* 三種の神器 *
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「冥府より引きずり起こされた仮初の命。 日本陸軍零武隊が二等兵、日明天馬。お前達を冥府まで送り届けるが我が責務と心得たっ」 堂々と名乗りを上げる天馬の眼前には、翼と触手をもつ異形の者がとぐろを巻いて座っていた。少年に見せるのは威嚇の声。一触即発の緊迫した空気が場にもたらされる。 零武隊は、とうとうその異形の者を追い詰めることに成功した。 結界の外側では現朗や激をはじめとした面々がぐるりと取り囲み、その中で天馬とそれだけが対峙している。 「帝月、頼むっ」 天馬にいわれるまでもなく、地上最後のカミヨミは詔を口ずさみ始める。と、同時に、少年の腕を戒める糸が動き自ずから切れていく。神器が鞘―――少年の肉体―――から現れる一瞬、あたりは燃え盛る炎と蒸気とに包まれる。激は、不謹慎だと思いながらも高揚する自身の心を抑えることはできなかった。 それは、あまりにも神々しい一瞬なのだ。 この世にあってはならぬモノ――― それを打ち砕くのが零武隊の定めだというのに、この世にあってはならなぬモノはひどく人の心を惹きつける。隊員達の視線は天馬の腕に釘付けだ。その、あってはならぬモノを見たくて。あまりにも見たくて。 ………………あまりにも見たかったのだが。 それを見た瞬間、別の意味で釘付けとなってしまった 微妙に、気不味い空気が流れたのを、察しの良い三人の子供が気づかないはずがなかった。 あははは☆ ばれたなーこりゃ。 ど、どうしようっ。どう報告しようっ!? むう。まづいな。 と、三者三様に一瞬だけ内心慌てふためくのだが、一応肝が据わっているので顔色ひとつ変えることはない。冷や汗が垂れたがそれは今の状況で見えた者はいないだろう。日輪の剣がもたらす神の炎のせいで、一帯の気温は急上昇していた。 零武隊隊長日明蘭は、ふむと呻きながら顎に手を置いた。 その状況を理解し精神を落ち着けるために、少しだけ時間が必要だった。そして、横に居た丸木戸教授の方へ振り返って、いつも通りの事務的な口調で質問する。 「教授。 日輪の剣に玉葱の切れ端がついていたら、君は何があったと推測する?」 「えーっと」 三種の神器の一つ、草薙の剣。 ヒヒイロカネの時を忘れた煌きに包まれる刀身のその上に。 一枚、輪切りの玉葱がぺろりとついていた。 しかもヒヒイロカネは鋼かなにかでできているのか、よく洗わなかった菜切り包丁のように接触部分に錆が見える。この程度の錆はたわしで軽くこすれば取れるのだから、刀自身に対した影響はない。 「お国の宝を傷つけた罪は万死に値するから極刑でいいよな? あの新兵?」 ―――影響はない、が。 だからといってお国の宝を任されている自分の息子が、その大切な刀を錆びさせたということには変わりはない。 蘭は、迷っていた。 軍人としての誇りを残して切腹を許すか、それとも罰という面を重視して磔獄門とするか。 「えええーっと……。 ある程度事実関係を調査した上で申し開きを聞いてからでも遅くはないと……思うんですけどねぇ。それにほら、今は一応緊急事態中じゃないですか。後で考えましょうよ。後で」 息子抹殺を質問された丸木戸は、それが慣れたことであったとしても一瞬顔が引きつるのを止められない。 何故なら、この女性は本気でやるからだ。 手加減とか遠慮とか常識とかそういう抑制になるものが一切ないのだ。自分の答え如何で人一人の運命が関わってくるのだから責任重大だ。 「事実関係、ねえ」 きらりーんっと目を光らせながら、カミヨミとその従者を睨み付ける。鋭い眼光にびくっと二人の肩が震える。 一方。 遠くから聞こえる嫌な会話を最後まで聞かず、天馬は祈るような気持ちで心の中の耳を塞いだ。 そして、目の前の敵に集中する。一旦乱された心はすぐには回復しないが、敵も相手がまさか神器を出すと思ってはいなかったので焦燥しているのが手に取るようにわかる。条件は同じだ。 だが、異形の者は、奇声を上げながら心を奮わせ始めた。 怖くない、怖くない、怖くない――― 奇声に乗って彼の者の思考が脳内に叩き込まれるように入ってくる。 勝ち鬨。 