・・・ 人攫い ・・・
八俣家に来て四日目、夕方、家の戸を叩く者がいます。
嵐が隠しの穴から見ると、赤い髪と三白眼等等一般人と明らかに一線を画すような白い軍服を纏った人々がそこにいます。しかも三白眼はぎょろりと動いて明らかにこちらに気付いた様子。赤い髪の男は一度蘭の後に護衛として八俣家に来たことのある零武隊の隊員だと思い出して、嵐は鍵を開けます。
「どちら様でしょうか」
白々しく一応尋ねると。
男達は顔を見合わせて一瞬戸惑い、それから炎が代表して一礼します。
「我々は、日本陸軍に属する日明大佐の部下です。
こちらに大佐が養生されていると聞き見舞いに上がりました。
突然の来訪、申し訳ございません」
「……まだ体調が優れていないので見舞いが出来るかどうかはわかりかねますが、どうぞお上がり下さいませ」
炎に続いてぞろぞろと五人くらいの男が入ってくる。さすが蘭の部下だけあって背筋は物差しが入っているかと疑いたくなるくらいにしゃんとしているのですが、どこか全員疲れ気味の様子。顔色は青褪め、一人が溜め息をつくとそれが周囲に伝染し溜め息が谺する。
ソファが並べられている客室に案内すると、男達は黙ったまま次々に座ります。肘を膝に置き、手を組んで顎を乗せてつくのは溜め息。
現朗と激は元帥府に質疑応答の証人として捕らわれたまま、もう何日も帰ってきていません。本来零武隊に来るはずの予算も『隊長が居ないのに渡せない』との一点張り。しかもなんと参謀本部では、『日明中将を零武隊隊長に就任させるべきでは』というとんでもハップンの意見まで出て少しも気の抜けない状況なのです。さらにこんなときに限って、帝都のあちらこちらで静かだった御霊たちが暴れだし、事件がぼつぼつ起きてしまいます。残りの隊員たちで(予算もなく)処理にしなければならず、怪我人も出でてくる程の酷い状況。こんな失態、以前の零武隊には考えられないことです。こうして部下たちは改めて日明大佐の必要性と大きさを思い知るのです。
陰気臭いなぁ―――
と、嵐は思いながら部屋を出てお茶の用意をします。
そこに、ちょこちょことやって来る蘭さん。八雲家の防犯のため、表の玄関には近付くなと言われているので柱の影で彼女を待っていたのです。
お客さん? お客さん?と目が語りかけてくるので、
「お客様はお客様なんだけれど……。
後でちょっと一緒に来てくれるかしら?」
嵐も八雲から大まかな流れを聞いて、とにかく『零武隊の隊員たちが原因』そして『日明中将も何等か原因』という二点だけはしっかり押さえています。
だから、死ぬほど疲れていても自業自得。
―――と思っているので、零武隊の隊員には大変素っ気ないのです。
蘭を廊下に置いて、部屋の人々にお茶を出す。
それから出て、彼女を連れて隣の部屋へ行きます。
部屋に入る直前、人差し指を口に当てて、『静かに』というジェスチャーをすると蘭も面白がって同じ様に人差し指を口に付けて『しぃー』と囁きます。実は客室にはマジックミラーが置いてあり、隣の部屋から来訪者をチェックできるのです。この家の主はこの場で客を観察してから追い払うのが大好きです(最低)。
真っ暗の部屋の中をきょろきょろしていますが、すぐに一番明るい所へ目が行く。
そこには一枚の硝子。
―――硝子越しにあるのは軍服姿の男達。
「ひっ……」
そこまで理解した途端、蘭の顔が強張ります。
かたかたと歯の根が合わなくなり、目がじんわり潤んでくる。
嵐に縋りつき、足の力が抜けて立っていられない。
この場から逃げたくてしょうがないのに足が動かないのが、余計に彼女を混乱させてしまうのです。男達へ焦点を合わせたまま、ひっく……えっく……と喉が引きつる音が暗闇に響く。
「……日明殿」
あまりに弱々しい様子に、あの強く凛々しい姿を思わず思い出してしまった嵐は、素の声を漏らしてしまう。胸中にむかむかする思いが広がり、思い切り鏡の奥の男達を睨みつけます。
一方、隣の部屋の男達はこちらの気配に気付いたのですが、あえて見ない振りをしています。
動けない蘭を引きずって部屋からだし、居間に連れてきて横たえる。
「すぐに戻って参りますから、待っていて下さいね。
お客様を追い出してきます」
といって立ち上がろうとするのですが、蘭は着物の端を握り締めて行かせないようにする。そんな無言の攻防が暫く続きます。
一方、客間。
「……行ったな」
と、真がぼそりと呟くと、男達は一様に頷きます。
「………………まだ、無理のようだな」
もし、治っているならばすぐに日明大佐はこちらの部屋に来るはず。こんなふぬけた零武隊を見てあの大佐が黙っていられるはずがない。
炎の予想通り、暫くしてからお手伝いさんが来てやはり体調は優れないのでお見舞いは出来ない旨を告げられます。
そうですか、とまるで今初めて知ったように残念そうに炎は答えて、持ってきたお菓子を手渡します。
箱が少女の手にふれた、まさにその瞬間。
―――炎はいきなり刀を抜き嵐へと振り上げる(勿論逆刃)。しかし彼から漏れる微弱な殺気に気付いていた女性は饅頭を顔に目掛けて投げ付けると一跳躍で身を返して部屋から出ます。
一目散に逃げて、蘭の下へ。
「逃げてっ!
