もしカミヨミとあやかし天馬が繋がっていたとしたら…… そんな色々バージョンについて考察。 以前は、「あやかし天馬」 → 「数千年経って今の文明が崩壊し第二次の文明が形成」その間天馬は飛天と暮らす、八雲相変わらず羅刹復活に勤しむ → 「カミヨミ時代」 となって、実は天馬(カミヨミ)のパパが天馬(あやかし)という妄想を考えておりました。 子供姿のまま大きくなれない天馬(あやかし)と、大佐がラブラブしている様子って絵になるというか、悪がきが悪巧みしているようにしか見えないんですが、まあそれはおいといて。 ですが、今回もうちょっと視点を変えて、「カミヨミ時代」→「あやかし天馬時代」という流れのヴァージョンを考えてみました。 出た当初から思っていたのですが、カミヨミの八雲さん、ちょっと優しすぎる気がするんです。 八雲が八雲たる所以の八雲的残酷さがあんまりない。 でもって、テンションが高。激高! よい人ではないですが、なんだか心温まるような雰囲気を感じます。(ま、フェイクという可能性もあるんですけどね) そこで。 剣の遣い手として失敗作の天馬=羅刹の体の生まれ変わり →恋愛対象 →メロメロラブラブ中なので温和! という設定なんか如何でしょうか? …………。 ……やべ、今空気が凍る音が聞こえた。 ええっと、その、まあ、色々妄想ですから! 天馬君は真っ直ぐで清浄な雰囲気があるんですけど、なんか大きく抜けているし、剣が抜けないっていう根本的に欠点があるし、ぶっちゃけ大体『誰も救えない結果』な属性があるじゃないですか(酷い)。 あやかし天馬はハッピーで終ることが多いのですが ※3、カミヨミは大体アンハッピー。 で、そこが、実は羅刹と共通。 羅刹も絶対の強さは誇っているけれど、その実非常に優しくて、矛盾したことを行い失敗して後で後悔しまくるという欠点だらけな性格なのです。 失敗するたびに犠牲が山のように出来上がる。なのに、誰からも愛される故にそれを非難されることはなく、敬愛されるゆえに慕う者は増え、彼に動いてくれと多くの亡者が縋りつく。 そしてまた動いて、また、失敗する。 悲しみと絶望を抱えて、いつも一人になると亡くなった妖怪たちを弔って泣きじゃくる。生きれば生きるほど犠牲が増え続けるという運命なかんじなのです。※1 ※2 長くなりましたが、要は天馬(カミヨミ)は羅刹の『因果』を持っていて、なおかつ身体が剣の遣い手ゆえに冥府の力を引き継いでしまっているわけです。 なんでこんな下らない想像を働かせたかというと、飛天と八雲の仲がよいので、ってことは、妖怪大戦争以前の状態→羅刹がいる状態→羅刹=天馬と。 カミヨミは、妖怪が平和だった頃の再現みたいなかんじなのです。 カミヨミの後、天馬は剣に命を吸われて無くなるはずなのですが、その身体を八雲さんが奪い取ります。 羅刹を二度も失う八雲さんの悲痛なシーンが読みたいなぁ そして、天馬(カミヨミ)の肉体による『因果』+鬼の手による『妖の心』+不動明王天馬(あやかし)の『羅刹の血』で復活を試みるのです。 帝月は、天馬を失った悲しさと、帝都に自分の力があることを恐れたため、カミヨミ一族を引き連れて妖怪を括るために別世界へ行きます。ミッチーは帝月の子孫。 ま、ここまで書いていてあれですが。 夢見すぎ(笑) ※1 八雲がどこら辺に心酔したのかは別の問題なので後日考えます。 ※2 そんな羅刹さんですが、不動明王になると完璧になるので失敗しません。全部仏界の命令どおり動くので、犠牲は生まれない、というより、犠牲という概念すらないのでしょう。責任をとらなくなったとも言います。……ま、ここら辺も別の問題なので後日考えます。多分。 ※3 ぬらりひょんとか野球選手とか例外もいますけどね。 ※4 こんな妄想を働かせましたが、あや天の羅刹に関しては、使えない部下たちばかりの上(一人は酒のみ、一人はおかま)妖怪王としてお役所仕事をし続けなきゃならない環境に悲観し、仏側のヘッドハンティングに乗ったという説を希望しております。 |