・・・  入隊式2  ・・・ 


 駐屯所を鉄男に案内されている天馬を除いて、零武隊の隊員は全員が休憩所にそろっていた。新兵の祝いに、昼飯は弁松の特製弁当を注文するのが慣例だ。吐血までした毒丸も無事回復し、末席に座っている。
 部屋中、天馬の話題で一色だった。
「あの坊ちゃんが、とうとう入隊かぁ。ある意味助かったな」
「あの鬼子相手には天馬君ほどいい奴はいないから。
 それに素直な性格だし、大佐の子とは信じられないほどやさしいし。
 くぅ……理想の後輩だぜ」
「天馬君は可愛いよぉ。ホント」
各隊員面識はあるし、悪い印象ではない。むしろ、天馬が入ってきたことに喜ぶ者のほうが多い。それに彼の強さは、例の赤間が関の事件で皆よく知るところだ。
 だが、もちろんそれを面白く思わない者もいるわけで―――。
「ふんっ。下らん」
炎は不機嫌そうに言いながら足を組んでテーブルの端にかけた。
 どかっと音がして、弁当が少し持ち上がる。
「大佐の子であろうとなかろうと、そんなことここでは通用せん」
「なんだよ。炎。
 天馬殿は嫌かぁ? いい性格じゃねーかおめぇなんかと違って」
至高の我侭男の隣に座ったのは、部隊で一番軽佻浮薄な男、激だ。 水と油の二人が、現朗という一人を含めて親友となっているのは、零武隊の七不思議のひとつである。
 はっ、と忌々しそうに言い捨てた。
「確かに剣の腕は認める。だが、刀が抜けねば意味がないだろう。ただの軟弱者だ。しっかり教育しなおさなければならん。
 そのためには上の者がしっかりする必要がある。
 なのに相手が天馬殿となると浮ついた雰囲気となるのが気に食わん。初めから上官が甘い顔を見せていたらつけあがってしまうではないか」
成る程もっともな理由だが、それでもやはり天馬を恨むのは筋違いといえよう。要は、誰からも愛される少年の存在そのものが気に食わないのだ。
 けらけらと激は笑い飛ばしたが、炎は軽い男を無視し、自分だけに言い聞かせるように呟く。
「俺は、甘くはせん」
がら……。
 遠慮がちな音を立てながら扉が開かれると、鉄男を先頭に話題の少年が入ってきた。一斉に視線を浴びて、恥ずかしげに頬を赤らめ俯いてしまう。鉄男に席を促されると、一礼して席に着いた。
「……新兵たる者が遅刻した上に、上官に挨拶もなしに席につくとは良い度胸をしている」
言ったのは、炎だ。
 強烈な敵意を感じ、少年は飛び上がるように起立して彼に頭をたれた。
「も、申し訳ございません。
 遅くなってしまい、ご迷惑をおかけしました」
他の者は炎に咎めるような視線を送るものの何もいえない。冷たい目で見下ろしながら、彼は数秒黙り少年の様子を観察する。
「よし。
 ……では、その罪をおまえはどのように償う?」
上官の言葉の意味がわからず、天馬は顔をあげた。
「まさか、謝るだけで許してもらえるとは思っていまい」
「あ。ええっと……」
きょろきょろと視線をめぐらせて、考える。まさかそんなことを聞かれるとは思っていなかったのだ。
 目が、弁当にいった。弁当はあるが、どうやら飲み物はないらしい。
「あの、お飲み物用意します」
「わかった。急いで用意しろ」
「手伝います」
現朗はあまりのことに、思わず立ち上がった。初めて来た彼に、給湯室の位置もわかるはずないし、湯沸かし器等の使い方だってわかるまい。
 だが、それを炎が許すはずもない。
「……一人でな」
「はいっ」
元気よく返事をしてしまった以上、現朗の出番はない。金髪はしぶしぶと席についた。
「炎〜。やりすぎだろ、いきなり。
 そう突っかかるなよ。昼休みってそんなに時間ないんだから、食いっぱぐれるぞ。弁当」
「ふむ。そうなったら新兵の責任だな」
「おまえねぇ〜」
炎の我侭には慣れている隊員たちも、さすがに不穏な空気が流れた。顔を見合わせ、肩を竦めあい、先ほどまでの和やかな空気が消し飛んでしまう。 恐らく食事が遅れたら、炎がどういおうと連帯責任だ。大佐の怒る顔が目に浮かんでため息が誰ともなく漏れた。