それは、圧倒的な力を前にしても負けを認めない者がなす、一種の儀式。 「その意気や良しっ」 天馬は、覚えず音吐朗々と叫んでいた。 相手の気勢につられて戦いに没頭する、武人の習性。日明家に脈々と流れる血が彼の本能を呼び起こす。 ということは、つまり。 「……今、戦いを引き延ばせば、あのおかんも忘れるのになぁ」 「天馬にそんな器用な真似ができるか」 少年は一切手加減をしないで相手をするのだろう。そうすれば勝負の結果は見えている、二分と持たないに違いない。 大きさが不明な上に動きが人知を超えたものだったから追い込むのは大変だったのだが、一旦閉じ込めてしまえばこれを抹殺すること事態はさほど大変ではないのだ。 ましてや、日輪の剣を携えた、日明天馬。 いくら冥府から強制的に戻されたからとはいえ、牛の御霊でどうこうできる相手ではない。 「せやけど」 瑠璃男は不満そうに主人の顔を見た。天馬をかばう主人の心情がわからないのだ。このままいけば三人連帯責任で日明大佐に叱られることは目に見えている。 ―――坊ちゃんにも大佐の鉄拳がくるやないか。 と、瑠璃男は心中呻いた。 「そんなことはどうでもいい。今更だ。 それにしても、だな。一旦鞘に収まったんだから、玉葱の一片が何故残る。 伝説の剣の割りには随分みみっちいではないか。 そのくらい僕の美しさに免じてまけるのが筋であろう」 「そりゃわいもそう思いますけど…… うわぁ……たった一時間くらい放置しただけなのに、しっかり錆びてますなー」 「案外安物だったりな」 「かもしれませんねー」 少年たちの悪口に反応したのか、剣はひときわ大きな炎を吐いた。火の光であたりが白光りし、目が開けていられないほど眩しくなる。異形の者が僅かに動いたのを光の中で僅かに見える輪郭で察し、直ぐに、天馬は地を蹴った。 勝負は見えていた。 つまり、二分と保たなかった。 ******** それは、一時間ほど前のこと。 「瑠璃男、材料は頼んだぞ。 俺は御飯と竈の用意をする。 ……おいおい、帝月、あまり火に近づくな。危険だ」 「馬鹿にするな。 このくらい大丈夫に決まっているだろう」 「だぁぁぁぁっ、阿呆天馬ぁっ! ぼっちゃんの美顔が煤とか炎とか素敵なものとかで大変なことになったらどうするつもりやぁっ。もっと気つけんかいっ。 坊ちゃまも。もっと離れて見はって下さい! 火傷でもしたらどないしはるですかっ。火の粉が飛ぶんですよっ」 「おいおいっ。 包丁を振り回すな瑠璃男っ!」 三人は、帝都から離れた山奥の湖畔に来ている。同年代の友人たちだけでする旅行はまた格別に楽しく、帝月も口では疲れたなどと文句を言ってはいたがはしゃいでるのは明白だった。家事といえば面白くない料理も、なぜかこういう場での自炊はとても楽しい。手伝ったり邪魔をしたりで、作る時間そのものを楽しむ。 ここに来た理由は、例によって例のごとく帝月の我侭から始まった。 ヨミばかりで飽きた。遊びに行きたい。 日明大佐にごねてごねてごねまくった結果、三日間という時間を帝月は獲得した。 具体的に、何をしたいんだ。 と、大佐が怒りを抑えながらたずねると、帝月の代わりに瑠璃男が一冊の雑誌を差し出した。そこには、西洋式の休暇のすごし方の特集が組まれており、『きゃんぷ』なるものの全容が書かれていた。蘭はさらりと一瞥して、思い切りため息をつく。軍の野外訓練とほとんど変わらないそれが何故そんなにも娯楽になるのか、欠片も理解できなかった。 それでも、まあ、人の多い場所に行かれるよりは少ない場所に行ってもらう方が護衛もやりやすい。帝月にはこのところ格段にヨミを頼む量が増えたから、多少は気晴らしも必要だ。家にばかり篭っている所為で、桜の頃から一層少年はやつれてしまっているのは、彼女も前々から気にしていた。 ある程度しっかりとした計画を瑠璃男に作らせて提出させた後、天馬に護衛と帝月に同行するよう命じた。 初めて来た土地で、太陽の光を浴びながら和気藹々と調理をする三人。 この瞬間までは、すべては順調だったのだ。 「あ゛」 瑠璃男が、不自然な声を上げた。 天馬と、天馬の元で焚き火を眺めていた帝月とは、同時に振り向く。あちゃー、という顔をしながらまな板を見つめる友人の姿が、そこにあった。