいたのは全員軍人だ。 その中で、赤と黒の頭が並んだソファを見つけて、毒丸は下にいる鉄男をせかして急がせ、声をかけた。 炎と真は、面倒なという気持ちを露にして同時に振り返る。そんな顔を向けられてもかけらも臆することなく、青年はへらへら笑いながら馴れ馴れしく『炎ちゃーん』と呼んだ。 昼休み、零武隊の多くの隊員は休憩処まで『わざわざ』足を伸ばす。 わざわざという言えるくらいに、休憩処は陸軍特秘機関研究所の棟から離ており、普通に歩いても十分以上はかかる。元は武器庫の一つだった倉庫を改修して作られたものなのだ。 陸軍特秘機関研究所にも休憩施設はあったが、非常に手狭な上、全員は入らなかった。そこで、幾人かが使われていない武器庫に目をつけた。廃材でできた長椅子とカップをしまう棚を持ってくれば、簡素ながらも立派な休憩処だ。お茶も飲めるし、廊下や階段に座り込んで昼食を食べるよりはずっとマシだった。 ところがある時、真の部隊が新兵の大工訓練を兼ねて棚とカウンターを設置した。それを見た激の隊も、面白そうだからという理由で西洋風の内装を倉庫に施し、窓を多くつけて開放的な空間に改良した。それにプライドを刺激された炎の部隊は、革張りのソファを作る技術を磨きソファを設置。現朗の部隊が、突然、ガスや電気を引き飲食設備を充実させた。流れに乗り遅れた爆の部隊は、悔しがって中二階と二階をつけるという大工事。 工事に工事が加えられ、改良に改良が重ねられた。 結果。 今では、高い天井に巨大なファンが回り、無駄に白い柱が立ち並び、手入れの行き届いた観葉植物が置かれている。やり過ぎという言葉を知らない隊員たちの手によって出来たそこは、ちょっとした銀座のカッフェなどよりもずっと居心地が良い。一応いつでも武器庫に戻るようにできているが、その武器庫らしさの名残すらも内装と調和させるほどの技量を身につけてしまったので、一瞬ここが軍の施設かと忘れてしまいそうになるくらいだ。 昼時には殆どの隊員が集まる。高い天井や内装、二階などにより過密感を感じさせない。炎と真は、いつも一番奥のソファで珈琲を飲みながら談話するのが日課だった。 その青年の顔をみるだけで、真の大きな瞳がわずかに震える。 毒丸。 今まで真の部隊で副官を務めていたが、問題が多すぎて現朗の部隊に移った兵士だ。戦闘の腕は確かだが、性格にかなりの難点がある。無茶と厄介事が大好きな上、目的と結論をすべて無視して事態を悪化させることに全力をかける。彼が引き起こした事件は数知れず、だ。 青年は鉄男の両肩の上に乗り、片手には大きな紙袋を持ってやって来た。 「鉄男、なんだ?」 と、真はとりあえず自分の副官に尋ねる。 「大佐からの差し入れで、木村屋のアンパンです。上官方もいかがと」 芳醇なパン独特の香りが二人の鼻腔を刺激する。 差し出された袋を受け取り、炎は二つつまみ出した。丸く、柔らかな、食欲をそそる西洋菓子。柔らかさ、温かさ、香りから考えて焼き立てだ。おそらく大佐は菊理のために注文をして、ついでに自分と部下の分も用意させたのだろう。 炎はにこやかに真に一つ手渡した。 わずかな時間、彼は躊躇った。 毒丸の思惑が読めない黒髪は、部下と元部下に鋭い視線を投げかけて様子を伺う。彼が副官だったとき、とにかくその行動の一つ一つを疑った。だが、今の場合、よく考えてみれば、鉄男は上官に罠をしかけるようなタイプではないし、毒丸が仕掛けようとしていたら必ず止めるはずだ。悪い癖がついてしまったもんだ、と内心舌打ちしながら受け取る。 「食べたことはあるか、真?」 「いや。美味そうだとは思っていたが、ない。