外へ逃げなさいっ」
横になっていた彼女は、自分が心を寄せる嵐が必死の形相で叫ぶのに吃驚して飛び跳ねるように起き上がります。嵐の方へ二三歩進もうとしますが、廊下の後ろから怖い軍服姿の男達が追ってくるのを見て体が固まる。
「庭から回りなさいっ。
早く、何をしているのですかっっ!」
激しい叱咤に、硬直が解けます。蘭はわけもわからず走り出し素足のまま庭へ下り立つ。
蘭の姿が嵐の視界から消えると同時に八俣家の罠が作動。突然庭のあちらこちらから鋼鉄の柵が現れてぐるりと家を取り囲んでしまう。流石の零武隊でも一筋縄ではこれを突破することは不可能です。縁側にずらりと並んだ男たちは自分の武器でその柵を壊そうとしますが、何度打ってもびくともしません。
嵐は客人から暴徒に変わった男たちを部屋の奥から静かにみつめています。その目には芯の強い光が宿っているのです。
暫くして壊せないと悟った炎は、彼女の元へ荒々しい音を立ててやってきます。
「あの柵を戻せっ」
感情的に叫び、逃げようとしなかった彼女の喉元を掴んで上に上げる。
足が床から離れて苦しくなった嵐は、ばたばたと必死に足を振る。顔が真っ赤になっても下ろそうとしないので、真は炎の肩を叩いてやめるように促します。
忌ま忌ましそうに舌打ちした後、彼は投げ捨てるように彼女を放つ。
部屋の壁に強く体を打ち付けます。
「大佐を首に縄を付けてでも戻さなければ大変なことになるのは、わかっているんだろうなっ!? 真っ」
珍しく反抗的に炎は親友を睨むと、親友は遠くを見つめながら呟くのです。
「こんな柵すぐに出れる。そう焦るな。
―――それに、彼女に手を出すのは得策ではない。唯一今の大佐と話せる御仁だぞ」
「私はただの家政婦ですよ?
零武隊と協力するつもりは毛頭ありませんが」
「…………心を変えて頂けるよう頼むだけだ」
そう言い終わると、彼等は荒々しく家を出ていくのでした。
こんな感じで八俣家の外へ逃げ出した蘭さんですが、全く知らない土地なのですぐに迷子に。この機会に自分の家へ帰りたいのだけれど、ここがどこだか分からない。まったく聞いたことのない地名が道の張り紙などに書いてあります。
うろうろしている内に辺りは暗くなり、黄昏時特有の寂しげな雰囲気が襲ってきて次第に心細くなっていきます。
嵐さんのいるところへ戻ろうか―――いや、あそこは怖い軍人さんがいる―――でも一人でいるのは怖い―――と心は不安定にぐらぐらと揺れています。
裸足で妙齢の女性がうろついているわけですから不審なことこの上ないんですが、極力人に会わないようにして通りを選んでいるので警察に通報されません。
そうやってどんどん道を奥へ奥へと進み、人気のない川原へ辿り着きます。大きな河ですが、草が生い茂っていて遠くからでは人が居るのかすら見えません。ここなら軍人さんも来ないだろうと思いほっとしながら川べりへ向かいます。
その時です。
「………お前がランという娘だな」
後ろから低い声。
驚いて身を返すと、数人の悪人風の男達がずらりと並んでいる。
悪人風というかまんま悪人で。手には凶器、威圧的な風貌、けっして常識人は身に付けないような禍々しい着物を纏っています。実は八俣家からずっと彼女を尾行けていたのです。
一番攫い易い場所まできたので到頭姿を現しました。
男性恐怖症の蘭さんには、耐えられない状況です。
腰を抜かして地面にぺたりと座り込み、小刻みに震えている。声を出すなんて絶対にできません。怯えた目で男たちを見上げると、彼らの暗い欲望が刺激されます。ぺろり、と舌なめずりをしてからリーダー格の男が口を開く。
「大人しくしていれば、痛い目には合わせない。
黙って着いてこい」
七時半。
警視庁に、とんでもない情報が入り込みます。
八雲さんが副警視総官と二人きりでいると、荒々しく扉が開かれて若い警官が入ってくる。彼は一端敬礼をしてから、足早に副警視総官の下まできて耳打ちします。
いったん副警視総官は顔を顰め、それから八雲さんの机までやって来くる。
「………ランという総監に縁のある女性が、人身売買の競売場に出品されるとの情報が入りました。
その名前に、心当たりはございますか?」
足を組みながら悠々と椅子に横わって書類を流し読みしていた八雲さんは、いきなり上体を起こして顔を向けます。分かり易すぎる動揺に只ごとではないと悟った副総監は、すぐに踵を返します。特別隊を組むためです。
「待て」
と、出る直前に声がかかる。
振り返れば、上官が外套に腕を通している真っ最中。
「俺は一旦家に戻る。
名前には心当たりはあるが、がせかもしれない。二十分で帰ってくる。今残っている奴等は全員待機させておけ。
嵐はともかく、人身売買が行われているとしたら即刻踏み込む必要があるからな。
―――あたしの帝都で、んな浅ましい催事を見過ごすわけはいかないわぁ」
そんなこんなで八俣さんは一路自宅へ。
嵐を盗った者への怒りと自分への不甲斐無さとで内心暴風雨のように荒れまくっていますが、表面は無表情で馬を飛ばします。ですが一方で脳内では驚く程速やかに、人身売買などという不届きなことをしそうな犯罪者予備軍をリストアップして可能性を検討し、容疑者を絞っていきます。
容疑者が十人程度になった頃、漸く自宅前に到着。
―――すると、なんと明りがついているのです。
疑問符を浮かべながら首を傾げながら扉を思い切りあける。
「嵐っ!」
居てくれれば―――と必死に望みながら声を上げる。
と。
目当ての人物は、まさに玄関にいるのです。
ばっちり目が合います。
「はい?」
―――え?
