・・・ そこにそれが出来たから ・・・
零武隊官舎の横には、次元と時間軸とを越えた店がある。
カラオケKAN―――通称カラカン。
開店以来、そこは隊員たちのオアシスだった。零武隊の隊長は隊員が遊んでいるという未確認情報を得て、幾度も抜き打ちで店内をチェックしているのだが未だに尻尾を掴めない。暴力我侭隊長に踊らされて命を張っているのだ、命の洗濯くらいさせてくれ! と皆の思いが一つになったのだろう、奇跡は起こるものである。
午後二時半。
殆どの部屋が埋まっていたが、今は、最奥の部屋から太い良い声が廊下全体に響き渡っていた。
「君が(君が)君が熱い恋をするならぁ、相手は僕しかいない」
炎がステージに立って手振りをつけて熱唱している。いえぇーい、ひゅーと無責任で適当な野次を飛ばすのは激と毒丸だ。音感もリズム感もない激が鳴り物を取り出してとんでもないところにあいの手をいれるのだが、それがこの曲では余計に盛り上がらせる。
ステージとは対極の位置では、真が冷たい烏龍茶を飲んでいた。
炎と真は、見回りが早く終わったので休憩の代わりにカラカンへやって来た。店に入る瞬間、ばったり毒丸と激に鉢合わせした。四人とも気まずい表情をしたが、すぐに毒丸コンピューターは稼動して一つ結論を得た。これは俺たちにとっては好機だ。たかるチャンスだ。「先輩の歌、聞きたいな☆」と脅されれば断るわけにもいかず、四人で一室に入ったのである。
声量はあるが技量のない炎は、アップビートの歌を歌わせるとなかなかよく聞こえる。
さびを心地よくうたい終わり、ふう、と良い汗を拭った。
「サイコーぉっ! 上手いじゃねえか」
「さっすが炎ちゃん。熱いねぇ!」
拍手と鳴り物、スポットライトを一身に浴びて。自分はこの道のほうが向いているんじゃないか、と本気で思いながら独りの世界に入っている。遺伝子に目立ちたがり屋とナルシストが混入されたこのエリート隊員は、カラオケに入ると本気でマイクを放そうとしない悪人だ。
曲が終わると同時に席に戻ってお茶を一口飲む。その間に激は自分の次の曲をいれていた。
毒丸は分厚い冊子を捲りながら、心地よい疲れに浸る炎の方を見る。
「かなり上手いじゃん。どれだけサボってんのよ?」
「……お前と一緒にするな。あまり派手にやると大佐も気づかれるぞ」
「へへ。俺は鉄男がいるから大丈夫。
と。
これ誰の曲?」
いきなり始まったのは、大人しいイントロだった。この場の雰囲気に、あまりにもそぐわない選曲だ。
「俺だ」
と、返事が聞こえて三人は目を見張って驚いた。
真―――彼は、この部屋にきて初めてマイクを持つ。あわせて言えば今まですっかり存在を忘れていた。
画面に歌詞が表示され、前奏が終わる。
「明日私は 旅にでます」
出だしから分かる、とんでもない技量。
嘘ぉん。
曲を入れようとしなかったので、毒丸はてっきりカラオケは苦手なのだと思い込んでいた。強弱、声量、声音、音程その他諸々、どこをとっても三人よりもはるかに上手い。絶妙なタイミングで息を切り、囁くように歌いきる。
意外な先輩の特技に思わず口を半開きにして熱中してしまった。
周囲の驚きをよそに、三白眼の男は目をきりっと見開き移ろいゆく画面を無表情で見つめている。表情は毛筋ほどの変化もない。
しばらくは意想外の技量に感動していたが、曲も中盤になってくると二人も気がついた。
これって、名曲中の名曲の別れ歌じゃなかったっけ……?
その瞬間、背筋に冷たいものを感じた。
「こんなかたちで終わることしか……
できない私を許してください」
不穏な空気を悟った激と毒丸は、すっと横にいる炎の表情を盗み見る。カラオケボックス特有の照明に照らされながら、そこだけ時間が止まったかのように完全に硬直していた。形の良い鼻、澄んだ目の上を無機質に光が通り過ぎていく。
炎と真が 付き合っている 仲が良すぎるのは、誰も触れぬ公認だ。
……どうすんのっ。真さん、怒ってんじゃん。やばいよ。
えっ。やっぱそう? やっぱそう思う?
