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暗い廊下の端に立っていた。 目の前には見たことの無い襖。 嫌な胸騒ぎを抱えながらも、現朗は襖の引手に手をかけて開く。躊躇うことはなかった。 なぜならその扉は夢に出てきたそれと寸分も変わらず、そして中には二人の気配しかなかったからだ。夢で見たのと同じ光景を見ながら、夢とは違う気温・質量・音等を感じている。 奇妙な既視感だった。 がた ―――襖は夢では聞こえなかった音がした。 宿に到着後、白服たちは大佐に呼ばれて明日の打ち合わせをしていたが、激は非常に情緒不安定になったので先に休んでいた。 確かにこの宿は妖怪の類が出るのは事実である。ただ座敷童子の一種で、良いことはあったとしても悪いことはない妖怪だ。隊員の幾人かは見かけたこともあるし、カミヨミも是非ここに泊まるよう勧める宿なのである。激以外の隊員はこの宿の居心地のよさが気に入っている。 「入るぞ」 小さな部屋の中には、六つの布団が所狭しと敷かれていた。 さらに、中央にいるのは、正座をしているわけではなく寛いでいるわけでもない二人―――毒丸と激。 現朗を見ると二人とも驚いた表情で固まった。 「……げき」 現朗が掠れた声で名前を呼ぶと、びくっと激の肩が震える。 普段の特徴的な髪の毛はすべて垂らされており、一見すれば女性のようだ。 激は目を真っ赤に腫らしたまま、項垂れた。 ―――嗚呼、なんてことだ。 どうして俺は激を一人にしたんだ!? 夢を見たのというのにっっ! 夢で、危険だとわかっていたのにっっ! 「あー。現朗ちゃんもう到着ぅ? 早すぎだよ。 もう一回戦ってとこなのにさー」 激は上着の前をしっかり握り締めたまま、こちらを向うとしない。 乱れたシーツの端には、どこか遠くを見つめたまま黙り込む毒丸がいる。上を脱いだ状態で煙草を燻らせていた。 何があったかなど、訊く必要はなかった。 激のもらす嗚咽だけが時を刻む。 現朗の頭から、血が、まっすぐ大地のほうへ向かって流れ落ちる―――昨日の夜味わったのと同じ―――不思議な感覚がした。 「あー」 口を開いたのは、毒丸だ。 とんとん、と灰皿代わりの皿に灰を落とす。 止めろ。その先は、聞きたくない――― 瞬間。 蹲っていた激が起き上がった。 「うつろぉぉぉおぉぉぉっ! 毒丸が、毒丸が酷ぇんだよっ。 お化けの話をさぁ、お化けの話をさぁ、ずぅぅーっとしてくるんだぜっ!? 俺布団の中で丸くなったらわざわざ拡声器持ってきて布団の中に押し込んできて全部聞かせようとしてさぁーっ!」 唐突に、貧血で倒れそうな現朗の足元に、ひしっと激がしがみついてきて訴える。目は真っ赤に腫れて、涙が再び零れてきた。 お化けの話が怖かったからだ。 「へーでーれーけー」 「ぎゃぁぁぁぁぁっ」 毒丸がわけのわからないワードをいうと、それだけで怯えて丸くなる。どう聞いても受け狙いとしか思えないのだがまあ怖いならば仕方がない。 現朗がしゃがみこむと、激はべたっと抱きついてきた。 しなだれた髪をゆっくり梳いてやると、安心したせいで本格的に泣き始めてしまった。 「じゃあ、俺、現朗ちゃんの部屋で寝るから。 現朗ちゃんの鉄男と一緒でしょ? 鉄男がいないと寝苦しいんだよねー」 灰皿で煙草の火種を潰して、毒丸は立ち上がった。 灰皿を持って行け―――と、苦々しく現朗は思ったが、すぐにそれは無理だろうと思い直した。 鉄男だけには、吸ったことをばれたくないのだ。この青年は。 「……大佐には報告するなよ」 一応念を押しておく。 部屋を勝手に交換することも問題だが、激が後輩に泣かされたことを大佐に知られると後々かなり厄介だ。 「了解。 現朗ちゃんたちも変なことしないでヨ。ばれるから。じゃ、お休み〜」 襖を引いて廊下へ出る。 が、何かを思い出してひょいっと顔を戻してきた。 「そーいえばー」 「どうした?」 「んー。 なんというか、現朗ちゃん役得じゃんか。お礼貰ってなーい」 「は?」 彼の真意がつかめず固まっていると、毒丸のおどけた顔が至近距離で近寄ってくる。 毒丸の唇が現朗の頬に触れるまで、時間はかからなかった。 その行為に独特の音が遠くから聞こえるように感じる。 「……ごちそうさま」 頭上で交わされた二人のキスシーンに、勿論激が怒らないわけがない。 堂々とした浮気もあるものだ。 「ど、毒丸てめえこの野郎ぉぉっ!」 がばっと顔を起こす。 「へーでーれーけー」 「うっぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ」 が、その一言にまた伏せてしまう。 その隙に後輩は楽しそうに鼻歌を歌いながら、颯爽と出て行ってしまった。 「お前危機感無さ過ぎだよ……」 と。 お前だけには言われたくないぞと思うことを言われたが、今夜の現朗は言い返すことが出来なかったのである。 |
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