・・・   大混乱  ・・・ 


 今になって、不安が襲ってきた。
 真は目の前の湯気立つ抹茶と高級そうな茶器を見ながら、口の中に広がる悔恨の苦味を味わい、口を真一文字に結ぶ。
 帝都でもかなり名のある名家の奥座敷。茶を立ててくれた姫とうたわれる娘は、恥ずかしそうにちらちらと視線を寄越す。
 真が不安になっているのは彼女と上手く話が運ばないからではなかった。二人が言葉を交わさなくとも、この家の主とその奥方が楽しい会話を繰り広げ座敷の雰囲気は明るい。
 彼が恐れているのは、別なことだ。

 どうやって帰ろうか。

 お国の厄介ごとを一手に引き受ける零武隊。そして、その無法者の集団の男たちを取り仕切り、無法者達の中でもさらに乱暴者たる日明大佐の首に縄をつけ、無法者達の中でもとりわけ暴走気味な炎に冷静なツッコミを入れつつ手綱を捌く、そんな男が帝都に存在した。それが、この男、真である。
 ただ座っているだけで、その風格は自ずと伝わってくる。それが気に入って、長者は道で不思議な事をしていたこの男を家へと招いたのだ。
 姫の婿には、この男しか居ない。
 ―――家の主の腹は決まっていた。
 そんな思いとは裏腹に、真は何故このようになったのか考える。樫の板三枚くらいは通すと日明大佐に嫌味っぽく評価される眼力をもつ三白眼を静かに閉じて、つらつらと数時間前の出来事を思い出した。


 *****

 ことの起こりは、二時間前。
 日明大佐が例によって例の如く、いらぬちょっかいを出してきたことに起因する。

「なんか一応そこそこ見目の良い奴、おらんか?」

 三日ぶりの出張から帰ってくるなり、彼女は道場の入り口で腕を組んで、さも困ったといわんばかりの表情をして思いっきり部下全員に喧嘩を売った。
 後ろに控えている丸木戸教授は膝を叩いて大笑いをしており、さらにその後ろに立っていた天馬は親と親の親友のあり得ない程の礼儀知らずの態度に慌てふためくが、今更どうしようもない。
 道場で手合わせをしていた男達は、上官の到着に手を止めた。不機嫌そのものといった表情ながらも、一応、略式の敬礼をする。
 確か今日は菊理姫のところへ行くとかいっていたな、と現朗は思い出しながら駆け寄った。
「いかが致しまたか?」
「実は、これから姫を迎えに行こうと思うのだが、運悪くまだ女学校の時間なのでな。
 護衛と御者を見繕いに来た」
現朗は振り返って鉄男に視線を投げかける。
 日明大佐は馬の扱いが最も上手いこの男を好んで傍に置く。その上常識と良識と理性という彼女に足りないものを補ってくれるので、幹部クラスも安心して任せられるのだ。
 だが、鉄腕を持つ大男は胴着の胸元を整えつつ静かに首を横に振った。珍しく、表情が暗い。その沈痛な表情の理由を説明したのは、蘭だ。
「この前鉄男に御者を頼んだのだが、子供らに泣かれてしまった。
 その前は後ろのアレを使ったら不審者として捕まった。アレの顔はアレだからしょうのないことだが、このままでは出入り禁止にはなりかねん」
アレ、こと丸木戸はさらに高い声で笑う。顔の暗い鉄男は大きな背中を小さく丸めて寂しそうな溜息を吐く。
「ひゃっひゃっひゃっ。お褒めに預かりこーえーですな」
「成る程、確かに」
現朗の返答は、鉄男の胸の奥の一番弱い弱い部分をごっそりとえぐる。ふらつく足取りで道場の隅へ行くと、力尽きたようにぱたんと壁にもたれかかった。
 暴言を吐いた現朗はその行動に気づかず、しれっとした顔で提案する。
「それでは、私がお供致しましょう。
 直ぐに用意いたしますので、外でお待ち下さい」
言いながら出口へと足を出す。
 ―――が、それは、腕を握り締める手によって阻止された。
 首を回せば、鍛錬を途中で止めた男達がずらりと立ち並ぶ。現朗が行くのを実力行使でも止めようと考えているのはすぐにわかった。血の汚れが目立たないようにと泥藍で染められた揃いの胴着。それがぐっしょり濡れているというのに、疲れた様子は一切見えない。
 天馬がうろたえているのを視界の隅に捕らえつつ、稽古の時も同じくらい真剣にやってほしいものだ、とこっそり思う。
「ちょっと待てや、現朗」
掴んでいた手を放しながら激が笑う。だが目は決して笑ってない。
「どうした?」
同僚達の意図は察していたが、わからない振りを装って返答する。
「うちで一番カッコイイ、って言いたいのか? お前」
「少なくとも童女に泣かれたり連れ去りを企画するような顔には見えまいと自負している」
道場の隅で激しく落ちこむ鉄男がさらにその言葉に心を鋭く抉られたのはさておいて。激は同僚の間を詰め寄る。
「いやいや、お前仕事で忙しいだろ。
 ……俺が行ってやるよ」
「結構だ」
「いやそう言うなって」
「断る」
淡々と答える金髪の横におもむろにやって来た茶羅は、馴れ馴れしく寄り掛かる。首に手を回し、顔を近づけて、逃げられないようにしっかりと抱きついた。鬱陶しいと睨んでも効果はない。
「っていうかぁ、顔のことなら僕の得意分野だから。
 大佐、お供いたしますよ。これでも女子供にはもてるんですよぉー」
振り返って彼女に二パッと微笑みかける茶羅。その隙に離れようと現朗は必死でもがくが、腕に吸盤がついているのかなかなかにしつこい。
 さてどうするか、と日明大佐は顎に手を置いた。その目の前に、すとんと下りてくる一つの影。毒丸。人の囲みの外から、助走と壁を使って大きくジャンプしてきたのだろう。
「はははっ、テメーがモテんのは色町だろがっ!
 大佐ぁ、俺行きますよぉ。
 こう見えても子供の世話は経験豊富っすから」
きゃぴきゃぴと花のような明るい雰囲気を撒き散らしつつ青年がアピールすると、笑顔の仮面をつけた茶羅は現朗を解放して後ろから洒落にならない正拳突きをかます。が、首を倒すだけで紙一重でかわされてしまった。

