・・・ 鍵をあける ・・・
「ねえ、大佐。
もー我慢できないでしょ?
今夜は、も、俺をこれ以上苛めないでよぉ」
理性と本能のせめぎ合いになっている女性の耳に、甘ったるい声をかける。びくり、と耳が震えた。
暗い部屋に荒い息遣いが響いていた。
部屋に不釣合いなほど大きすぎる西洋式の寝台に、彼女は軍服のまま横たわり、身を丸めている。普段は少しも乱れることのない―――そう、それはまるで彼女自身のように―――髪はシーツの上で散らばり、型崩れのしないはずの軍服に皺が寄る。しかし今、彼女はそれを気遣うことはできなかった。
体は火照り、疼いてしょうがない。
毒丸は蘭を気遣うように、寝台に腰掛けてその様子を眺めている。にやにやと、彼特有の笑みで面白そうにしているのは見なくても分かった。それを思うだけで心の奥底からふつふつと怒りが沸くが、その怒りもすぐに本能の波に打ち寄せられてわけがわからなくなってしまう。
あいつめ、あいつめ、あいつめぇ……っ!
と、毒丸が手を伸ばしてきた。
苦しげな彼女のボタンを外してやろうと服に手をかける。蘭は最後の理性を振り絞って身を回して避けた。服を脱がされてしまったら、それだけで自分がどうなってしまうか自信がない。
「……馬鹿……者……」
いつもの口癖がぽろりと漏れる。殆ど無意識で、だ。
彼は、少しばかり驚いていた。
この媚薬は常習性はないものの、相当きついもののはずだし、しかもかなりの量を飲ませた。薬に対して耐性があると教授から聞いてはいたがここまでだとは……。普通の女性なら、もうとっくに服を脱いで激しく求め合っている頃なのに。
さっすが、大佐ぁ。やるぅー
「……ねえ。やろうよ」
直截的な言葉を言ってみるが、ぶるぶると首を横に振って承諾しない。
優しく撫でたり耳元を舐めたりを執拗に繰り返す。それだけで性欲を刺激するには十分なはずだが、蘭の意思は想像以上に強固だ。
彼女が自分から求めてくる状況―――というのを作り出そうと思って飲ませたのだが、どうやらそれは無理らしい。自分のほうの限界が厳しくなってくるのを感じて、毒丸は妄想の中で育った計画に軌道修正を加えることを決めた。
飛び掛るように蘭の上に跨ると、普段の前戯をいきなり開始したのだ。
実は、現在。
彼の下半身には、悪さを出来ないようにするための器具が取り付けられている。三ヶ月前、遊女に手を出そうとしたことが蘭にばれ、蘭は立てなくなるまで毒丸を鞘で打ちつけた後、爽やかにそんな恐ろしい物を彼に装着したのだ。
四つの番号を組み合わせるという珍しい鍵のついたそれは、蘭の処分という荒波から逃れた毒丸の大人の玩具コレクションの一つだった。ただ話のねたに持っていたそれが、まさか自分が取り付けられると思ってはいなくてショックを通り越してそのやばさに血の気が引いた。男的にそれをとめられるのは生死にかかわる大問題だ。
ちょっとでも興奮すれば、硬い鋼の板に止められて痛みで悶絶するのだが、案外小型軽量で日常生活では支障ないよう出来ている。蘭はこれ幸いとばかりに昼間も外すことなくずっとつけっ放しにしておいた。
その後、彼の性欲は完全に妻の手中で、毎夜泣く泣く土下座して頼み込んで外してもらう屈辱の日々が続いた。しかもお願いしても許されないこともしばしばだ。
『頼んだら何でも通ると思うなよ』
―――と興奮でわずかに反応を起こしている一物を足で撫でながら言い捨てられたとき、自分よりも大佐の方が百倍人間としてどうよと思った。後が怖いので言わなかったが。
そんな中、彼は決心した。
どうやって合理的にこれを外してもらうか。
話しあって和解、という手段は肉体派の蘭と毒丸の間には存在しない。
大佐も俺がいなきゃ我慢できなくなればいーんだ!
思い立ったが吉日、大人の玩具コレクションから最高の一品を取り出し、事情を全く知らない天馬を使って上手く蘭に媚薬を飲ませることができた。
そして、現在に至るというわけである。
蘭は蘭で、身悶えながら『ちょっとこれはまずいかもしれない』と思っていた。危機感を覚えるなど久々だ。しかも自分が遠からず負けることを予感したことなど、初めてかもしれない。
警戒心なく取り入れた薬は体に染み渡り、体は熱く火照り、神経が過敏になっている。毒丸がちょっとちょっと悪戯するだけで、体中に電撃が走ったような快楽を覚えるのだ。
自分の中だけで処理してしまう、という手もあるのだが、おそらくそれはこの子供のような夫が許すはずがない。
毒丸の半泣きの様子が毎夜面白くて調子に乗ったことを、今更ながらひどく後悔した。
今日は思いっきり困らせてやる。困らせてやるんだっ!