あの無表情怒っているヨ。ちぇ、怒る前に一言言ってくれればいいのに。
無表情だからわかりずれーよー。
二人は心臓が凍りそうなくらい居心地の悪い空気の中で、必死に目だけで器用に会話する。だがどうすることも出来ない。真は零武隊の要、その実力は激ですら知らないのだ。
先ほどまでの明るい熱い空気は一気にふっ飛んでしまった。
「……私は、私は、あなたから旅立ちます」
緊迫の空気の中で、ぶちっ―――とマイクの電源が切れる音が響く。音楽はまだ流れているが手のマイクを机に戻し、ポケットから財布出して金を置く。音楽が終わるとき、彼は既に刀を持って席を立っていた。
一連の動作があまりにも流暢で、誰も止められなかった。
はっと、毒丸と激が腰を浮かす。職務の時間ではないにせよ、彼は零武隊の先輩だ。不快にさせたなら謝らなければならない。盛り上がってばかりで彼のことを蔑ろにしていた。それは後輩として問題ある態度だ。
だが、彼らよりも、炎のほうが早かった。
「……真っ」
いつの間にか気配なく机を跳躍し、真の後ろに立っている。いつのまにっ!? と激と毒丸が目に見えて驚く。
彼に腕を掴まれると、黒髪は動きを止めて振り返った。
その三白眼に見据えられて―――。
「う……あ、ああ、その……」
普段の横柄倣岸不遜な態度はどこへやら、まるで子兎のように怯えた視線で上目遣いをしたまま動けなくなってしまう。不明瞭な言葉でなんとか必死に伝えようとしているのだが、未だに文にはならない。
この男がこんな行動をっ!? と、二人は仰天のあまり阿波踊りの一ポーズをとりながら固まっている。
つい忘れて楽しんでしまっていた。好きな歌を熱唱して好い気になっていた。二人で楽しむつもりがお前を忘れていた。怒るのは当然だ。
非は俺にある。怒るのも無理はない。無理はない。
だが……行かないで欲しい。何も言わないで行くのは止めてくれ。
もう絶対に放さない。今度こそ放しはしない。だから―――
頭はオーバーヒートするくらいに混乱していた。彼の背中を見るのが、炎は一番嫌いだ。去っていく彼を見ているとそれだけで精神が不安定になる。プライドを生きるのに必要と認めている彼が、全てのプライドを捨ててもいいとまで本気で検討していた。
「つい……歌に……熱中して。お前のことを忘れたわけではないのだ。
本当に……本当に…………すまん」
だが。
真は、炎の謝罪は慮外だった。
大きな目の中の小さな瞳がぎょろりと動く。
そして、わからないな、と小さく呟いた。
「……あんな歌を眼前で歌われたら恥ずかしいだろ。風にあたりたいんだよ」
真は、頬を少しだけ赤らめながらぶっきらぼうに言った。何故恥ずかしいのか、深読みすると非常に恐ろしい結論になる。
さ、さ、さっきの喜んでいたのっ!? 全然その表情わかんないよっ!
魂消たあまり、一時期CMで流行った『命』のポーズを器用にとりながら、声にならないつっこみを心中ではもらせる。
「なら、さっき歌ったのは」
「俺がいれた曲だから俺が歌うのは当然だ。
そうそう、残り五分くらいだから外で待っているぞ。今、耳まで熱いんだ」
そんな風には欠片も見えません。
と命のままぷるぷると指を震わせている激が思う。
「本当……か?」
それでも炎の目に不安の色が消えない。いつもの自信に溢れた彼の瞳に戻らない。怒ってない、どこにも行かん、と囁いて、安心させるようにその長い髪を慣れた手つきで撫でてやる。
下を向いていた炎が視線を上げると、そこには、聖母のように慈愛に満ちた笑みを浮かべている真がいた。
その後、カラカンで告白すると結ばれるとか、カラカンで三十日間願掛けすると成就するとか、怪しげな恋の噂が零武隊に大旋風を起こしたのだが、それはまた別の話。
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