・・・  復讐也!1  ・・・ 


 机に一つ、大きな白い箱があった。高さは十五センチほど、机の半分を埋めているくらい広い。その箱の前に、上官がひじを乗せて手を組み、顎を乗せて待っていた。
「鹿鳴館でおきた事件を知っているか?」
扉を開けた瞬間に降りかかった言葉は、いきなり現朗の気を引く。その事件は連日紙上を騒がせて有名なもので、零武隊でも一番の話題だ。 戸から机に向かうまでの短い距離で、知っている情報を思い出す。
「四日前舞踏会中に起きた外交官の殺人事件ですね。死因は青酸カリ。発見は早かったのに、拒否されたため完全な身体検査をすることができなかったとか。現場検証も殆どできず、次の日からまた舞踏会は開かれた。
 そのためいまだに犯人不明」
「そうだ。
 耳が早くて助かる。つまり、その仕事がこちらに回ってきた」
「……ヨミ、ですか?」
蘭はうなずいて、机の抽斗から一冊の書類を出す。
 整った文字は眼鏡の教授のものだろう。
 一枚目をめくると、『被害者に心当たりがないため特定はできず』と冒頭にのっていた。以下に続くのはカミヨミから得た情報だ。
「なかなか難しいようですね」
「ああ。相手が鹿鳴館となると、財界や官、政治まで口を出してくる。荒立てるな、だが、事件は解明しろ、とな。しかも連日続く舞踏会を邪魔しないのが絶対条件ときたものだ。
 そこで、潜入調査の許可を得た。お前と他一名が舞踏会に潜入し、後方支援を五人くらい使おうと考えている」
「舞踏会、に、潜入するのですか?」
「心得はあるだろう?」
質問を質問で返されて、返事をしないわけにもいかず現朗はゆっくり首を縦に振った。が、踊りなどここ久しくやっていない。しかも探る対象は上流階級、厄介だ。 大役をまかされて嬉しい反面、面倒な、と心で思った。
 部下の心を知ってか知らずか、蘭は挑発的な目で見上げた。上司がこの表情をするときはよくないことの前兆のほうが多い。むっと唇をしっかり閉じる。
「……返事がないぞ」
「了解しました」
よし、言質はとった。
 ほくそ笑みながら机の箱をぐっと押し出した。
「これを」
促されるままに箱を受け取った。案外、軽い。
「なんです?」
「舞踏会用の衣装だ。お前の身長とかは伝えたんだが、一応着てみてくれ。
 合わなければすぐ貸衣装に連絡をつける。今日の夕方からはいって欲しい」
現朗はそれを持ち、敬礼して部屋を出て行った。



 数分後。
 どたどたという足音がクレッシェンドして、最後に、ばんっ、と扉の開く音で閉じられた。上官の部屋には先ほどまでなかった丸木戸教授というオプションが追加されている。部屋にいた人間は同時に見て、そして顔をあわせた。
「気色悪すぎません?」
「このくらいの奴ならよくいるぞ」
などと大変失礼な言葉が聞こえる。だが、そんなことは現朗にとって問題ではなかった。
「これはっ、なんのおつもりですかっ!?」
「サイズがあっていなかったのか?」
しれっと返すその返事が、火に油を注ぐ。
「そんなことではありませんっ。すぐに返品下さいっ」
と、地団駄踏んだが、それを気にする上司なら初めからこんな無謀な命令はしない。
 レース。
 リボン。
 ピンク。
 そんな三大特徴を活かしに活かした時価80円もする西洋式女性正装、つまり、ドレスである。
 値段も仕立ても超一流で、このサイズを見つけるのは苦労した。しかも男性が着る以上、足、手、喉を覆ったものでなければならない。
 かつかつと蘭は近寄り、現朗を見下ろす。サイズは丁度いい。ならば、後は仕上げだけだ。
「動くなよ。抵抗したらその格好で軍内一周させるからな」
「まだなにかあるんですかっ!?」
蘭は悲痛の叫びを無視して、彼女は後ろに回った。見れないのが不安で目だけで見ようとするが、命令された以上動けない。手が、背中にかかる。一つ一つ外されていく釦。上半身の服が落ち、白い胸板が現れた。
 ポケットからコルセット風の黒いレースの下着を取り出し、そこに巻きつける。部下がぎょっとしたのが背中からでもわかった。黒のレースのそれは、彼の細腰を締め付け、胸の部分に変な空間を作りだす。
 その空間部分に、前から来た丸木戸が柔らかな素材の丸い塊を詰めた。空間は埋められて、豊満な偽胸の完成。あまりの情けなさに涙がこぼれそうだ。
 手際よく蘭は服を戻すと、いっちょまえの貴婦人の完成だ。
「よし。あとは髪型をなんとかすればあ見れたものに」
「なるかぁぁぁぁ―――ぁっ!」
珍しくテンションの高い現朗に、蘭は胡散臭い笑みをのせてまあまあとなだめてみる。面白がっているのは明らかだ。
 どだい、無理がある。現朗とて成人男子の上軍人でかなり鍛えられている。女性ものの服があうわけがない。実際顔は整っているが、身長や肩幅、声は全くごまかせない。
「潜入捜査の許可は男女一組だ。しかたないだろう」
「しかたなくありませんっ。というか大佐が、唯一の女性なんだから行ってくださいよっ!」
「やだぁぁー」
こぉいぃつぅわぁぁ
 上司じゃなけりゃ斬っているっ。
 否。上司でも斬ってやる! 刀があれば絶対斬ってやるっ!
 猫撫で声で返事をするのが本気でむかついた。
「そんな息巻かなくても。似合ってますよ。うん。お世辞ですが」
「貴様の入れ知恵かぁっ!?」
「いやぁ。僕は大佐のお手伝いお手伝い」
「現朗。
 相手役はお前に選ばしてやるぞ。今皆に召集を放送でかけたからな」
爽やかな口調でいわれたその言葉は―――
 現朗にとって会心の一撃よりもきいた。
 放心した表情で、虚空を見つめ。
 かくん、と膝をつく。
 その耳は遠くから近づいてくる足音を捕らえていた。