27/08/2006 籠の鳥という喩は、不思議だ。 籠に居るのは、鳥が一番しっくりくるから不思議だ。 籠の鳥、籠の鳥、籠の鳥。口の中で繰り返して、現郎は暗い廊下を真っ直ぐに進んだ。昔からついた癖なのか、館内ではわざわざテレポートを使ったりする気は起きない。全体にかすかな機械音が響くだけで、それ以外は生物の存在を感じさせない無機質な空間だ。昔の星の科学の粋を集めてできたこの宇宙船は、あれだけの時を経たというのに何一つ壊れることなく問題なく動いている。 廊下は次第に大きくなり、そして、ホールに出る。そこは外の光を取り込んで空々しいくらいに明るい。首を上げても天井は見えない。中央にある透明な木は宝石のように輝いていたが、美しいというよりは禍々しく現郎は感じた。 透き通った零の木の幹に、眠る赤い髪の王子。彼の前には一本の刀が―――まるで、彼を守るように―――納められている。娘の腕は少年の肩を優しげに抱いていて、その穏やかな表情は女神の彫刻のようだ。完璧な美しさを求めるあまりに生命感を失ってしまい、博物館に並べられた埃をかぶった陳列物のようだといつも思っていた。 えいえんという時間を感じさせる透明の棺。手を触れて、中を覗き込みながら一人ごちる。 ……炎様は、どちらなのだろうか。 籠の鳥なのか、それとも籠を支配する飼い主なのか。 奴だったら躊躇なく飼い主だと言うだろう。 幼い王子を封印したあの悪友は、無理やり眠らせたのと同じ口でそういう事を言うのだ。なんの躊躇もなく。奴は、その王子が自分の思うままに生きれず運命に翻弄されることを嘆いていた。なのに涙を拭ったその腕で、この少年をこの棺に押し込めさらに駄目押しとばかりに刀の封印まで加えたのだ。 客観的に考えればそれは矛盾のように感じるが、不思議なことに、奴が口にすることは一本筋が通っているように見える。 奴は正しく。 俺は間違う。 嫌な記憶が浮かんで、ぐっと胸のあたりを握り締めた。服に皺が寄る。薄い布地がどこか悲鳴を上げた。あの三白眼を思い浮かべるだけで、現郎は腹の奥底から全身を苛つかせる何かが噴出すような錯覚に襲われる。 王国にいたとき、現郎は一度も真には勝てなかった。 ……勝てなかったこと自体は、気にしていない。 だが、勝てないだけではなく、意見が分かれたときはいつも彼のほうが正しいという事実が、金髪の自尊心を著しく傷つけた。現郎のプライドを刺激し、時には打ち砕き、何度も何度も敗北感を味あわせた。そのことを考えまいとするが、一つ思い出せば芋蔓式に全てが脳内を巡る。 そして、現郎が傷つくたびに、それに一番に気づくのも真だった。まっすぐな目で見て、『どうした』と心配そうに声をかける。惨めさはさらに広がったが、何でもないと無理やり答えればさらに心配するのが常だった。 ―――嗚呼、嫌ってくれればどれだけ楽だったろうか。 親友などと、呼ばれなければよかった。 親友だと、言わなければ良かった。 最後の宇宙船で、奴と自分が残ったとき、悲劇だと思って絶望した。そしてそれを悲劇だと思ったこと自体が後で自分を苦しめる。 何故、自分は奴があれだけ嫌いなのだろう。何故あんなにも慕ってくれる男が、こんなにも避けたくてしょうがないのだろう。避けたいのに、結局のところはいつも一緒にいた。 炎様が慕うのは奴だけだからか? 違う、それはない、と即否定する。 炎様の傍らに控えて嫌われ役となるのが自分で、炎様の憧れの地位に就くのが彼だからにすぎない。それはただ地位が変われば変わること。それに叱って恐れられながらも炎様を導くことは嫌いではないのだから。 『オマエは残れ…現郎! そしていつの日か目覚める炎と天を守ってやってくれ。 それができるのはオマエだけだ』 奴はそう言い残して、この宇宙船を後にした。 その夜は、幾千幾万もの星が天上から降ってきて、それをただただ独りで眺め続けた。