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丸木戸教授の作った怪しげな新薬は、皆の期待通り予想以上の効き目を発揮した。おかげで現朗の怒りは収まったが、ついでに現朗の体は縮み三歳くらいの身体になってしまった。 「あ。副作用」 「大丈夫だ。君の薬が上手くいくなど、誰も考えておらん」 と、蘭が億しもせず自分の思ったままを告げると、教授は非常に不満そうな顔をしてにらみつけた。 眼鏡と唇とが僅かに震えていたから、もしかしたらまた新たな火種になるかもしれないがその時はその時だ。今は現朗のほうが問題だ。 「元帥府から仕事のせいかよ。通りで大佐がわからないわけだ。 ……周りに言えっての。 炎も、真も、俺も居ないんだからって、お前は一人じゃないんだから。 なんでこうも不器用なのかね。独りで溜め込んじまう」 激の胸の上でぐっすり眠りこける少年の頬を人差し指で擦りながら、ぼそりと一人ごちた。 仕事にならないので、ちょうど休暇だった激が彼の面倒をみることになった。 教授の推測では一日もすれば戻るらしい。失敗薬は良く作るが、不思議なことにこの手の推測ははずしたことはない。 面倒を見るといっても、官舎に戻ってくるなり現朗は眠いといって激の寝台の占めて眠ってしまった。様子を見ていた激も思わず眠ってしまい、鉄男が事後報告に来るまで二人して寝てしまった。 見れば外は夕焼け。 丸一日無駄になったような、損した気分だ。 それにしても子供はよく眠る。 普段も綺麗だと思う。 だが、頑是無い子供の姿でこうも美しいと、いつもとは違った美しさがある。 形のよい唇、細く柔らかな髪、整った眉。すべてのパーツが神の計算の下に生まれたような、完璧さがそこに存在している。いくら見ても見飽きない相貌を、激はさっきからずっと見つめていた。 今日あれだけの騒ぎを起こした人間と同じだとは思えない。 そこに思考がいたった瞬間、思わず激の口元に笑みが浮かんだ。暴れていたアレが、こんな小さくも可愛いものに変身してしまうとは。教授は天才だ、と評価が変わった。怖くさせなくしたんだから薬は大成功じゃねえか、と心の中で呟く。 「どんな奴でも、ガキってのは可愛いもんだな」 ***** 「これを、飲んでくれ」 目の前に差し出された一本の怪しげな薬瓶。丸木戸教授の作品であることは一目でわかった。激は恋人の真意がわからず、何度も何度も瓶と現朗との顔を視線が往復する。 「ええと?」 「分からないか? この前俺が服用させられた薬だ」 彼の言葉が終わる前に、激は思い切り両腕を突き出して現朗を強く押す。現朗も僅かにバランスを崩す。 そのまま激は大きく後ろに身を引いて後転し、間合いをとる。すぐに動けるようしゃがんで静止した状態で金髪を見た。 全て、本能がなした行動だった。危険を察知し発動した防御本能。動悸が自分でも驚く程早い。 だが、恋人を見るとその行動は正しかったと知れた。現朗の目に殺気が帯びていたのだ。 殺気、とは少し違う。 性欲だ。 激と今夜まぐわるためならば、すべての手段を厭わないという強固な意志だ。それは、根本的なところで殺気と酷似している、と激は思う。相手の意思を一切問わないからだ。 現朗は、逃げられた、と、逃がすか、と二つの感情がない交ぜになっていた。ゆらりと立ち上がって恋人を見る。追い詰めるためにゆっくりと戸口に向かう。扉さえ開けさせなければ、逃げ道は窓に限られる。 誘われるままに、激は窓を目指しじりじりと動いた。 窓は閉まっているから、破壊して逃げなければならない。が、それは無理なのだ。この前破壊した原因が、わざわざ防弾硝子に換えたからだ。 曰く、これなら壊れにくいだろう。 今の激にはその無意味な親切が心底憎かった。 「…………それ飲むと、子供になっちまうんじゃなかったけな?」 「そうだ。 だから、飲め」 「こ、今夜はしねえの?」 「……………………するさ」 ぎらり、と現朗の目が不気味に光る。 「子供になると、可愛くなるだろう? 誰でも。 こんな可愛くない俺でもな」 畳を蹴り、一直線に激へ向かう。 窓からは無理だと判断した激は、向かってくる現朗を倒して逃げようと手段を切り替えた。遅れて激も畳を蹴る。全身と全身の力でぶつかり合った。防御のために差し出した激の右手に鈍い痛みが走ったが、現朗の一撃目はかわすことができた。金髪の二撃目は蹴り。これは予想済みで、左手の掌で膝を受け止める。 激は体の軸を回して上段の蹴りを放つ。現朗は上半身をそらすだけで避け、そのまま反動をつけて体ごと激に押しかかった。蹴りのせいで片足だけで立っていた彼は、身を捨てたその攻撃には脆い。 「うわわわわわわわ」 悲鳴を上げなら、どたんっ、と二人して畳に倒れこむ。 痛がる激の上に跨って、持っていた小瓶の蓋を開けた。現朗の両足は、腕と腰をきっちり締め付ける。肘の部分を押さえつけられると、可動域は僅かだ。 激は、怯えで震え始めていた。この体勢からでは逃げられないと知っているからだ。一所懸命に足をバタつかせるが、現朗は体を軽く揺らすだけで見事にその振動を乗り切ってしまう。 「飲め」 「い、嫌だぁぁっ。嫌だぁ、嫌だぁぁああ」 ぼろぼろと泣き崩れる恋人に、なぜだか同情は少しも湧かない。 「…………仕方ない」 小瓶の薬を、現朗は口に含む。ぽいっと後ろに空になったそれを放り投げて、右手で激の後頭部をつかみ、左手で顎を締め付けた。 相手の意図を理解して動く限り首を振って必死に逃げようとするが、無駄だ。眉目秀麗と噂されるその顔が、近づいてくる。唇同士が重なり合い薬は現朗の口から激の体内へと運ばれた。 目の前では金髪がとてつもなく不気味な笑みを浮かべている。 よく効く薬なのだ。本当に。 自分で身を以ってして実験した結果、一分も経たず子供の姿になることを知っている。このまま待てばいい。 「さあ。やろうな、今夜も」 「子供で勃つ変態とは嫌だ」 「俺はお前が相手だったらいつでも興奮する。案ずるな、満足させてやるさ」 肉食獣が、ぺろりと唇の周りを舐める。 その目の光を見たとき――― 激は、全てを、放棄した。 無理だ。何も聞こえねえ。 体温で温められた液体は味も香りもなかった。水のようだな―――と、この緊迫した事態とは無関係に思った。 やはり教授は天才だ、と。もう一度思った。理由はない。 その思考を境に、彼はこの後地獄のような酷い目に合うのだったが、それはまた別の話のことである。 ***** 薬は、確かに、よく効いた。 現朗の怒りは治まった。 と、同時に。 犠牲者がきちんと一人出た。 |
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