・・・  天馬悲哀 3巻 − 152頁にいたるまで  ・・・ 


 「どうして、帝月や瑠璃男を任務に同行させたり、八俣警視総監とデートの約束とやらをとりつけたりなさるんですかっ?
 あいつらが邪魔で任務に集中できませんっ。
 折角の初任務が台無しですっ!」
扉を開けながら、天馬は敬礼もせずに大声でがなった。敬礼できなかったのは、仕方がない理由があった。少年の背の上には、少女と見紛う美しい者がちょこんと座っている。部屋につくと、一つ大あくびをしてから、まるで当然かのようにゆっくり天馬の背中から絨毯に下りた。
 軍内部をこの格好で歩かされて、天馬は顔から火を噴きそうになるほど恥ずかしかった。
 恥ずかしかったといえば、帰りの汽車もそうだ。京都から帝都に戻るまで、デートの約束を蘭が勝手にとりつけたので、ずっと八俣の膝の上で恋人ごっことやらをしてすごさねばならなかった。
 一方。
 蘭は、息子のその言葉を机に肘をついたまま聞き、重々しく受け止めるかのようにゆっくりと頷いた。そして、目をあげて重々しく答える。
「……そうか。それは、大変だった」
怒鳴られるか、蹴られるか、追い出されるかの三択反応以外が帰ってきて、天馬は拍子抜けした。
 この上官はいったん怒ると、『それならば一生貴様には言わん』と、ちゃぶ台をひっくり返すような意見をいうことが往往にしてよくある。
 もうこれ以上警官のセクハラや、ちみっ子の悪戯には堪えられないと帰りの汽車の間中考えていた。そこで、その性格を利用しようとこのような命がけの行動に出たわけだが……。
「天馬。どうやら、もう、お前に言っておかねばならぬことがある。
 聞いてくれるか?」
ゆっくりと席をたちながら、蘭は息子の前に立った。
 怒っているのとは違う緊迫ある母の表情に、少年の胸は高鳴った。目を伏せ、何か重大な告白をするような顔。こちらまで緊張してきて、天馬は姿勢を正した。
 その後ろで、瑠璃男は帝月の服を正しながらぼやく。
 「なーんか一瞬で失敗したなぁ。天馬の姦計」
「頭が悪いからな。この犬は」
「それよか悪い姦計しとんのは、向こうのおばんのほうかぁ?」
蘭はとりあえず机にあったペンをロケット並の速さで飛ばして瑠璃男の頭に突き刺す。が、それは天馬には見えない。
 少年は母親の態度に目を奪われていた。
「天馬よ」
「は、はいっ」

「実はな、お前が生まれたときに産婆が言っていたのだ。
   『この子は生まれながらに愛される運命じゃ。
    うむ。そうじゃな。
    多分鬱陶しいくらい愛されるぞ』
 どうやらもてるのは、お前の人生的役割のようだ。背負っていかねばならん」

 蘭は言い終わると、わかるか、と言いながらぽんと息子の肩をたたいた。天馬は、ぱぁーっと目の前が明るくなっていくような、そんな気がした。

 そうか。それが俺の人生の役割だったのか。それならばしかたがない。デートのひとつや二つ、乗り越えなければならないのだ。それが運命だからっ!

 その後ろでは帝月が胡散臭そうに睨みつけている。重症の瑠璃男は荒く息をつきながら床にぺたんと倒れていた。
「何わけのわからない昔語りで誤魔化されとんのや。よく考えてみぃ、許可を与えたのはこのおかんやで」
あっさり騙されかけた天馬は、瑠璃男の言葉に現実に戻らされる。
 はっと少年が気がつく横で、ちっと蘭が舌打ちをする。
 ……やはり悪ガキども付き合わせるといいことがない。
 つぷっと、瑠璃男は床に倒れたままペンを頭から引き抜いた。
「そ、そのような事情はわかりました。しかし、その、そうだといっても、おいそれと変な許可を与えないで下さいっ。日明大佐っ」
「わかった。おいそれとは与えないが頼んだぞ。
 では。カミヨミをしろ、帝月」
ため息をつきながら、蘭は机の端にあった軍帽を取り上げてその話を終わらせようとする。
 が。
 頭は悪いが耳の悪くはない天馬だ。
 今の台詞は聞き捨てならない。
 ―――少し顔を青ざめさせて、震える声で言葉をさえぎった。
「ちょっと待て下さい。
 ……頼んだぞって、どういうことですか?」
珍しく鋭いつっこみに、むっ、と言葉に詰まる音がした。
 しまった。失言だ。
「いや……大したことでは……ない。早くヨミを」
歯切れ悪い返事に、少年の思考が駆け巡る。
「……売ったんですか? また、八俣さんに? 俺が鞍馬から帰る間にぃぃ?」