 ぱんぱかぱーん、ぱかぱか、ぱんぱかぱーん。

 突如。
 何処から鳴り響くファンファーレ。
 スポットライトが中空に突然現れ、ざっと隊員たちが動いて揉め事の中心へ一本の道が出来上がる。その道の突端に、ふさぁと赤い髪を書き上げる男が一人。
「貴様ら、煩いぞっ!」
信者作った赤い絨毯の道を大股で闊歩して、鷹揚とした態度で日明大佐の元へ辿りついた。
「我隊で最も雅なのは問うまでもなかろう。
 さて、行くか、日明大佐」
どこからも上から目線で炎が言い放ちながらも、まるでダンスを申し込むかのように紳士的に手が差し出された。
 確かに、王族レベルのマナー教育を受けており、幼女に泣かれるような顔ではない。彼は良いかもしれんな、と蘭の心が動かされる。
 その男の手を、毒丸が勢い良く弾いた。
 ぎょろり、と燃える様な赤い瞳が動く。

「うんうん、雅だよ雅。一番雅だと思うよ。
 ま、つまり、マニア受けってことだよね☆」

そこには、つい十秒前まで殴りあいをしていたはずなのに、同盟を組んで立ち並ぶ茶羅と毒丸。殺る気満々の危険な光を目に湛えて不気味笑っている。大佐の味方の二人の敵。心は一つだ。
「……何が言いたい?」
「人間外な貴方が行ったらまた揉め事になっちゃいますよ。
 自粛してください」
「お前に言われる筋合いはないわぁぁっ!」
人間以外に変身できる男に人間外呼ばわりされて、思わず炎は力いっぱい言い返す。
「目くそ鼻くそを笑う、だな。
 じゃ、俺が行くぜ、俺っ! 俺、普通にかっこいいもん」
その隙をついて名乗りを上げる激。
 はぁぁぁぁぁ、と現朗は嫌味っぽく大仰に溜息を着いた。
 なにおぅと激がこちらを振り向いた瞬間を狙って、口を開く。
「……確かに、お前は、普通、だな」
カチン。
 そんな音が聞こえたかどうかはわからないが、激がその瞬間理性のセーブが吹っ飛んだの事実だ。
「何が言いたいんだオメェ」
金髪の胸倉を掴み、顔を近づけて、ゆっくりと問う。
 だが、冷笑する現朗は気後れした様子はない。

「顔が」
「んだとこの野郎ぉぉぉぉ―――っ!」

あちこちで起きる不穏な雰囲気に、日明大佐は、傍観者気取りでやれやれと小さく吐き捨てた。
 そもそも、誰が一番強いか、誰が一番格好よいか、誰が一番もてるか―――等等、それらは与えてはならない問いなのだ。
 自尊心の塊のような男達が集まっている、零武隊においては。思い上がった自意識過剰な者ならばさして問題ないのだが、彼らはそのプライドに見合う実力と評価がきちんと備わっている。その分だけ、その手の問題は根深い対立を生む。
 きちんとした決着、すなわち、順位をつけたくなる。自分が一番であるのは間違いないから評価がおかしいとか、美意識は人それぞれだという相対論とかに逃げることはない。
 今回、女学校へ向かう馬車の御者になるということは、零武隊において最も美形だという称号を与えられることになると彼らは理解した。ならばその称号を巡って争いが起こるのは必定。

「ほほう、我に挑むか?」
「美形度の勝負で炎ちゃんに勝なんて当たり前すぎて」
「勝負になりませんよね?」
「じゃあ何か、オメェは俺じゃ無理だっつうのかよっ!」
「客観的評価に於いて、俺が最も良いということは間違いないだろう?」

