・・・  一勝*一敗  ・・・ 

 「お」
「あら」
ばったり会ったことがあまりに珍しくて、思わず声を上げてしまった。
 声を上げた後、二人は揃ってなんともいえない表情になる。
 零武隊隊長日明蘭と、警視総監の八俣八雲。
 護衛はついていないものの制服姿で、仕事中だというのは容易に知れた。陸軍特秘機関研究所からはそこそこ近いので蘭が一人で居るのには一理あったが、逆に警視総監がここにいるのは不思議といえばそうだった。
 だが、彼がここに居る理由もすぐに理解できた。
 男の手に近所のお菓子屋の包みがあったのだ。
「……そこの味がお気に召したようだな警視総監」
してやったり、と女の顔が愉悦で歪む。
 それは、この前彼が零武隊に来たときにふるまわれた菓子だった。零武隊では菊理のために  職務の一環として  関東一円の名店の菓子を集めて吟味している。それは今年の新商品の中で一番の評価を受けたものだった。
 八俣も、その和風とも洋風ともいえない珍しい味がいたく気に召して、店の場所を現朗に尋ねた。
「まあね。人への手土産に丁度いいから。
 ところであんたはまたさぼり?」
図星を指されて、思わず彼女は一歩後退さる。
「……わ、私は、訪問するところが、あってな。別に仕事が嫌で出てきたとか、そういうことじゃないぞっ。
 ほ、本当だっ。聞けっ」
嘘をつくのは乳幼児並みに下手な彼女が色々言っているのを全て聞き流して、八俣は金髪の青年を思い浮かべながら、可哀想に、と胸中合掌した。
「はいはいはいはいはいはいはいはいはいはい。
 二束三文にならない嘘はいいから気分転換終わったら直ぐに帰りなさいよ。
 そしてきちんと謝れば許してくれるんでしょ。あんたのところ甘いから。
 …………。
 ……まあ、おうちに帰る前にゴミ掃除が必要なようだけど。
 どうする?」
目が夕日を浴びてぎらりと不気味な色を帯びた。
「付き合ってくれたら有難いな。一人だと、とかく面倒だ」
会った瞬間から分かった。
 彼女の後ろから間抜けな殺気が漏れ出している。
 十人か、十一人か。この殺気から大した奴らではないのはよくわかる。
 わざわざ死に来たか。
「いいところがあるわ」
ぱちりとウインクすると、彼女は無言で頷いた。



 視線を送らないように気をつけながら話を終え、蘭をエスコートする。
 人目につかない広い場所がある。揉み消すのにはうってつけの場所が。
 彼女は導かれるままに進むと、八俣の心配の甲斐なく、きちんと同じように刺客らもついてきた。
 ものの十分もしないうちに二人は古寺に到着して、とりあえず型どおりの参拝をする。近くに勤めている彼女ですら知らない寺で、民家と民家の奥まったところに建っていた。
「ここは……」
「後ろに竹林があるわ。少し上った後に、平坦な場所が広がっている。林の中のほうが飛び道具も使いずらいし、何より音を吸うからね」
「……ふん。経験談か?」
彼の言葉通り深い竹林が広がっていた。帝都にこんな世界が残っていたこと自体が信じられないような、鬱蒼と生い茂る竹。薄暗く、そして、身を隠すのに絶好な場所だ。
 刺客たちに迷いが出たのはすぐにわかった。
 襲うには最適だが、あまりに良すぎて罠のにおいを感じ取ったのだろう。
 「よし。抱きつけ」
地面が平坦なところまで来ると、八俣は足を止めて、蘭にそっと囁いた。
「……はあ?」
「お前が隙がなさ過ぎて出て来れねえんだよ」
言ってもなかなか動かないので、痺れを切らした八俣はぐっと身を引き寄せて彼女を胸に入れてしまう。まるで熱愛中の恋人同士のように、暫くの間無言で抱き合っていた。

 ええええええ―――っっ!?

 違う心臓の鼓動を聞き、ぬくもりと表現される体温を感じる。意識してはならないと思えば思うほど、ついその状況を考えてしまって頭に血が上る。
 完全に天ぱる蘭に対して、八俣は非常に冷静に状況を判断していた。
 これならば奴らも必ず出てくる。
 さわさわと葉の擦れ会う音が黄昏時の朱の光に埋もれる。
 と。
 その様子に警戒を解いた刺客たちはわらわらと木陰から身を現した。
「……国賊、日明蘭だなっ!」
男の一人が声を張り上げたので、八俣はひょいっと彼女を解放する。
「帝都を私物化する獣めっ」
「許してはおけぬ。お前を斬ってこの国を正道に戻してやるわっ」
「天誅をっ!」
『―――天誅をっ』
「あーらら。相変わらず熱心なファンが多いのねぇ。熱い歓迎してくれるじゃない、妬いちゃうわ…………て、え?」