わずかに目を開けば、にやついた青年の顔が迫ってきていたので首を動かして逃げた。接吻は彼の武器のひとつだ、と認識している。そこを奪われたら一気に陥落してしまう。
普段通りの愛撫が服の上から始まった。
そのもどかしか、悲鳴を上げてしまいそうだ。もっと、もっと―――と喉の奥まで迫りあがってくる言葉飲み込むにも精一杯。振り落とそうと幾度も試みたが、がっちり乗っている上、普段の力が全くでない。
ったく―――
今回は、完全に蘭の負けだった。
「……まる……」
「なーに。大佐ぁ?」
大佐、とこの場で言うのは彼の嫌がらせだ。
軍服を着て行為に雪崩れ込むのが、蘭は最も嫌いだ。
だから、今日は、軍服のままでやってやる。
毒丸は心に決めていた。
最大の当て擦りだ。次の日の妻の表情を思い浮かべるだけで嬉しくて声を上げて笑いたくなる。ここ三ヶ月の恨み、全部晴らしてやる!
「……はずして……やる。服を、脱げ」
「駄目駄目。
俺が自分で外す。番号を教えて」
四つの番号。
一万分の一の数字を、教えてと可愛くせがむ。言っていることはちっとも可愛くないが。それを言ってしまうと、この器具は役に立たなくなってしまうのだ。精緻な作りのため、いったん数字を決めると、職人に頼まない限りその数字を変更できない。
「……脱げ……」
「教えてよぉ」
蘭は何度も何度も拒否した。
そこを、執念深く毒丸が責める。女性のつぼは心得ていた。唇を使わなくても、さまざまな手管を知り尽くしている。
「……ぐっ」
唇の端を噛んで我慢する姿は、毒丸の煩悩が詰まった脳髄に直接響いた。
だが、先に音をあげるのはどちらなのかは、わかり易いくらいにわかり易いこと―――。
「…………二、一」
吐息とは明らかに違う言葉が聞こえた。
「ん?」
「零、六、二、一……」
にたり、と毒丸の唇が引きつる。
「ふうん。
……じゃ、ちょっと待っててね」
頭に四つの数字を繰り返し思い浮かべて、彼女の上から退き部屋の隅に行く。服を下ろし、今まで自分を苦しめに苦しめていたそれを見る。
へへへ。俺の勝ち―――
ダイヤルを回すと、かち、と音がして外れた。
同時に下半身の痛みがすっと失せる。血が一気に雪崩れ込んで膨れ上ってくるのを、感じた。この久しぶりの感触、たまらない。じーんと幸せをかみ締めながら、寝台で横たわっている獲物へいそいそと飛び掛る。
部下が大佐を陵辱ぅーなんてさ、リアルイメクラじゃん。
蘭の上に跨り、ボタンを一部だけ外して胸を揉みしごきながら一瞬そんな思いが浮かんだ。イメクラは現実ではないからイメクラなのだが、そういうまともな突っ込みはこの瞬間は入らない。
0、6、2、1。うししし、覚えちゃったもんねー
「……え?」
0、6、2、1。
その、四つの数字。四つの並び。
どこか、見覚えがある。聞き覚えがある。
六月二十一日―――
―――自分の誕生日ではないか。
毒丸の中で、何かが一本につながった。
手が自然に止まっていた。期待していた刺激がまたお預けになって、蘭は半泣きのまま目を少し開く。不思議そうに見上げている目と彼の目がかち合った。
「……大佐、俺のこと、好き?」
自然に、口をついて出ていた。互いの呼吸が分かるほどに顔を近づけて問う。
馬鹿者、と苦しそうな返事が返ってきた。
「好きでない者に……こんな真似、死んでも、させん」
だが、次の言葉は明瞭に言ってくれた。堂々と、迷いなく言い切ってくれた。
それが、毒丸には嬉しい。
そして、そんな言葉を求めてしまう、自分の弱さが憎い。
口と口を重ね、毒丸は優しく蘭の服に手をかけて脱がした。
結局二人は飛び切り熱い夜を過ごしたわけだが、次の日は、後朝に恒例となっている制裁措置も反省会も開かれなかったのである。
※後朝=きぬぎぬ 男女が共寝をして過ごした翌朝。
※毒丸の誕生日=偽設定です。
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