―――始まる。
 道場中の誰もが思った。
 最も手軽で最も合理的な評価付け方法。それはつまり、強い奴の意見が一番、という零武隊ならではの考え方により、乱闘だ。
 息を整え、拳を握り締め、足の踏みに力を込める。
 声はあげてないものの、誰もがその称号を狙っていた。ただ一人、既に落選決定の鉄男だけは、静かに動いて天馬と教授を怪我のないような場所へと案内している。
 静寂した道場内に膨れ上がる熱気。
 高まる緊張感。
 そのまま乱闘に転がり落ちる―――はずなのに。

「いい加減にしろっっっ!」

今まで沈黙を守ってきた真が唐突に叫んだ。
 気勢をそがれた男達はいっせいに振り向く。
 視線の先には、不快そうに眉を顰めている三白眼が、腰に手を当てて仁王立ちに立っていた。
「よく考えろ。
 鉄男は確かに特徴的であるが、出入り禁止になるような類ではない。子供に泣かれるはずがあるか。
 この男、近所の神社に放置しおいたら、それだけで子供魂みたく懐かれていたんだぞ」

あ、確かに。

 全員の気持ちが一つになる。
 この男呼ばわりされた鉄男も、道場の外でほっと息をついていた。
「……となると……」
くわっ、と見開かれる血走った眼。
 その眼力にビビった軍人たちは半歩引く。
 真はびしっと人差し指を大佐へつきつけた。

「子供らに泣かれたのも。
 不審者として捕まったのも。
 ―――どのように考えても大佐の所為でしかないっっっ!」

彼は腹の底からの声で宣言した。
 ……が、宣言したと同時に、日明大佐の下あごからの強烈な蹴りにより天井を抜けて大きく吹っ飛ばされていたのである。


 *****

 「大佐の馬鹿ぁぁぁっ。
 方向音痴の真ちゃん一人にしたらそのまま南極に行っちゃうよ!」
きゃんきゃんと鳴く毒丸を片手で抑えながら、書類飛び交う第四指令室で蘭は八つ当たり気味に怒鳴り散らす。
「炎っ、いつもの迷子センサーを何故外したっ!?」
「鍛錬中だったからだっ!
 それにしても、真を殴るときには極力手加減をしてくれといつも言っているだろうっ」
「あいつを相手に手加減できるかっ!? 避けられたら腹が立つわっ」
「だったら倒す方向で攻撃をすれば良いだろうがっ」
口論する男女の奥、部屋の中央で次々に集まる情報を整理して、現朗は地図に書き込んでいた。一畳以上あるテーブルいっぱいに広げられた一万分の一の地図が、赤鉛筆で染まっていく。
 真を殴り飛ばしてお星様にした直後、蘭と隊員たちは真っ青になった。なにせ、長野へ向かうと伝言を残して、英国領のオーストラリアにたどり着き、わざわざ炎が迎えに行ったという伝説を残す男だ。何故内陸の県へ向かうのに船に乗ったのかは激しく疑問を覚えるところだが、彼の天性の方向音痴は並ではない。一人にしておいたら一体何処へ向かうのかわかったものではない。鉄男と教授と天馬に菊理の迎えを頼み、即座に真の捜索を開始したのだ。
 遠方は無線を持つ隊員を派遣し、近辺は無線を持たず馬で隊員を回らせる。割り当てられた地域が終った隊員たちは、報告と新たな捜索場所の割り当てを貰うために、一旦この部屋に戻ることになっている。馬の扱いの上手い三人は一番に戻ってきた。 
 聞き込みを開始して一時間になるが、未だ「目つきの悪い三白眼(無口)」の男の有力な手がかりはつかめない。
 地図が書き込み終わった現朗は顔をあげて、横に束になった地図の上から数枚を荒々しく引っ張り出した。
「……炎様は次は南東の御所の周辺三キロ圏内を、大佐は東の上野をお願いますっ。お二方は、地図とルートを調べてあります。
 毒丸は横浜駅に急いでくれ。
 駅員に「目つきの悪い三白眼(無口)」の男を乗せぬようとの注意を頼む! 電線が繋がらんっ」
『了解っ』
 そんな部隊を恐慌の渦に突き落とした男は、研究所へ向かおうと(反対方向へ進む)道の途中で強盗の現行犯を見つけてそのついでに銀行ビルの三分の一を崩壊させた後寄り道ついでに菓子屋へ入ったところ夫婦喧嘩の修羅場に巻き込まれたと思ったらいつの間にか逃げ出した猫を探す羽目に陥り見つけたお礼に貰った小さな虫を紐をつけて棒と結んで玩具にしたらそれを見た子供欲しがって蜜柑と交換して道の反対側から来た喉の乾いた姫に蜜柑をあげたら何故か反物になってそれが気に入られて姫の婿に迎えられて長者になって幸せに暮らしました―――とかなんとか長い長い長い道程を辿って、運良く通りがかった天馬たちの乗る馬車に拾われて研究所に向かっていたのである。