・・・  廊下で☆ハプニング1  ・・・ 


 現朗が廊下で鉢合わせたその人物は確かに見覚えがあった。しかし、名前は思い出せなかった。
 相手も同じようで、一瞬互いに不思議そうな顔をする。

 金髪の白い軍服の現朗。
 黒髪の黒い軍服のその男。

 T字路のそこで向かい合ったまましばし奇妙な時間が流れた。
 挨拶をしたほうがいいような気分にもなった。心のどこかがそう告げている。だが、軍は階級がしつこく付き纏う上、零武隊は嫌われているのを思い出して、その考えを振り払って視線をそらした。
 一方相手も、半分頭を下げようかと思っていた。白い服、つまり厄介事担当の荒くれ部署の零武隊。となると本来頭を下げるべきだが彼もわかっていないようだし……。と、考えて目を逸らす。
 二人は同時に顔を背けて、同じ方向へ曲がる。
 金髪とぴたりと肩を並べながらその男もついてきた。
 次の角も、さらに次の角も同じ方向に曲がったとき、やっと現朗は思い出した。
 黒い軍服でこの方向に用があるのはまさに彼らしかいない。そうか、名前は知らないはずだ。顔はあわせているが、自己紹介はついぞしたことがなかったのだから。彼らならば文句の一つでも言ってやりたいことがある。山のように。
 現朗が気づいたことを表情から察して、男は、彼よりも早く口を開いた。
「日明大佐はお元気なようですね」
大佐、の部分に軽くイントネーションをおく。
「ええ。そちらの日明中将も相変わらずお元気ですね。
 この前はうちの官舎で暴れて頂いて、まだ半数が病院通いですよ」
現朗は淡々とした口調に嫌味を包みながら言い返した。彼は、蘭の夫である日明中将の右腕だ。
 日明中将が蘭の浮気を疑って、零武隊の官舎に入って大暴れしたのはつい先日の話である。中将の強さについてはかねがね聞いていたが、まさかあそこまで強いとは思っていなかった零武隊の面々は完膚なきまでに叩き伏せられた。
 現朗が腹を立てているのは、中将の部隊にその惨状を報告したときに、誰も応援に来なかったことである。零武隊は隊長がキレることがよくあるので取り押さえ組がきちんと決まっているし、そういうときの対応だって決められている。 勿論そこまでは期待していないが、せめて救援や情報くらい寄越して欲しかった。そのくらい常識で考えれば判断がつくことだ。
 中将の部隊は、日明という核を失ってしまうと全く動くことが出来なかった。
「それはそれは、大変でしたね」
「全くです。日明中将のお強さにはまことに驚きました。せめて、先に大佐が必要とわかっていればなんとかなったのですけれどね。
 ……お蔭で警察ごときの手を煩わせなければならなかった。
 今後は、せめて、日明中将があの状態になったときは、いち早く零武隊にご報告して頂けるようお願いしてはいけませんか?」
「それは……中将が判断されることなので、私ではなんとも」
「電話一つでも、中将の許可が必要でしたか。申し訳ない」
ふっ、と現朗は鼻で笑って軽蔑をありありとだした。分が悪いと悟った男は話を切り返す。
「ところで。此方に何の御用でしたか?」
「大佐を見かけておりませんか? 上官が中将にお会いしているのではないかと思って此方に伺ったのですが」
彼は正直に首を横に振った。
「先ほど元帥府から戻ってきたばかりで。お役に立てず申し訳ない」
 『上半期修理費報告書』
 現朗は上司の巧妙に作った隠し戸棚の中から期限が三日過ぎたこの書類を発見し、慌てて蘭を探しに来たのだ。
「……もしや。まだ申請していなかったのですか?」
癪に障る言葉に、思わず、現朗の足が止まる。男の足も止まった。ちらり、とわざとらしく視線を彼の手に移す。そこには同じ書類が握られていた。
「それは貴殿も同じでは?
 この手の書類が遅れるのはよくあることでしょう」
が、笑って返された。
「ははは。うちの中将に限ってそんなことはありませんよ。
 これは申請が下りて元帥府から回答をもらってきたところです。勿論全額申請額通り下りましたよ。貴殿の部隊はそう簡単にはいかないようですがね」
壮絶な嫌味を笑い声に乗せて飛ばす。