 *****

 しかし。
 天馬は、誰もの予想を裏切って、案外、すぐに戻ってきた。
 胸の中に抱えるのは一升瓶が三本。それを机におくと、再び廊下に消えていってしまう。
 おかれた一升瓶を遠巻きに見ていたが、一人が手にとって封を開けた。どろりと甘い香りのする、どぶろくだ。瓶にはラベルがないのでどこのものかはわからないが、かなりの良質の酒であることには間違いない。
 ……ごくり、と炎が生唾を飲むのが激には見える。
 酒には目のない友人だ。
 扉が開き、さらに天馬は三本どぶろくを持ってきた。それから休憩室の棚から湯飲みを取り出して、各隊員に配る。
「……あの。お注ぎしたほうがよろしいですか?」
「と、いうより、その、天馬君。
 お酒……どうしたのこれ」
現朗は震える声で尋ねる。
「近円寺公のところから沢山頂いたものです。お花見の予定があったのですが、それがなくなったそうで」
「でも。勤務時間に酒はちょっと、まずくねー?」
と激がつぶやくと、はっと天馬は気がついた。
 確かに、それはそうだ。
「あ。そうか。すみません、早くお茶を用……」
『合ぉー格っ』
だが天馬の謝罪は、一斉に沸き起こった他の隊員たちの合格コールで打ち消される。一番声高なのは、炎だ。いつの間に取ったのか、一升瓶を抱えて憤然と巻くしたてる。
「弁松の弁当に酒。一番心得ている。これ以上の飲み物があるかっ!」
「あるか……って、勤務中だっつうのっ」
「大佐にばれるとえらいことになりますよ」
『ばれなきゃ良しっ!』
炎その他数十名の言葉が唱和する。
 言うが早いか炎は瓶の封を切り、湯のみについでごくり、といっぱい飲む。旨い……と恍惚な声が漏れると、他の隊員たちももう我慢ができず、全ての酒瓶があいてしまった。乾杯のもなく、いきなり宴会は開かれた。
 覆水盆に帰らず。
 なし崩し的に開かれた宴に、天馬はあちらこちらで声がかかる。現朗も激も顔を合わせてため息をつくと、おのおのしっかり自分の湯飲みにも酒を注いだ。杯を持ち上げるだけの軽い乾杯を、二人だけで酌み交わす。
 酒瓶が空くたびに天馬はどこかから追加の瓶を持ってくる。弁松の弁当に、たしかにそれはよくあった。飲んでも飲んでも酒は無くならず、宴が終わらない。
 ―――もちろん、その騒ぎは蘭も知っていたのだが。
「甘いですねぇ。息子には」
丸木戸が窓から休憩室の様子を見て、喉だけで笑っている。陸軍特秘機関研究室―――丸木戸の部屋―――は二階にあり、休憩室の彼らの様子はよく見えるのだ。三時を過ぎてとっくに休憩時間は終わっているというのに、零武隊の宴会は終わる気配がない。鉄男や毒丸は転寝しているし、現朗や炎はいつもの語り上戸が始まっている。 天馬は酒に弱いのか強いかよくわからない表情で、隊員たちの間を駆け巡っているようだ。
「……今日は年度始めだし、新兵も久しい。なにより、ここ連日先の事件で彼らも疲れているだろう。今日は大目に見てやる。
 それに、あの酒……」

 花見をしましょう。桜が、きっと見事に咲きますわ。

 と、儚くも強い少女が、嬉しそうに言いながら酒を買ったのは、もう、二月も前のことだ。料理の素材も注文しながら、蘭と一緒に弁当を作る約束をした。酒の量は多すぎると思ったが、近円寺邸の使用人全員行くと彼女が言ったので豪勢に頼んでしまった。
 約束ははたせなくなったのに、予定通り材料と酒を全部日明家に送られてきてしまった。それが届いたときの天馬の表情は、嫌でも忘れられない。そして少年の目に映った自分の顔も、まさにその少年と同じ顔をしていた。見合って、しばしして二人して苦笑した。
 目を瞑り、少女の残像を瞼に焼き付け再び目を開く。
 無理矢理感情を殺して軍務の顔に戻してから、机に両肘をついて手を組み合わせた。
「さて。
 剣の様子はどうだ?」
丸木戸は窓から顔を上げ、それから彼女の雰囲気が普段のそれに戻ったのを確かめると笑みを消した。 振り返って、机に向かって手を振りながらやって来る。
「上層部の連中が面子にかけて学者達を総動員して保管しているようですけど……。
 カミヨミの結界に比べると所詮は付焼刃。
 時間の問題ですね……」
「そうか……。
 早急に手を打たねばな……」