 しーん。

 沈黙が何よりの回答だった。
 ……ぷつん、と天馬の何かがきれた。

 母上を、母上を信じた俺が馬鹿だった。
 畜生、息子の純な思いやり的肉親愛に付けこんでっ! 酷い、酷過ぎるっ。この純真な想いを利用するなんて人じゃない。人の親じゃない。鬼だっ。絶対、鬼だぁぁっ!

「酷いっ。あんまりですっ」
「あんまりとはなんだっ。上官に向かって!」
「あんまりはあんまりですっ。
 どんなに母上が私を出汁にしても、絶対八俣さんとデートしませんからねっ。
 きちんと断っておいて下さいっ」
いーっと天馬が口を引っ張る。
 半泣きだ。普段は悪口しか言わない友人たちも、ここまで切れた少年に驚いて慌てて宥めすかせている。
「天馬。泣くなぁ。泣かんでもええやないか。
 おまえのおかんが鬼畜なんて今更やろ?」
「いいんだっ。俺なんて母上にとっちゃ炉端の煤よりもつかえないんだっ。
 いつだって陰間茶屋に売ろうとか考えているんだっ」
「大丈夫だ。僕が現金で買ってやる。それでお前の純潔が守られるならば安いものだ」
その子供っぽい動作に、儚い蘭の理性が切れた。

 まあ、確かに、一応、多少、少しだけ微少極少ながらも勝手に八俣と取り決めしたのは悪いと思っている。(←一般的用語では反省していない)
 一方的に心情を無視して決められたら快く思えないこともある。
 だが、お前が厭だといったら、私の立場がなくなるではないか。
 それを気遣うのが部下として当然ではないか? 血族ならばなおもって当然なのではないか? 
 息子とはいえここまで我侭に育てた覚えは無いっ!(←勘違い)

「……貴様。
 新入りの分際で、私に、あの変態的な誰が出世させたかわからない警視総監ドノとの約束を反故しろというのか?」
聞こえてくる声が少し低くなった。
 うっ。
 今度はちみっ子三人が言葉を詰まらせる番だ。
 その変態的な警官に俺の純潔を売れっていうつもりのくせにぃぃっ!
 心では必死に叫ぶが、それを言えるほど強くない。
「……いえ……そのような……つもりでは……ありません」
「そうか。
 ではデート先は向こうが指定したいそうだから、下着を着けずに行け。あと一泊二日だから着替えを持っていけよ」
天馬は母親の言葉で一気に昇天した。
「下着っ!?」
「一泊っ!?」
そりゃ危険すぎや、と瑠璃男は喉元まで言葉がでかかったが、どうしても言えなかった。一生懸命に帝月の前に体を出して守ろうとしているが、彼が本当の犬ならば耳はうな垂れ尻尾は股の間に入っていたことだろう。
 自信に溢れた狐目は、上目遣いをするととても頼りなく見える。
 刀を握る手がかたかたと震えていた。
 そんな緊迫した状況で、漸く三途の川一歩手前を散歩してきた軍人は、地上に戻ってきた。
「カミヨミしてくれ。帝月」
問題全てかなぐり捨てて、天馬が引きつった顔で言う。
 もう、未来のことは考えてもしょうがない。どうしようもないのだ。後は野となれ、山となれ。今は今。
 その顔を、二人の友人は心底気の毒そうに見つめた。
 とういうわけで、帝月が何も文句を言わずにカミヨミを始めた、最初の日になったのである。


 天馬って出汁だよなぁ……。