・・・  廊下で☆ハプニング2  ・・・ 


 扉からは排他的な殺気がじわじわと押してくる。これは、中将のものだ。
 入ってくるな。入ってくるならば覚悟しろ。
 日明は自分の執務室に篭っているとき遠慮なく気を撒き散らす。この空気のせいで、中にいる人の気配もつかめないし、逆に部屋の中にいる人物も外の気配が一切分からない。
 現朗と彼は顔をあわせて互いに譲り合っていたが、結局左側で扉に近かった現朗がノブを取った。
『失礼します』

 ばたんっ。

 扉を開くとともに、痛そうな音が聞こえる。
 蘭と日明は机を挟んで向かい合っており、日明は机に頭を突っ伏して倒れていた。そしてその後頭部に、蘭の肘がきまっている。
「う、現朗っ!? なんだっ」
しかも白衣の軍人は、不審げにうろたえている。
 ……どういう状況だ。これは。
 と、日明の部下が考えるよりも早く、現朗はぴらりと手にあった書類を見せた。
「なんだ、ではありません。
 この書類、じっくりお話を聞かせていただきますよ」
あ、と小さい声が聞こえた。隠し戸にいれていたのをすっかり忘れていた。
 恐る恐る肘をどかして、蘭が震える声音で囁くように言った。
「……中将、仕事が出来た。
 ……………………今日は遅くなる」
「今日も、でしょう」
痛めた額をさすりながら、男が訂正を加える。
「良い御心掛けです。
 重要書類を隠したら一切手伝いませんよ、と俺はいつもいってますよね? これで今年に入ってから何百回目ですか? というか今月に入ってから何十回目ですか? 隠し棚つくる暇あったら仕事して下さい仕事。そんなにお一人でやりたいならば私は止めませんよ。どうぞ存分にお一人で頑張って下さいね」
「無理を言うな。嫌でも手伝ってもらうぞ」
それこそ無理を言うな。
 と思っても声には出さない。こんな嫌味の応酬はなれたものだ。
「……。
 来た理由は別件です。
 期限切れの書類について、元帥府の秘書課から催促と新たな命令がきました。期限が切れていることは不問にするので、再提出予定日をあらかじめ教えて欲しい、とのことです。一ヶ月以内ならば大目に見る、と」
「む。それはどの書類ことをいっている?」
小首をかしげながら、蘭は聞き返した。そのとんでもない発言に、一瞬現朗の気が遠くなる。どの、ということは、つまり、まだまだ他にも隠している書類があるのだろう。

 どうせバレるのに。
 提出していなければ自然消滅するような、夏休みの宿題ではないのに。
 何故、隠してしまうのだっ!
 この上官はっ!

 怒りをぐっと胸に秘めて、声だけ一オクターブあげて明るく答えてみる。
「全・部・で・す☆
 別に自己申告なさらないでもいいんですよ。いいんですけれどね。あと二時間後に零武隊の総力かけて問答無用捜査を行います。その捜査で発見したものは本当にお一人で処理させます。
 一切零武隊隊員の手を使わせませんっ」
日明は自分の部下を手招きで呼び寄せて、午後の予定を尋ねる。
「……蘭大佐。何人か手伝わせようか?」
「中将。お心遣いは大変有難いのですが、零武隊の任務内容は決して知られてはならないのが鉄則なので。
 しかも、恐ろしく汚い文字で端書をして、落書きをして、たまに現実逃避から紙飛行機や鶴を折ったりした書類まであるため、とてもとても零武隊以外には見せられた代物ではありません」
現朗の言ったとおり、彼の持っている書類も折り目がある。そこまで言うことはないじゃないか、と蘭は拗ねてみたが部下は全く気にしない。
 しかしまあ、これ以上現朗を怒らせなければとりあえず手伝ってくれるだろうな。と打算的に考えた。
 軍帽を正して、立て掛けていた刀を持ち上げて敬礼する。
「お話有難うございました。
 それでは失礼致します。中将」
「はい。またね」
日明は手を顎の前で組んで、ちょっとだけ不満という表情で見送った。つい先ほど、彼は、昼飯を二人きりで一緒に食べようという提案をしていた。 蘭は軍内部で夫婦らしいことをするのは極度に嫌がる。しかし今日はここ数日家にもまともに帰っていなかったという引け目があって、半分頷きかけた……ところに現朗がやってきたのだ。
 二人は踵を返すと、連れ立って去っていってしまった。昼飯は一人か、と日明は心の奥でぐずる。
「現朗。その書類の資料を揃えておけ」
「……もう揃えております。この前中将が暴れになった件はどのように致しますか? 暴漢が入ったように書き直してもいいのですが、何分外聞が悪いかと」
「訓練中の事故がいいだろう。
 その点は元帥府にも報告を入れておいた……」
よほど大きな声なのか、扉を閉めたにもかかわらず、わずかに会話が部屋の中まで聞こえてくる。
 はぁ、と一つ盛大に日明はため息をついた。
 二日ぶりに会ったのに。
「……あーあ。もう行っちゃったよ。
 俺は帰宅するね。後は頼んだよ」
珍しく押し付けるような気を撒き散らさないが、その上司の発言は酷く部下を驚かせた。まだ正午まで幾分もある。確かに彼は朝少し早めに来ていたようだが。
「中将、あの、お仕事はっ?」
「全部終わっているよ。指示も出しておいた。
 ああそう、この前の零武隊の件は全て俺のほうで処理したよ。迷惑をかけて済まなかった。
 午後は予定ないみたいだし。これで、今日ここにいる必要はないだろう?」
言われたとおり書類の束を読んでみると、この先一ヶ月の予定した仕事が全て片付けられている。一つ一つ丁寧な指示が書き込まれており、完璧な内容だ。
 兵士への訓練プログラムも詳細に定められ、そして先月分の査定もよく書き込まれている。一番厄介なはずなのに、全く、いつの間に仕上げてしまったのだろう。
 ……昨日の昼から始めた調査だぞ。



 彼は書類から顔をあげて、上官の後ろ姿を見た。
 全く部下の手を煩わせない、完璧な上司。
 なのに、何故だか、物足りない。
 あの金髪の軍人を羨ましいと思ってしまう。
 必要とされてないのが、如実にわかってしまう。
「どうしたの?」
と、日明が振り返った。
「いえ。お勤めご苦労様でした」
「うん。じゃあね」
ひらひらと手を振って、部屋の主は颯爽と去っていった。