「……見たな」

すらり、と蘭が刀を抜く。
 かつてない鋭い眼光で―――それは八俣も予想していないほどの―――周囲を睨みつけた。色々な感情がない交ぜになって、刺客たちは一瞬で身を強張らせる。彼女ほどの使い手が、ありえない殺気を立ち上らせているのだ。これで恐怖を覚えないのは余程の阿呆か相当の使い手以外ない。そして彼らはその両方ともに属さない。
 喩えるならば軍場の戦国武将。
 もはや完全に人の領域を超えた存在だ。夕闇が彼女の周りだけ深くなっているようにすら錯覚させる。
 や……やりすぎじゃないかしら? でも、なんで?
 と、完全に原因たる八俣は疑問を心に浮かべた一方で。
 恐れを跳ね返すかのように、数人が一団となって駆け出していた。
「うぉぉぉぉ―――っ」
掛け声があがる。
 あの構え、土佐の奴らか。
 八俣も刀を抜くが、左手にそれを持ち、右手には銃を持った。彼女の背後からの援護のためだ。
「散レぇぇっ!」
蘭も声をあげて、信条どおり返り血一つ浴びずに次々に刺客を殺していく。
 殺す、という生易しい表現では不釣合いだ。
 文字通り『たたっ斬って』いる。
 八俣は矢や銃などで狙っている者が居ないか神経を尖らせた。飛び道具がないことを見極めつつ、撤退しようとする者の頭を銃で打ち抜く。だが、どうやら大義名分だけ背負った貧乏侍の集まりだったらしく、変わった得物を持つ者はいなかった。
 破裂音と悲鳴が重なって、どこか遠くで烏の逃げる声が聞こえた。
 全ての刺客が倒れた。
 蘭は最後の男の死体の側につっ立って、刀の血を払う。そこに八俣がやってきて険しい目で見下ろした。嫌味を言われる前に、彼女が口を開く。
「ここの始末は私の部隊に後でやらせる。迷惑をかけたな」
「別に。良い運動になったわ」
すぐに会話は途切れてしまい、暫く、二人は無言で見詰め合っていた。
 先に目を逸らしたのは、蘭だった。
「先に行け。部下には、お前が見られないほうが都合がいい」
彼はその動きで確信を得て、御菓子の入った袋をずいっと差し出した。
「持って」
「……は?」
理由も分からずに気迫に押されてそれを受け取ってしまう。押し付けるや否や、八俣はしゃがんだ。
「足。怪我しているんでしょ?」
彼女の革靴を、無造作に男は掴む。痛みが走って、蘭の顔が歪んだ。
 実は、八俣の胸から出た後、緊張のあまり思い切りひねってしまったのだ。ゆえに取りこぼしが多かったが、それは全て彼が始末をつけてくれた。
 それをこの男に悟られたのは癪だった。
 ……わからないようにしていたのに。
 八俣は足の検分をした後、そのままの姿勢でくるりと回った。
「はい」
広い背中を差し出す。その意味するところがわからないではなかったが、蘭はすぐにそれに乗ることは出来なかった。
 動きがないので、やれやれと呟きながら首だけを回す。
「ごちゃごちゃ考えるな。寺のところで下ろしてお前の部隊に連絡してやる」
言ってやると、おずおずと彼女が身を寄せる。

 ……確かに寺のところまでも歩ける自信はなかったし……

 腕が首に回されて、そして、体全身が密着した。
 彼女の足を持つと、軽い悲鳴があがった。ブーツで隠しているようだが、怪我は相当酷いようだ。触って彼女が悲鳴をあげるとなると骨折もありうる。
 八俣は胸中舌打ちしつつ、ぐっと腰を起こした。
 足場が悪くてバランスを崩しそうになったが、すぐ体勢をもどして、背負い直す。うっ、と再び悲鳴があがった。
 もしかしたら医者まで連れて行ったほうがいいかもしれないな、とつらつらと考えながらゆっくりと竹林を下りる。

 夕焼けに照らされて伸びる長い影。
 吹き抜ける竹林の迷い風。
 感傷的な雰囲気になってしまいそうな素晴らしい光景に、漂うのは血の香り。

 後ろから、か細い声が聞こえた。
「は、八俣……」
「あ? なんだ?」
血が昂ぶっているせいでいつもの口調を忘れてぶっきらぼうに応えた。

「そ、その。
 お、お、重く……ないか?」

蘭は心底心配そうに、眉をしかめている。
 返事は、いつまで経っても、戻ってこない。
 天下御免の警視総監は、耳まで真っ赤にして、返事すら出来なかった。


一勝 一敗 引き分け無し。