評判は聞いたことがある。とにかく、美味いらしい。 お前は……ないな、その表情だと」 「パンは好きだが、餡子と合うかどうか…………」 「そういう思い込みはよくないぞ。物は試しだ」 パンに餡子が入っているのがよほど不思議なのか、炎はもらったアンパンを掲げて、上や下から良く観察している。真は両手でもち、パクつく一歩手前。二人の世界に入ろうとしているソファの二人組みに、毒丸は面白くない気分になったが、それは笑顔のパテで塗り固めて埋める。 「ね、ね、ね。 炎ちゃん。 ピザって10回言ってよ。食べる前にぃ」 ぱちくりと斜視がちな目を瞬かせて、執拗に繰り返した。 声色が、少し高い。毒丸が何かを仕出かす直前の声だなと真は思ったが、彼が『何をしたいのか』があまりに明白なので黙ってパンを食べ始めた。 「ねぇーねぇーねぇーねぇーねぇーねぇーねぇーねぇーねぇーねぇ―――」 炎はアンパンをしげしげと眺めながら、徹底的に毒丸を無視する。実は、何度かこの青年にしてやられたことがある。警戒しているのだ。 鉄男は少し困っていた。 パンを休憩時間中に配らなければならない。しかし、今ここで動いたら、上の毒丸から文句を言われて妨害されるのは目に見えている。教授のマル秘発明品をつかっているんじゃないかと思うくらいの力で、毒丸は鉄男にぴったりとくっついているのだ。 真は部下の心情を汲み取って、親友を唆す。 「言ってみたらどうだ?」 横から思わぬ横槍が入って、吃驚したように振り向いた。毒丸も同様。が、二人を気にせず真は珈琲を味わっている。 言わないで食べてもいいが、言ってやっても良い。 ……まあ、真が言うなら悪いことにはならないだろう。 炎は意を決して青年を見上げた。 「ぴざ、か?」 「ピザ。イタリア料理の」 「ピザピザピザピザピザピザピザ……ピザ、ピザ、ピザ。 それで?」 「じゃあここは?」 言うが早いか、毒丸はさっと腕の一部を指差す。 炎は即答した。 「肘」 表情こそ興味なさげだったものの、実は、炎は次の反応をかなり期待していた。真が勧めたのだからそれなりなことがあるはずだ、と。 尖った目をもつ男の顔が、急に真顔になる。 日が翳り、陰影が失せた。 青年の表情が暗くなる。 …………そして。 ッチ。 聞こえたのは、舌打ちだった。 間違いなく舌打ちだった。 あまりにも想定外で、炎の顔が、みるみるうちに戸惑いに変わる。 わけがわからず固まっているエリートから、不満げな毒丸が荒々しく紙袋をひったくった。可愛い雰囲気はどこへやら。その豹変振りに毒丸担当と呼ばれている鉄男ですら驚いて、何度も後ろを振り向こうとしている。 真は、元部下と目が合った瞬間、にやりと嫌味っぽく口を引き攣らせる。 それが、悔しがっている青年をいたく刺激した。 「鉄男、行こーぜ。時間の無駄だった」 徹頭徹尾不躾な態度を崩さず、下の男に言う。もはや炎や真の方は目もくれない。大男は迷ったが、パンを早く配らなければならないという責務があるので、頭を下げて一礼し二人の元から去っていった。 ―――なんだ。なんなんだっ!? 炎は目を白黒させて後姿を追っていたが、どう考えても理由が分からず助けを求めて横を向く。友人はすでにアンパンの半分を平らげている。 「真っ。ここは……ここは、なんだ?」 言いながら炎は己の肘を指差す。 「肘だ」 と、当たり前の返答が返ってきた。 「……………………だよなぁ」 炎がなんとか言えたのは、そんな一言だった。 |
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