・・・  外法の研究  ・・・ 
※19話より


 「ところで。教授。
 もう一度訊いておくが、君は外法の研究には手を出していないな?」
日明蘭は窓辺に立ちながら聞き返したのが、予想外で、一瞬丸木戸は間の抜けた声をあげた。
「は、はあ」
頭は義経計画のことでいっぱいだった。昔のことを知るとなると、ある男に会わなければいけなくなる。 そこまで考えが至ると、『彼』の顔が明確に目の前に浮かんできたのだ。
 そういう昔話は『彼』が詳しい―――のだが―――あまり、会いたくはない。懐かしい顔を思い出すだけでやけにスーツが苦しく感じた。
 物思いにとらわれていたので始めはその問いかけが良く分からなかった。
 だがややして、蘭の視線が不審なものに変わるとすぐに理解した。
「ええ、勿論ですよ。心外ですね」
意識を現実に戻す。この女の前で気を抜くなど自殺行為に等しい。蘭は、不服そうに肩を竦める教授をみながら、自分の椅子に着いた。

「……8020運動。
 あれから手を引いたな?」

ぴくっと、教授の眼鏡が動く。
「なんですって?」
聞こえなかったはずはないのに、丸木戸はわざわざ聞き返す。
 今の言葉、聞き違いではない。
 ふう、と蘭は息をつく。先ほどよりも少し大きな声で言った。
「8020運動だ。お前が手を貸していると、山本から意気揚揚と言われてな。あんな下らない研究は……」
彼女の言葉が終わるよりも前に、くわっと眼鏡の下の目が見開かれる。

「何をいうんですっ!
 あれのどこが外法というのですかっ」

やはりかっ!
 それは蘭の予想内の言葉で、言葉よりも先に机の筆立てを投げていた。想像がついていたのか、素早く避ける。運動神経皆無の彼にしては珍しい動きだ。
 どうやら丸木戸はその研究を考えているときは昂奮のあまり常任並の身体能力を発するらしい。
 やはり、外法だ。
 ……と、蘭は思う。
「当たり前だっ! あんなもんのどこが素晴らしいっ。
 今まで零にしてやらなかっただけありがたく思えっ」
がしゃん、と床に筆立てが着地して砕ける音が響いた。
 丸木戸の目に炎が宿っていた。
 いまだかつてないほど、真剣な顔。
 今の言葉は聞き捨てならないとばかりに、彼は上官の元までやってきて、ばんと両手で机を叩いた。
「ゼロなんてっ。なんてことゆーんですかっ。
 あれは世界を変えるっ。素晴らしい実験です。試みです。
 漸く人類は始めの一歩を踏み出す。その一歩目に携わる……それがどれだけ研究者にとって恍惚的なものかわからんでしょう!?」
「……マッドサイエンスって、人類規模を滅ぼす研究をしながらそう言わないか? だいたい」
するどいツッコミだが、興奮気味の彼は一切聞いていない。
「何が分かるというのです。
 いいですか。これは帝のための大切な、大切な研究なのです。
 それを外法というなんて……いくら大佐でも許せませんよっ」
「外法が駄目ならば、外法一歩手前だな。
 自然の摂理に反する……っていうか総じて言って無駄すぎる」
蘭は冷たく言い放った。
「無駄だなんてっ。
 なにも……なにもわかってない。あんたは鬼だ……」
大きく身を引き、両手を頭に乗せてふるふると悲痛そうに顔を振る。
 そのわざとらしいポーズのまま、天井に叫んだ。

「『80歳まで毎日20発』の目標のために進行する様々な計画っ!
 簡単な栄養剤、媚薬からコアなプレーの初等教育用教本つくり、やダッチワイフ改造プロジェクトまでっ。
 一つの目標に向かって進む男たちの汗を、涙を全く省みない酷い言葉。
 あんただって、20発はできないで……っ」

蘭は右ストレートで吹っ飛ばして、最後まで言わせない。
 20発。
 ……できるわけがない。そういう器官はついてない。
 陸軍特秘機関がそのようなどぎつく下らない研究に没頭していたなどと後々知られてはならない。恥ずかしい。厄介なことに恥ずかしい歴史ほど残りやすいのだ。
 『えーこの零武隊ってのはね。歴史の始末屋だったんだけど。
 ある日ここの教授がバイア○ラを発見した。
 お蔭で今皆毎日20発は軽く出来るんだよ』
 ……などと学校で教えるようになったらどうする。どう責任を取る。
 頑張りやさんの教授は、床で流血しながらまだぶつぶつといっているので、とどめにファイルを投げつけておいたら漸く黙った。
 天狗の事件が終わったらまた新たに零にしなければならないことが増えたなぁ、と白い軍人は独りごちた真上には、まるで見たこともないような大きな月が静かに沈黙していた夜の出来事だ。