 勿論先ほどの嫌味の仕返しだ。悔しげに眉をゆがめる金髪の表情が楽しくてたまらない。
 ぶっちゃけた話。
 彼は零武隊が大嫌いだ。
 中将は少し妻と会えないだけで「蘭さん不足〜」と言いながらくさくさと荒れるのに、零武隊が揉め事を起こすたびに蘭の帰宅は遅くなってしまう。完璧な上官の唯一の欠陥は殆ど零武隊のせいだと考えている。
「今はうちも人員不足でしてね」
そして、身も蓋もつくろわずに言えば。
 現朗は中将の隊員が好きではない。
 完璧な蘭の夫の部下は、零武隊とは正反対に物事を穏やか平穏に片付け、およそ軍人らしくない。揉み消しやら人殺しやらそんな言葉とは無縁の仕事ばかりこなしている。主な任務は帝の護衛だ。
 そのくせ任務遂行率は高く、評判はよく、一般人への受けもいい。
 剣の技量はないくせに、階級ばかり高い高級取り。そういうイメージだ。
「まあ確かにうちの中将が暴れたことは否定いたしませんが。
 しかしそもそもの原因は、おたくの上官でしょう?
 日明大佐には、きちんと中将が向かっていると報告いたしましたよ。それなのに、うちばかり責めるのは少々お門違いのきらいがありませんか」
うちの大佐にそんな話伝えたら、逃げ出すことは目にみえているだろうが!
 と言いたい感情をぐっとこらえて、現朗は微笑んで相手の顔を覗き込んだ。
「へえ。お門違いとおっしゃいますか。
 上官の行動は部隊全体の行動と言われております。となると、上官をお止めするも部下の役目ですよね?
 止められないらば、せめて被害を最小限にするように行動するのが普通ですよね?
 なのに、救援も応援も寄越さないおたくの部隊の行動はなんでしょうかね?
 ………………どこがお門違いなのか是非お聞かせ願いたい」
二人の周りだけ、空気が重く冷たくなる。
 次第に動きが早くなった。一応二人とも笑顔だけ取り繕っているのが余計に怖い。
 偶々廊下の反対側から来た人々は恐ろしさのあまり道をあけると、そこを一瞬で通り過ぎる。
「お互い上司には苦労しますね。
 あ。申し訳ない。
 私どもの中将がかける迷惑なんて、天衣無縫放蕩放埓横暴蘭大佐には負けますか」
「……それは言いすぎじゃありません? 
 仮面の笑顔貼りつけて女に媚を売りながら颯爽とその女性を殺せてしまう似非ホスト軍人も相当怖いですよ。俺には」
「ホス……っ……うふふふ。その件はしかたがなかったのですよ。
 天邪鬼な我侭っ子鬼子母神の日明蘭大佐を差し置いて、怖いなどと全く面白い話です。死亡者年間量だけ考えれば大佐には遠く足元にも及ばないではないですよ」
「あっはっは☆
 うちの可愛い鬼っ子上司も、殺し方の残虐度は、新宿的接客業務No.1中将には全く及びませんね。
 なんでも十歳のお子様を蹴り二百発打ち込んで殺したとか。語り草ですよ」
「ふっふっふ。その話を持ってきますか。
 平均毎日十体殺している蘭大佐の殺戮っぷりも十分語り草ですよ」
「何おっしゃいますか。一日で五百人殺しの殺戮こそ金字塔でしょう」
「しかし、まあ……そういうえぐい話はさておいて。
 うちの上司は仕事だけはきちんと片付けるし逃げたり隠したりなんて絶対しませんからね。部下にも優しいし」
いつの間にか二人は向かい合って、笑顔でメンチ切っていた。

「期日に遅れそうになると元帥府秘書課に殴りこんで、笑顔で延期を申し立てるのも有名な話ですけどね☆」
「元帥府秘書課にマークされてもなお書類延滞ばかりの蘭大佐と比べれば自分で言っているだけましでしょう☆」

同属嫌悪というべきか。
 嫌味のレベルが同じで互いに一歩も譲らない。互いに弁が立つだけに厄介だ。
 そして、最後の角を曲がったところで相手は最終手段の爆弾を投下した。
「あれ。その書類、一月前に配られたのに。
 今頃どうしたのですか?」
 彼は既に申請が降りて終了報告に向かっているのに、かたや現朗は、期限切れ状態で今から提出しようと準備している。
 ……これほど、効果覿面なものはない。
「っ!」
現朗が言葉に詰まったとき、丁度、二人は扉の前にたどり着いた。
 日明中将の執務室。
 勝った……と、男は勝ち誇った目で現朗を見下した。