見れば彼は玉葱を切っている最中だった。そして手元には、包丁が柄と刃の間でぱきっと折れていた。 「る、瑠璃男っ!? 怪我はないかっ」 天馬は手を止めて直ぐに友人の元に駆け寄る。 幸い、怪我をしている様子は無い。 「怪我、無いわ。 ちょっと俎板に包丁が、刺さってな。それ抜こうとしたら……折ってしもうたわ……」 瑠璃男の手をとって慌てふためく友人に、ぽつりと彼は情けなさそうにそうつぶやいた。そんなこと……、と言おうとして天馬の口が止まった。 包丁は、彼の持っている一本しかない。 材料は、ほとんど切っていない。 それ以外の刃物は―――源氏縁の刀、天馬の愛刀、そして、草薙の剣。 「草薙の剣やな」 「そうだな。さ。天馬いくぞ」 即断だった。 「いやいやいやいやいや。ちょっと待てっ! どうしてこの流れでそうなるっ!?」 「わいの刀はあかんで。誇りや」 「いや。 俺の刀でいいから」 天馬は自分の腰の物を鞘ごとはずしながら叫ぶ。が、友人二人は肩をすくめて首を振った。 わかってない。 こいつは、自分の立場というものをわかってない。 『面白そうではないか』 と。 満面の笑みを浮かべた帝月と瑠璃男が、天馬に向かってそう『宣言』したのはその後いくらも経たないことである。 ******** 母上にばれたら。 ―――と、思うだけで身が竦む。しかも零武隊は帝月の護衛と野外訓練をかねて、しっかり湖畔の反対側に駐留しているのだ。瑠璃男と帝月に気づかれないように、陰ながら先輩らが護衛しているのも知っている。 彼らは比較的天馬に同情しているからこのような事をしたのを上官に密告したりはしないだろうが、それでも天馬の動悸は治まらなかった。 「人参がよう切れますなぁ」 「うむ。トマトもビニールごと切ってもいけたぞ。 やはり三種の神器の一つだから格が違うな」 「きっと俎板も切れまっせ」 半泣きの天馬を目の前に置いて、包丁の実演販売のような行動を次から次へと押し付けるいじめっ子たちは、感心した口調で論評していた。人の骨が切れるのだからトマトがビニールごと切れてもさほど驚く必要はないのに、おぉおぉぉとワザとめいた歓声を上げる。ただの嫌がらせだ。 白い軍服を着た家事がやたらと上手い薄倖の少年は、この不幸な時間がすぐにでも終わってほしいと心の底から願っていた。少年の願いは最悪な形で叶うことになるのだが。 帝月と瑠璃男二人を相手に、正論一つを武器にした天馬が勝てるはずがなかった。 というか、駄々を捏ねる天馬を無視して帝月が祝詞をあげてしまったのだ。自分の意思とは関係なく現れる国宝。「材料をきり終わるまでは戻さん」と、投げつけられる鬼のような発言。 あっはっは。どうしてここまで性格が悪くなったんだろう、俺のトモダチ☆ と空を見上げて涙を堪えながら、必死に少年は考えた。必死に考えても答えが出るはずがないのは、よくわかっていたのだが。 玉ねぎを手早く切り終えると、次は生肉だ。 「……ん?」 肉が、うにょうにょと非常に良い弾力がする。 はて。これは少し可笑しくないだろうか。 ―――と。 天馬が思った瞬間。 生肉が俎板から逃げ出した。 「えっ!」 「ありゃっ!?」 しかも肉は大地に転がることもなく、宙に浮かんで体積を増やしている。一秒ごとに体積は従来の倍になり、恐ろしい速さで膨らんでいく。 「み、みかづき〜」 「どうにも……日輪の剣の副作用というやつだな」 グロテスクな物質には慣れている帝月も、声が震えている。心の準備ができていなかったのだ。 天馬も、瑠璃男も。 一流の武人の域に達しているにもかかわらず、一瞬まったく動けないでそれを魅入ってしまっていた。 肉が増えているのだから、その一点だけを評価すればちょっと楽しい出来事である。 が、日輪の剣が絡んだ事件が、そんな面白ネタで終わることはなかった。 その肉の塊が異形の者と成り果てた―――完成した―――時、正気に戻り自体のやばさを理解した三人はダッシュで零武隊に助けを求めに走っていたのである。 最後の締めはカミヨミ主人公・帝月坊ちゃまで! と思ったら、カミヨミの主人公って実は天馬なんですよね。 |
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