その夜から降り出した雨は長く長く続き、ツェルブワールから太陽の光を一週間奪った。雨で濡れた大地を蹴りながら、俊足を駆使して世界全土を見回った。いろんな所に落ちていた宇宙戦の残骸を全て不燃島に運ばなければならなかった。この星の住人には知られてはならない歴史だ。 世界中の片づけが終わった後も、忙しない日々が続いた。眠りについたとはいえ零の木の影響もあってモンスターも増えた。GCたちの管理も必要だった。沢山の仕事が現郎を追い立てて、それが、彼には嬉しかった。忙しければ無駄な感情は死んでいてくれるし、嫌なことを考えなくて済む。疲労に任せて寝て、起きたらすぐに山積みになった仕事に取り掛かった。 だが、いつしか彼がすべきことは全て片付いてしまった。 そうしたら、宇宙船の中で待っていた孤独が、緩やかに彼に手を差し出した。青年の体をゆっくりと侵食する。今まで、真の帰りを待っていたが、孤独は待つということを止めさせて彼の死を受け入れさせた。今まで、毎日欠かさずツェルブワールド全体を見回っていたし、GCたちの管理もしていたが、その全てが面倒になった。何もしなくても、何も起こらなかった。現郎はこの宇宙船の部品の一つになった。 毎日目を瞑って、時間を消費することだけ考える。 記憶を思い出したくないからツェルーには行かない。 記憶を新しくしたくないから新しい世界を見はしない。 昼寝をしているときに、久しぶりに鳥の声を聞いた。 そして、籠の鳥という言葉が頭に浮かんだ。 そうしたら急に主君の顔が見たくなったので、零の木の傍で昼寝をすることを決めた。横臥すれば空の光が顔にさす。暑くもなく寒くもない。この宇宙船の空調も採光も全てが完璧だ。目を閉じれば暗闇が襲ってくるし、機械音すら自分の鼓動のように感じる。 「天姫……」 名前を呼んだ。勿論、眠れる美女は答えることは無かった。 沈黙の帳が降りる前に、彼は再び口を開いた。 「炎様」 少年らしからぬ落ち着いた、しかしどこか愛嬌のある舌っ足らずな口調は、いくら待ってもくることはない。 一人、一人。 思い出しうる限りの名前を呼んだ。 何十、何百という失われた者たちの名。 返事が返ってくるなどないことくらい、知っている。分かっている。理解している。 何時間も孤独と共に過ごしたのだ。そしてこれから同じく気が遠くなるくらい、孤独と共に生きていくのだから。 そのくらいの覚悟は出来ているのだ。 だから、返事が返ってこないことなど、どうでも良いのだ。当然の事なのだから。 「…………真」 最後の名前を、呼んだ。 もっとも嫌悪する名前だ。 ―――なのに、口に出さずにはいられない。この感情は何だろうか? 低音の機械音という音以外、何も聞こえない。 青年の周りには、寂寞ただただ広がっていた。 閉じた目の眦から溢れ出した体液が雫となり、頬を伝わって床に落ちる。知らずうちに、悲鳴とも呻きとも聞こえる音が口から漏れていた。心臓が痛いくらい内側から彼を破壊しようとする。耳の中で自分の鼓動だけが聞こえる。 堪えきれず、本能のままに吼えた。 積み上げて来た自慢の城を、一瞬で破壊するようなカタルシスがあった。いったん堰を切ってしまえば、それを止めることは不可能だ。 跳ねるように身を起こし、四つん這いになって慟哭する。手を振り上げてわけもわからず床を殴りつけた。その叫び声すら静寂は己に取り込んで孤独の餌食にしてしまう。 機械に囲まれて、そこから逃れることの出来なくなった青年はただ咽び続ける。 一枚硝子を隔てた向こう側には、ゆったりと浮かぶ白い雲。彼はまだその存在には気がつかない。 友の最後の言葉は、この檻に鍵をかけていった。そして、千年以上籠の鳥は囚われ続ける。 だが、鳥は檻から飛び出した瞬間に、頓悟するのだ。 真の言葉が鍵となったということは、それはすなわち、真が自分にとって確かに友であったことの証だということに。 |