思いが言葉にならずパクパクと口を動かす主人の顔を不思議そうに見た後、嵐はすぐに横を向きます。横には一人の男が壁に背をつけて立っている。
白い軍服に身を包んだ三白眼。真が、蘭がまたこの家に戻ってくると思いここで待っていたのでした。
「……旦那様、こちらの客人がここで待っていると」
「警視総官殿申し訳ございません。
実は大佐の事についてご相談があります」
「しかしいきなり刀で切り付けられるような方を家に上げたくないのですが」
「その無礼は詫びたはず。こちらも時間がないもので、手荒な手段に出てしまったことは申し訳なく思う」
「思ってないことを言われるのは正直不快です。
夕食時ですから日を改めてもらってもいいかと」
「夕食が終わった後でも構いません」
情報を処理仕切れない八俣は二人に同時に睨まれて口籠りますが、二人はその間にも互いに牽制をしつつ八俣に訴えてきます。
「う、え、ええと……」
きょろきょろと視線を這わせながら考える。
と。
その時、閃くのです。
―――この家にもう一人『ラン』と呼ばれる女がいることに。
「嵐。
日明大佐はどうした?」
「……零武隊の隊員方が襲ってきたので逃げましたが」
「逃がしたの間違いでは」
すっと八俣の血の気が引きます。
二人も、徒ならぬ事態が起きたことを自ずと悟って口を噤みます。
まさか……と八俣の唇が震える。
「…………嵐。夕飯はいらない。今日はこの家に泊まって施錠をしっかりしろ。俺が戻るまでは外出はするな。
それと、真とかいったな。零武隊の人間は動けるか?」
「三十人くらいならばすぐに。明日になれば百人は動かせます」
「三十で構わん。
すぐに警視庁に集まるよう連絡しろ」
それだけいって八俣と真は家を出ます。嵐も施錠をしっかりして、刀を持ってきて一人で食事をした後この家で一番安全なところへ避難します。
一方警視庁では、特別なチームが形成されて情報収集にあたります。そこで零武隊の隊員たち、つまり炎や真は、日明大佐が誘拐されたことを知るのです。自分たちがしでかした事態の大きさに、立っているのがやっとなくらいに打ちのめされます。
情報は例の一報以外目新しい物は入ってきません。
軍人たちは目を血走らせて帝都の地図をくまなく見つめています。
帝都で怪しい地域は限られている。
―――ならば。
零武隊の思いが一つになったとき、真が気持ちを代表して口を開くのです。
「今から二十の組に分けて全体で帝都の見回りを行う。
各自連絡のための発煙筒を持て。競売場らしきものを発見したら煙を上げて人を集める。本部には連絡要因を数人残せばいい」
「ちょっと待てっ。
夜に煙が見えるわけないだろうがっ」
「ここで情報を待って全員で動いたほうが」
「………見せるんですよ」
驚く警官たちに、彼は丸木度特性の夜行眼鏡を取り出して丁寧に説明します。始めのうちは半信半疑ですが、一番上の八俣がすぐに真の作戦を採用することを宣言するので部下たちも無理やり納得します。何せ事態は一刻を争うのですから。
八俣と真と炎が計画を詰め、見回る地域を定めて、全員に夜行眼鏡と発煙筒とを配布し、夜の帝都へ繰り出したのでた。
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ツナギなのに長っ……。(炎様ファンの方、も、申し訳ないですっ)
ええと、次回はオークションネタです。
首輪つけられて引き回されてしまうような、そんな妄想です。(ていうかそれが全てです……)
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